第29話 真実

「驚いてないんだ?」


「驚いてる」


 片方の口の端をつり上げるようにして笑うルーシェに、ディンは頭を振った。


「でも、いろんな人の話を聞いて、何となくそうだろうとは思っていた」


 きっかけは父の残した手記だったが、古木の翁、エスタークの司祭、アシェンやレオノラにアレク、何よりもルーシェの話してくれる言葉と、そしてルシェーラ姫の存在。


「願い石で願いを叶えると、魔物が生まれるのか?」


 ルーシェは雨で顔に張りついた髪を振り払い、空を振り仰いで目を閉じる。


「前に……何故戦争がなくなったのかって話をしたの、覚えてる?」


「魔物が強くなったからだっていった。特に戦争が激しくなるにつれたくさん現れるようになって、何頭もの魔物が同時に出現したりして、だから人間は戦争をやめたんだって」


「昔、まだ国とか領主とか、騎士とかがいた時代、戦争は当たり前に行われてた。その頃にも魔物はいた。でも決して歯が立たないような存在じゃなかった。けれどあるときを境に、突然変異でもしたみたいに魔物がとてつもなく強くなった。おまえの予想通り魔物の王が現れたからだ。多くの騎士が魔物に挑んで、でも傷一つつけられないまま、戦争が激化するにつれ魔物の数は増えていった」


 何故増えていったのかは、ディンにも容易に想像がつく。


「みんなが願い石に祈ったからか」


「そう。親を、恋人を、子どもを、友人を、大切なものを戦争に奪われた人々は願い石にすがった。各国の騎士団が退治にあたったけど、まるで歯が立たなかった。あちこちで魔物が現れたけどどうしようもなく放置されている状態だった。魔物はあちこちで猛威を奮い、それでまた魔物が増えるようなありさまでね、人々は逃げまわることしかできず、徐々に国も騎士も衰えていった。そこに神殿で鍛えた武器が有効だと、電撃的に伝わってきた」


 いつの間にか息を詰めてルーシェの話を聞いていた。体ががちがちに強張っていて、ディンは意識してつめていた息を吐く。淡々としたルーシェの言葉は、真に迫っていた。大事な人を失って願い石にすがり願いをかける人びとや、魔物の姿に逃げ惑う人びと、武器を手に敵わぬと知りながらも魔物に立ち向かう騎士たちの姿がありありと浮かんで、ディンの体を縛りつけた。


「力を失った国の代わりに神殿は騎士たちを集め、神殿で鍛えた武器を持たせ、魔物の退治を開始した。ひとつ退治に成功すると、人々は競うように神殿の門戸をたたいた。それが神殿騎士の始まりだ」


 何の希望もない真っ暗闇の中で、さぞ神殿は歓喜でもって迎え入れられたことだろう。もしディンがそのときに生きていたとしてもきっと、当時の人びとと同じく神殿を歓迎し、自分もまた神殿騎士にと望んだだろう。けれど――。


「願い石と紫煌石しこうせきは同じものなのか」


 紫色をしているという、願いを叶える不思議な石――願い石。それはそのまま、中央に紫色のきらめきを宿した、祈る者すべてをしあわせに導くという紫煌石を連想させる。


 ルーシェは立ち上がると、うつむいたまま口元だけで笑む。それは肯定だった。


「おまえたちが死後いまだに崇め奉ってる神殿の中興の祖はジャスティンは……少なくとも彼は知っていたよ。願い石が――紫煌石しこうせきがいかに危険なものかをね。けど彼は紫煌石しこうせきを始末するより、それを使って自分が成りあがるほうが大事だった。自分たちが奉る石ころが如何に危険なものかわかっていながら、それでも彼はためらわなかった。たとえ誰が犠牲になろうと、それを利用して自分たちがのしあがることをね」


「やっぱりわかってて神殿は……」


 薄笑いを浮かべうかがっているルーシェの顔を見返しながら、ディンは血の気が引いていくのを感じていた。わかってはいたことだ。それでも改めて他人の口から聞かされる衝撃は、思っていた以上に大きかった。うなってディンは、体の横に垂らしていた手を握りしめる。


「それでも神殿は人びとに祈祷石を配ってたのか」


「祈祷石? あれはただのガラス玉じゃ……」


「いや、ほとんどのものはそうだが、中には紫煌石しこうせきが混じっている」


 少なくとも父の手記にはそう書いてあった。


 ルーシェの薄笑いの浮かんでいた顔が、きつく眉根を寄せた。意味を呑みくだしきれない様子でディンを見つめてしかめられていた顔が、次の瞬間一気に血の気を失った。


「……ッ、ブヒコさん!」


 忙しなく辺りを見まわし、だが求める姿を得られず、体を折り畳むようにしてルーシェは叫んだ。


 村の中央から南にかけては魔物に踏み荒らされて壊滅状態だが、北のこの辺りは奇跡的に被害がない。とはいえ、ディンたち以外に動く姿はない。けれどルーシェの声に、家屋の陰から小さな影が現れた。心なしか青ざめてブリリアントは、硬い表情で頭を振る。


「ぶひ、ぶぎぎぴぎ……ぶひひぶひひぴぎぎ、ぶひぴぎぶひぶぎぎぎ……」


 頭を振りながら呆然と呟くと、ブリリアントは鋭くディンを見すえ、間合いをつめる。


「ぶひひぴぎぎぶひ! ぶひひ……!」


 言い募るブリリアントがなんといってるのかわからず、困惑してルーシェを見あげたディンは、彼女の視線と出会って言葉を失った。ディンをまばたきもせず見つめるその顔は、蒼白を通り越して色を失い、立っているのさえ不思議ほどだった。


「あれは……自己増殖するんだろう?」


「それは子ども石のことをいっているのか?」


 震える唇が紡ぐ声はひどくかすれていた。雨の音に紛れ、かろうじて耳に届く声に耳をそばだてていたディンは、顔をしかめた。何故彼女はこれほどに、神殿の内情に詳しいのだろう。紫煌石しこうせきが子ども石を生むことなど、普通は神官でさえ知らない者のほうが多数派だ。高位神官を祖父に持つディンだって、父の手記を読んではじめて知ったのだ。


「確かに紫煌石しこうせきは子ども石を生むが、その子ども石もまた子ども石を生むとは限らない。昔はかなり末孫の子ども石もそのまた子ども石を生んだらしいが、今は本体の紫煌石の孫石くらいまでしか子ども石を生まないらしい」


 ぐらりとルーシェの華奢な体が大きく傾いだ。息を呑んでディンはとっさに手を伸ばす。しかしルーシェはディンの手を借りず、何とか持ちこたえた。


「魔物の数さえ、神殿が調整していたというわけか――どこまで欲の深い……」


 のどが引きつるような音が何なのか、ディンが気がついたのはそれがずいぶんと声高になってからだった。絞り出すような苦々しい声と相まって、最初は泣いているのかと思った。だがそうではなかった。ルーシェは笑っているのだ。体を二つ折りにし、笑い続けるさまはひどく病的だ。元々危ういところのある彼女がとうとう壊れてしまったのかと、身の内がひやりとする。


「魔物とはいったい何なんだ? 願い石は――紫煌石とは魔物の卵なのか?」


 ふと笑いを納めたルーシェが、乱れ髪の向こうから色を亡くした視線でディンを捉えた。


「人間を養分にして生まれてくるのが、魔物なんだろう?」


「ああ、なるほど。やけに落ち着いてると思ったよ。そうか、そんなふうに考えてたのか」


 さっきまでとは一転して狂気の色はなりをひそめ、さめた様子でルーシェが苦笑する。


「……どういうことだ?」


「魔物を、物語に出てくる化け物か何かだと思ってるんだろ? あれはそんなたいそうなものじゃない。あれは……わたしたちは――ただの人間だ」


「人間?」


「人間が気に入らないなら、人間のなれの果てとでもいうか? 願い石で欲を満たした者が魔物になるんだ」


 告げられた内容が呑みこめないまま、ディンはルーシェを見つめる。ブリリアントがあわれむような目で見あげ、じっとディンを見つめていたルーシェは傍らにある木に手をふれ、樹上を見あげる。


「おまえ、確か会ったっていってたよね。遺跡の村で、魔物に恋人を殺された女に」


 何をいい出したのか、思考がついていかなかった。


「あの村で出た魔物――あれが彼女だ。森でおまえたちを襲った魔物が、彼女の恋人だよ」


 ――彼女には婚約者がいて、都に出たままずっと何年も帰ってきませんでした。


 ――彼の知りあいだという親切な方が、旅の途中に寄ってくださったそうで、彼は魔物に殺されたのだと、そう……。


 ――用ができたんだ。


 脳裏に返るいくつもの言葉が、不意にすべて繋がった。都に出たまま連絡もなく、ずっと帰ってこない婚約者。当たり前だ、魔物になって封印されていたのでは連絡も何もしようがない。魔物に殺されたというのは、自分が殺したと、そう皮肉っていたのか。用ができたのは彼女にそれを伝えること。繋がった瞬間、氷柱を背中に押しこまれたように、ディンはぞっと総毛立った。


「魔物の王を倒すといったよね」


 ルーシェが歩み寄ってくる。ディンの背中へと手を伸ばすと、剣を引き抜いた。何をする気なのかと、そんな疑問さえわいてこなかった。ディンはただ呆けたように立ちつくすディンに、剣を握らせる。そして切っ先をつかむと、己のみぞおちへと導いた。


「ほらここだ。ねらわなくても外れないよ。力をこめるだけでいいんだから」


 そっと頬をなでるかのような優しい声。その奥に潜む毒が肝を冷やさせる。


「……ルーシェ?」


「まだわかんないの? ホントにおめでたいな。わたしが諸悪の根元だっていってるんだ」


 見上げるディンに、目をのぞきこんだルーシェがやわらかく微笑む。会心の笑みだった。


「            」

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