第23話 不穏な空気

「ブリリアント、入るぞ」


 ノックの返事を待ってから、ディンは扉を開けた。


 濡らした布で頬を冷やしているディンに、少しだけ目を瞠った仔ブタは、その後に続く見知らぬ者たちに目元を険しくした。ブリリアントはディンにとがめる視線を寄越す。二人を連れてきたことが気にくわないようだ。ディンだって、二人をルーシェに引きあわせるのは不安だった。


 倒れる前、ルーシェはいつもの彼女の姿に戻っていた。ならばその目も本来の色――魔物の特徴である紫に戻しているかもしれない。今、目を見られてはいいわけできない。ルーシェの意識が戻るまでは、他人を近づけないほうが無難だろう。ここにいるのは聖騎士ばかりなのだからなおさらだ。


 ディンの気持ち的には、レオノラとガドフリーにならば打ち明けていいと思う。ただ……。


 ――ガドには気を許すな。あれは裏切り者だ。


 真意をただすまでは、うかつに秘密を明かすことはためらわれる。話せない以上は隠しているしかない。けれど医者を断り、濡れた衣を替えるのからして他人にさせないディンを、彼らはいぶかしんでいた。この上、見舞いたいという彼らを断ることはできなかった。


「おや、川岸で会った賢いお嬢さんだな」


 寝台の上に仔ブタを見つけたレオノラが、ディンの後ろから進み出る。お嬢さんといわれてまんざらでもなさそうな顔をすると、ブリリアントはディンを見て何ごとかのたまった。


 たぶん紹介しろといっているのだろうとあたりをつけて、ディンは体をずらした。


「叔母のレオノラに、その副官のガドフリーだ。そっちはルーシェに、ブリリアント・ヒルファリア・コルスターチ、愛称はブヒコさんだ。ルーシェの大切な子だそうだ」


 ディンの紹介に、レオノラが目を丸くしてまじまじとと仔ブタを見つめた。


「性別を超えた愛か。それはいろいろご苦労もおありだろう」


 いたわりの言葉に、ブリリアントはレオノラを見あげて目をうるませた。自分のことを人間だと思いこんでいるのか、ブタ扱いされるのが嫌いなブリリアントの心を、レオノラを一気につかんだようだ。


「そこに感心する前に、他に突っこみどころがあると思いますがな」


 レオノラのずれた感想に、己の角張った下あごをなでながら、ガドフリーがもっともな意見を述べた。しかし一人と一匹は外野の言葉など聞こえてもいないのか、種族の垣根も言葉の壁も越えて意気投合していた。まるで、長いときを隔てて再会した友人のように、目で通じあっている。


「レオノラさま、病人の傍に長居してはご迷惑でずぞ」


 副官にたしなめられてレオノラはうなずくと、ルーシェの枕もとに近づいて、濡れた布を当てている額を避け、首筋に手を差し入れた。


「熱はないようだ」


「たぶん、疲れが出たんだと思う」


 おっとりと言うレオノラに、ディンは、早口に答えた。至近距離にレオノラがいる状態で、ルーシェがいつ目を覚ますかと思うと、気が気でなかった。


 驚いたように振り返ったレオノラは、思わせぶりににやりと笑う。怪しかっただろうかと危ぶんで見上げていると、レオノラは仔ブタ辞去を述べ、ディンの背を押して部屋を出た。


 拝借している家は、寝室兼個室と、土間の二間からなる。古いが大事に使われている家具、石壁には隙間風よけに手製のタペストリーがかけられ、土間の煤けた剥きだしの梁からは乾燥させたハーブが下がっている。寝台が一つしかないところを見ると、おそらく女の一人暮らしなのだろう。小さく質素だが、大切に使われている家は居心地がよかった。


 だがそこに彼らが入ってきただけで、途端に家が狭苦しく感じた。特にガドフリーは総本山の聖騎士の中でも大きい部類で、尻の下で悲鳴を上げる小さな椅子が気の毒なほどだ。


 椅子の数が足りず、ディンは自分の分を隣室からひっぱてきたとき、レオノラがそれにしても……と小首を傾げた。


 体がふわりと空へとさらわれる。


「しばらく見ないうちに大きくなったな! ディン」


 いつもは見上げる顔を見おろしていた。抱え上げられたのだ。ほっと気持ちがゆるむ。ずっと緊張してたんだと、自覚が追いついてくる。


「最後に会ったの、もう一年も前だ」


「そうだったか?」


 ディンをおろし、首をかしげたレオノラは、のどの奥で笑った。


「そりゃあ大きくなったはずだ。女の子をナンパしてくるんだからな」


 燭台に肘をつきニヤニヤとこちらを見るレオノラに、ディンは絶句した。もともとルーシェたちとはガリエラまでという約束だったし、レオノラには本当のことをいうつもりだったから、いいわけの準備などしていなかったのだ。


「いや、その、ここにくる途中で、一人は危険だからって送ってくれて」


「それはそれは。あんなに華奢でかわいらしい娘さんなのに、いまどき感心な子だなぁ」


 すっかり感心しているレオノラに、ガドフリーが頭を抱えんばかりの様子で溜息をついた。


「……レオノラさま。何を気楽なことを。子どもの一人旅に、あのような見目麗しい娘ごと仔ブタがが加わったところで、別種の危険が増えるだけですぞ」


 そういわれればそうかもなぁ、などと暢気な感想をもらす上官にもう一度溜息をついて、ガドフリーはディンを見すえた。


「ジュダさまから文が届いておりましたぞ。黙って家を出てきたそうですな。ご自分のなさったことが如何いかに危険なことか、まさかわからんとは申しませんでしょうな」


「男なんだから腕白なぐらいなほうがいいさ。それでなくてもディンはじいさまに似たのか、理屈っぽくて、子どもらしさにかける」


「レオノラさま、子どもをあおるものではありません」


「まあ、くると聞いていたのに、いつまで経っても到着しないし、部隊は途中で全滅したというし、本当に心配したよ」


「ディンのことですから、途中であきらめるとも思えませんでしたしな」


「おまえに何かあれば、私は姉さんや義兄さんに会わせる顔がないところだ」


「わしもおじいさまに死んでわびねばならんと、本気で思いましたぞ」


 ディンに祖父との優しい時間の記憶はない。幼いころに亡くした両親の記憶さえおぼろなディンに、肉親の情をくれたのは母の妹であるレオノラと、そしてこのガドフリーだった。


 ガドフリーはレオノラの副官である。だがレオノラの下に配属される前は、祖父の副官を勤めていた。今でこそ剣を握ることさえない祖父だが、若いころはガドフリーと共に、魔物退治に世界を渡り歩いていたらしい。今はレオノラとともに各地を渡り歩いていて、年に何度も会う機会はないが、それでも総本山に戻ってきたときは、必ずディンに会いにきてくれた。レオノラとともに、ガドフリーはディンにとって頼るべき存在だった。


 その二人に交互叱られて、さすがのディンもうなだれた。けれど落ちこんだのはそれだけが理由ではない。ひとつ、ずっと引っかかっていることがある。


 もしディンがあの場にいなければ、部隊が全滅した時点で、ドレイクだけでも逃げ延びられたのではなかったのだろうか。


 エスタークで司祭に話したときのように、ルーシェとブリリアントに助けられたくだりだけ誤魔化して、部隊の最後を伝えた。じっと目を伏せるようにして話を聞いていたレオノラは、立ち上がるとディンの前に膝をついて力一杯と抱きしめた。


「ディンが無事でよかった」


「レオ……」


「ドレイクはたぶん、ディンがいなくても最後までとどまっただろう。あれはそういう男だ。友としては、無様であっても生きて逃げ延びて欲しかったと思う。でもきっと、私も同じ立場に置かれたら、同じことをするだろうな」


 レオノラはディンを腕から開放して、その目をのぞきこんだ。


「ディン、悲しい気持ちはわかる。だが臆病になってはだめだ。彼らのために私たちにできることは、その志を受け継いでいくことなんだから」


「レオノラさま、ジュダさまはディンを案じておられるのです。若さま夫婦を亡くされて、この上忘れ形見のディンまで失うことは耐えられんのです」


「それは私も同じだ。姉さんと義兄さんを失い、この上ディンまで失うことはできない。でも、ジイさまのようにただ安全なだけの場所にディンを閉じこめることを、私はよしとするつもりはない。私たちの想いをこの子に押しつけて、彼の未来を奪うことは許されない。この子がどのような形で先達の志を受け継ぐかは、ディンが決めることだ」


 祖父のように頭ごなしに怒ったりはしない。でもガドフリーは祖父と同じで、ディンが魔物のことについて意見をいうことによい顔をしない。


 ――いわないのも、優しさなのかもしれないよ。


 フェイデルの言葉を思い返してディンは、厳しい眼差しを交わしているガドフリーを見あげた。


「ジイさまは文でなんて?」


「そちらにいくはずだから面倒を見てやってくれと」


「それは連れ戻せということなのだろうか?」


「ジュダさまはあなたを心配しておられるのです、ディン」


「よく……わからない」


 ぬるくなった布を頬から外して食卓の上に置き、ディンは頭を振った。ガドフリーは困ったような表情で、ディンを見おろした。


「大切に思っているからこそ、危険なことをさせたくないのです」


「ガド、ディンが困ってるぞ。年寄りの小言はそのあたりにしておけ」


 助け船をだしてくれたレオノラのいいように、ガドフリーは苦笑して、それからディンの頭に掌を乗せた。


「しばらく見ない間にすっかりたくましくなられた」


「ガドじい」


 頭を押さえつけるようにしてなでる、大きな掌の感触に、ディンはガドフリーを見あげる。優しい目に出会って、ディンはそういえば、と、ずっと聞きたかったことを口にした。


「もう、魔物退治を終わらせたあとだと思っていた」


 優しかった表情が、途端苦虫をかみつぶしたようになった。


「援軍が到着しませんでな」


「上層部から嫌われてるからなぁ」


「何を他人事のように。普段からこれ見よがしに批判などしているからです。だからいつも控えてくださいともうしあげているのに」


「私の仕事は、口と腹ばっかりを際限なく出してくるお偉方のお守じゃないんだよ。そうそう彼らの気にいる言葉ばかりいってられん」


「でも、それとこれは別問題だろう」


 口論に発展しそうな主従の割って間に入って、ディンは首を傾げた。レオノラは卓に肘をついた姿勢で、肩をすくめて見せる。


「私もそうは思うが、煙と何とかと同じくらい高いところが好きな方は、そんな簡単なことさえわからないらしいな」


「いくら何でも言葉がすぎますぞ」


「でなければいっそ、合法的に私を消したいのか」


「レオノラさま」


 副官に怒られて、レオノラは亀の子のように首をすくめる。ちょうどそのとき、外へと続く扉が遠慮がちにたたかれた。


「隊長、準備ができました」


「わかった今いく――時間切れのようだ」


 いって、二人は立ちあがった。扉を出ていく二人の後を追って外に出たディンは、レオノラの袖を引いた。


「レオ、あとでまた話せるか?」


 振り返ったレオノラは、ガドに先に行くようにいって、自分はディンの前に片膝をついた。


「これ以上は待てないから、援軍が届こうが届くまいが、明日には決着をつけることになる。だからこのあとはもう話している時間はない」


「話したいことがあるんだ。聞きたいことも」


「すまん。聞いてやりたいのは山々だが、どうしても時間がとれそうにない」


 レオノラはすまなさそうに答えながら、振り返って扉を見る。視線を戻してディンの両の腕をつかんだ。


「ディン、さっきの少年がわかるか?」


「ああ。レオにくってかかってた、細っこいやつだろう」


 さっきまでの態度とは打って変わって、レオノラは小声の早口で話す。ディンはいぶかしく思いながらもうなずいた。


「私たちが出ていったらすぐ、彼を連れてこの村をでろ」


「レオ?」


「このままここにいたらアレクは殺される」


 ひそめた声で淡々というとレオノラは、ディンが驚いているうちに立ちあがった。


「レ……オ――レオノラ!」


 背を向けて立ち去ろうとしているレオノラの腕をつかんだ。


「どういうことなんだ」


「説明してやりたいが、今は時間がない。本当はもっと早くに決戦に持ちこむつもりだった。私はおまえを待ってたんだ」


「彼のためにか」


 それには答えず、レオノラはディンの耳に顔を近づけた。


「いいか、ディン。ジイさまを頼るな。神殿もだ」


「レオノラ?」


「なるべく神殿の目の届かないところへ。彼にも神殿に関わらず生きていけと伝えてくれ」


「それは、神殿が彼を殺すということなのか?」


「……アレクを頼む」


 自分のいいたいことだけ告げると、レオノラは踵を返してガドフリーの背中を追った。ひとり取り残されて、ディンは溜息をつく。わからないことばかりで、落ちた息は自然に重くなった。

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