第7話 魔物の思惑(ルーシェ視点)

「変わったお子じゃ」


 人間の子の背中を見つめながら暖かくつぶやく古木の様子は、孫を見守る老爺そのものだ。ディンはといえば、古木が道案内につけてくれた狼に、神妙な顔でよろしく頼むと頭をさげている。ブリリアントの通訳に鷹揚に頷いて、狼は満足そうだ。


 この森の奥深くへとは、近隣の者でも足を踏み入れることはない。古木を守るために、森に住む動物たちが人間を遠ざけているのだ。人間は魔物を区別しない。たとえ命を救われたとしてもだ。ディンのような反応を示す者は、皆無といっていい。


 苔むした古木に背を預けて、腕を組む。ルーシェもまた少年の背を目で追いながら、口元だけで笑んだ。


「そこいらのやつよりはずっと肝が座ってるは認めるけどね。でも、ただ子どもなだけだ。本当につらいことも怖いことも知らないから、いくらでも無謀になれる、無茶ができる。どんなに頑張ったところで、叶わないことがあるなんて知らないから、何でもできると思いこんでる」


 だが本当に子どもなのは誰だ?


 自分にはなにもできないと、悔しがるしかできなかった。できることがあるなら、命を懸けてもいいと思うほど真剣だった。自分が犠牲となり平和が訪れるなら、本望だと思った。


 ――志半ばで死ぬかもしれないが、それでもいい。


 しかしその気持ちは、そういったディンの覚悟とは違っていなかったか。


 ――俺は水面を揺らす最初の一雫になりたい。


 昨夜聞いたディンの声が耳に返って、ルーシェはきつくまぶたを閉ざした。何故あんな子どものいうことに、これほどまで心動かされるのだろうか。


「それでも、あのお子ならばと思えるなにかがあったんじゃろう? だからあの子になにもかも託そうとしておるんじゃろう? おぬしの長年の望みを叶えてくれるかもしれん、と」


 ルーシェは苦く顔を歪めた。古木が自分のためを思ってくれているのはわかる。だが今は古木の気持ちが忌々しかった。


「知っているくせに。それを決めるのはわたしじゃない。ブヒコさんだ」


 そろそろいこうと手を振るディンに、わかったと笑って手を振り返しながら、ルーシェは古木に答える。


「じゃがすべてを知れば、あのお子は傷つくじゃろう……」


 ぽつりと落とされた、やるせない憂いを含んだ声に、ルーシェは薄笑う。


「ルーシェ」


 時間だけは無駄にあった。そのぶん長いつきあいだ。だから感じるものがあったのかもしれない。歩きだしたルーシェの背を、古木が切羽つまった調子で呼びとめた。


「これが最後だとはいわんでおくれ。どうか、なにもかも終わりにする前に、もう一度だけでも会いにきておくれ」


 友人の哀願に立ちとまって耳を傾けていたルーシェは、だが振り返らないまま再び歩きだす。向かう先には、少年が希望を胸にルーシェを待っている。


 意志の強そうな目をした子ども。ただの子どもだ。魔物を前にただ震えていただけの――なにもわかっていないだけの子ども。


 なのに何故、これほど神経を逆撫でられ、いらいらさせられるのだろう。


 少年の言葉がいちいち引っかかり、自分でも驚くほど頭に血がのぼる。自分の中にこんなにも暗いものが存在しているとは思わなかった。いらだちが募り、我慢できないと、許せないと胸の奥底にわだかまる闇が訴える。


 なにも知らないなら、なにもわからないなら、ならば――思い知らせればいい。


 ジジイ、確かにあんたの言う通りだよ。


 そう心の中で呟く。


 ディンだからすべてを託してもいいと思った。ただ古木が思っているのとは意味が違う。


 思い知ればいい――あのなんでもわかっている顔をした子どもに、気づかせてやればいい。


 待っていたディンの前に立ち、ルーシェは屈託なく笑んでみせる。


「お待たせ。さあ、いこうか」


 うなずいて歩きだすディンの背を見つめ、ルーシェは目を細める。


 この世はおまえが思うほど単純なものじゃない――必ずそう、思い知らせてあげる。

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