第31話 すべての声を刻んで

心音が消された理由が明らかになった今、風間はその背後に潜む“闇”を暴くために動き出していた。

桜井教諭が語った通り、心音が見てしまったのは、学校の隠された秘密だった。

その秘密を守るために、心音は“消され”、その記録は無理にでも抹消されようとしていた。


だが、心音を消した者たちの罪は、もう誰にも隠せない。

風間は一度その真実に触れてしまったからには、そのすべてを公にしなければならないと決心していた。


「すべてを伝えるんだ」

風間は携帯を取り出し、篠崎に連絡を取った。


『どうした、風間?』

篠崎の声は、いつものように冷静だが、どこか期待を込めたようにも感じられた。


「桜井教諭が言った通り、心音の消失には隠された理由があった。だが、それを隠蔽した者たちがどれだけの代償を払うべきか、今から暴く」

風間の言葉には決意が込められていた。


『それでこそ、だな。全部明るみに出してやれ。』

篠崎の声が力強く響く。


風間は一度深呼吸をしてから、桜井教諭がいたカフェへ向かう決意を固めた。

桜井は、最も大きな秘密を握っている。その秘密を、すべての関係者に知ってもらうために、風間は桜井に再び向き合わなければならない。


今度は、桜井を追い詰めるのではなく、彼が抱えている罪を公にするための最後の決断を促すために。


カフェの席に桜井は座ったまま、ゆっくりとファイルを取り出した。

風間の視線が自然とその薄い青いファイルに向かう。


「これは、心音さんが最後に見た“記録”のコピーです」

桜井はそう言って、ファイルをテーブルに滑らせた。

「本来なら、これももう、どこにも残っていなかったはずのものだ。だが、心音がその存在を“気づかせてしまった”ことで、私の中でも捨てきれなくなった」


風間は中身を開く。

そこには、学校内のシステムログ、アクセス履歴、そして特定の日時に改ざんされた生徒データの記録が詳細に残っていた。

名前と学籍番号が整然と並び、成績の変動、出席記録の操作、複数名の“名簿からの抹消”を示すフラグが付されている。


「名簿からの抹消……これが、心音が恐れていた“自分がいなかったことになる”ということか」

風間は思わず呟いた。


「彼女は、そのログを見た後、私に言ったんです。

『先生、もし私がいなくなったら、私のことを覚えててくれますか?』って。……まるで、すべてを予感していたみたいに」


桜井の声には、もはや言い訳も弁解もなかった。

ただ、重く沈む後悔と、どうしようもない無力さだけが、そこにあった。


「なぜ、止めなかったんですか」

風間の声は低く、だが確実に届くように投げかけられた。


「あなたが、たった一言、『やめよう』と言っていれば、心音さんは今も――」


「分かっている」

桜井は食い気味に言葉をさえぎった。

「だが、その時の私は、彼女一人よりも、学校全体の沈黙を優先してしまった。

 ……あの瞬間、私は“生徒”よりも“体制”を守ったんだ」


風間は黙ってファイルを閉じ、バッグにしまった。


「これは証拠として警察に提出します。あなたの供述も含めて」

静かに、そして決然とした言葉だった。


「構いません。私も、もう逃げるつもりはない」

桜井は穏やかに頷いた。


風間は立ち上がり、最後に桜井を見つめた。


「あなたの罪は、これから問われます。けれど、彼女の声は、もう誰にも消せません」

その言葉に、桜井はゆっくりと目を閉じ、何も言わず、ただ頷いた。


れから一週間後。

風間は、警察庁の小さな会議室で報告書をまとめていた。


机の上には、桜井から受け取ったファイル、証拠の記録、そして心音に関する非公式な聴取メモが並べられている。

記録係だった自分が、こんな形で一人の生徒の存在を記そうとは、思いもしなかった。


ドアの外から、控えめなノックが聞こえる。

「風間さん、あの件、正式に内部監察が動きました。桜井教諭は処分待ち。関連する関係者も聴取対象になるそうです」


同僚の報告に、風間はただ「ありがとう」とだけ応えた。

淡々とした言葉に見えて、その裏には、込み上げる想いがあった。


風間は、静かにメモ帳を開く。

そこには、心音が最後に残した言葉が書き写されていた。


わたしを、消さないで。


その筆跡は、もうこの世に存在しない。

だが、確かに残った。風間の記憶の中に、そして、正式な報告書の中に。


風間はその場で一つの提案書をまとめ始めた。

題名は『名簿にない生徒について』。

そこに記されたのは、記録から“消された”はずの少女――風見心音という生徒が、確かに存在したという事実だった。


その名が記録に戻ることは、制度上、簡単なことではない。

だが、報告書に残すことはできる。そして、それが記録係の唯一の責務でもあった。


窓の外では春の光が差し込んでいた。

桜はすでに葉桜に変わっていたが、心音が見ていた風景と、どこか似ている気がした。


風間は最後に一文を加え、ペンを置いた。


この生徒は確かに、ここに存在していた。

記録にないまま、記憶に残る生徒として――。


報告書を閉じたとき、ふと頬に風が通り抜けた。

誰もいないはずの空間で、なぜか確かに、誰かの気配がした。


風間は顔を上げ、静かに呟いた。


「心音……君の声は、もう消えない」


そして彼は、立ち上がり、次の仕事へと歩き出した。

その背中には、一つの記憶と、一つの記録が、しっかりと刻まれていた。



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