第3話 封印された記録

学園の朝は、いつもどおり静かに始まった。

だが、風間湊の胸には昨日の祠で見つけたメモが重くのしかかっていた。


「十九番の魂を返せ」──その言葉は、まるで暗い呪縛のように彼の心を縛りつけていた。


職員室に戻った湊は、再び古い記録を探すために資料室へ向かった。

そこは埃まみれの棚が並び、薄暗い照明が重苦しい空気を作り出している。


棚の一角、目を凝らして探していると、ふと異様に厚みのあるファイルが目に入った。

表紙には「秘匿資料」とだけ書かれている。


躊躇いながらも扉を開けると、中には古い新聞記事の切り抜きや手書きのメモ、写真が収められていた。


その中の一枚に、見覚えのある人物の写真があった。

それは「朝比奈遼」と思われる少年の写真だった。

しかし、写真には明らかに不自然な加工が施されているようで、顔の一部がぼかされていた。


湊は深く息をつき、心に決めた。

「この秘密を暴くためには、もっと深く潜らなければならない」


その決意が、彼をさらなる危険へと導いていくことを、まだ知らずに――。


資料室の静寂は、時間の流れさえも忘れさせるようだった。

風間湊は膨大な書類の山の中から、一枚一枚丁寧に目を通していく。


その中で、彼の目を釘付けにしたのは、数年前の学園新聞の記事だった。

見出しは大きく「不可解な転校生」と記されていた。

記事には、転校した生徒が不審な理由で突然姿を消したこと、学園側が説明を避けていることが綴られている。


さらにページをめくると、手書きのメモが挟まれていた。

それはかつて警察で記録係を務めた篠崎透の筆跡で、「十九番の生徒に関する調査記録」と題されていた。


そこには、学園での奇妙な出来事、関係者への聞き込み、そして隠蔽工作の痕跡が詳細に記されていた。

だが、調査は途中で打ち切られており、その理由は不明だった。


湊はペンを取り、ノートに自分なりの考察を書き込む。

「誰かがこの事件の真相を隠そうとしている。篠崎先輩の調査も阻まれたのか……」


ふと、資料の隅に押された古い印章に目が止まった。

それは学園の理事会の印であり、何か特別な意味を持つものであることが感じられた。


湊は深い息をつき、資料を閉じた。

「これ以上深入りすると、自分も危険に晒されるかもしれない」

それでも、彼の決意は揺らがなかった。


夜、学園の外灯の下で、湊は一人立ち尽くし、月明かりに照らされる校舎を見上げた。

「真実を、必ず明らかにする――」


その決意は、彼の胸の奥で確かな火となり、冷たい闇を切り裂こうとしていた。


資料室からの帰り道、湊は学園の古びた石畳をゆっくり歩いていた。

夕暮れの空は灰色に染まり、冷たい風が彼のコートの襟を揺らす。


頭の中には資料室で見つけた篠崎透の手書きメモがぐるぐると回っていた。

「隠された真実は、必ず誰かに見つけられる──」

そんな言葉を思い出しながらも、その先輩刑事の死の謎がこの学園と深く結びついていることを改めて感じていた。


だが、同時に自分がどれほど深い闇に足を踏み入れてしまったのかも理解していた。

学園は表面上は平和で穏やかだが、その底には数えきれない秘密と恐怖が渦巻いている。


翌日、湊は再び学園を訪れ、生徒たちの生活を観察しながら少しずつ接触を試みた。

しかし、彼らは皆どこか慎重で、十九番の話題になると口を閉ざすか、視線を逸らすばかりだった。


そんな中、一人の少女が近づいてきた。

「十九番のこと、私も知ってる……」

彼女の瞳にはどこか悲しみと覚悟が宿っていた。


少女は名前を名乗らず、ただこう言った。

「真実を知るのは危険よ。でも、それでも知りたいなら、私が少しだけ教えてあげる」


その言葉に、湊は緊張と期待が入り混じる感情を覚えた。

「頼む。教えてくれ」


少女は一歩引き、囁くように話し始めた。

「十九番の生徒は、ただの名前じゃない。彼らは消された記憶の象徴であり、誰も触れてはいけない秘密のカギなの」


その言葉の重みを噛み締めながら、湊はますます調査の必要性を痛感した。


夜になり、学園の図書館で篠崎の手帳を開いた湊は、改めて決意を固めた。

「真実を暴くために、何があっても諦めない」


彼の背後で、窓の外の闇がゆらりと揺れ動いた。

その影は、これから訪れる困難と危険の予兆だった。


夕暮れの学園は静まり返り、風間湊の足音だけが石畳に響いていた。

彼の手には篠崎透の古い手帳が握られている。

そのページには断片的な調査メモと、秘匿された真実へのヒントが記されていた。


「隠された記録の影にこそ、真実がある」

篠崎の言葉が頭の中で繰り返される。

その意味を理解するにつれ、湊の心は重くなった。


学園のあらゆる場所が、秘密を守るための壁で覆われている。

職員室での警告、生徒たちの沈黙、資料の不自然な欠落。

すべてが、真実を覆い隠すための仕掛けだった。


その夜、湊は学園の裏庭にある古い祠を訪れた。

月明かりが薄く照らすその場所には、多くの手紙や写真、折り鶴が置かれていた。

その中に、「十九番の魂を返せ」「真実を隠すな」と書かれたメモが混じっているのを見つける。


誰が、何のためにここにこれらを置いたのか。

湊は胸の奥で何かがざわめくのを感じた。


翌日、彼は再び生徒会室を訪れ、生徒会長の少女に接触した。

彼女は警戒心を隠せず、十九番の話題を避けようとしたが、湊の強い意志に押されてわずかな情報を漏らす。


「十九番の生徒は“呪われた存在”とされている」

「事件に巻き込まれ、学園がその事実を隠蔽しようとしている」


湊はこの話を受けて、学園のさらなる闇へと足を踏み入れる決意を新たにした。


学園の闇は深く、彼を待ち受ける試練は苛烈を極めることになるだろう。

だが、篠崎透の遺志を継ぐ者として、湊は決して屈しない。


学園の夜は深く静まり返っていた。

風間湊は、図書館の隅にある古い机に向かっていた。

彼の目の前には、篠崎透の手帳と学園の過去の資料が広げられている。


手帳には篠崎が調査中に記したと思われる数々のメモが残されていた。

だが、多くは暗号のようで、具体的な内容を理解するには時間がかかる。


「十九番に関わる者は消される」

「記録が改ざんされている可能性」

「学園の関係者に内通者あり」


篠崎の言葉は、一貫して学園の深い闇を示していた。


その時、図書館の入口が軋む音を立てて開いた。

誰かが入ってきたのかと振り返ると、そこには見知らぬ影が立っていた。


「何をしている?」


冷たい声に、湊は身体を強張らせた。

その影は、学園の教職員でも生徒でもなさそうだった。


「ここで何かを探しているのか?」


問いかける声は、どこか威圧的で、警告のようにも聞こえた。


湊は落ち着いて答えた。

「真実を探しています。十九番の生徒のことを知りたい」


影は一瞬黙り込んだが、やがて低く囁いた。


「深入りするな。これは学園にとって危険な秘密だ」


そして、そのまま姿を消した。


湊はその言葉に怯むことなく、決意を新たにした。

「真実を暴くことこそ、俺の使命だ」


夜の図書館に響く静寂の中で、彼の心は静かに燃え上がっていた。


翌朝、湊は学園の職員室に戻り、さらに情報収集に努めていた。

教職員の誰もが口を閉ざす中、一人の老教師が静かに話し始めた。


「十九番のことか……。あれはただの欠席者じゃない。学園にとって、忌まわしい過去の象徴だよ」

その声は震えていたが、どこか重みがあった。


「忌まわしい過去?」


「数十年前、十九番の生徒が学園内で起きた事件に関わっていた。だが、その真実は封印された。記録も改ざんされて、存在そのものを抹消されたんだ」


湊は言葉を失った。

この学園には、忘れられるべきではない秘密が深く眠っている。


「あなたは、その真実を知ろうとしている」

老教師は湊をじっと見つめた。


「気をつけるんだ。真実を掘り返す者は、必ず報いを受ける」


湊はその言葉を胸に刻み、さらに調査を続ける決意を固めた。


学園の老教師から「報いを受ける」と言われた日の午後。

風間湊は教員棟の一室で、手にした資料のコピーを見つめていた。

そこには数年前に在籍していた複数の“十九番”の記録が断片的に残されていた。


朝比奈遼──

その名前は、やはり一度だけ名簿に現れ、その数日後には削除されている。

理由の記載はない。出席記録も欠席のまま続き、やがて空白になる。


湊は資料の束から一枚のメモを引き抜いた。

「『失踪』ではない。これは『除去』だ」──篠崎透の手書きだった。

その言葉に、湊は背筋が冷たくなるのを感じた。


“除去”。

ただの転校や欠席ではない。意図的に記録から“存在”を消されるという意味。

それは記録係だった篠崎の言葉としては、あまりに重く、深い。


湊はあの日、倉庫で見つけた朝比奈遼の日記を思い出していた。

「誰かが僕を見ている。気づいている。……このままだと、消される」

子供の筆跡で書かれたその文字は、恐怖と諦めを滲ませていた。


彼は一人、学園内の保健室を訪れた。

記録が最も“緩い”場所でありながら、秘密の多くが交差する場所だ。

校医の女性が応対に出てきた。年齢は五十代後半、落ち着いた物腰の人だった。


「朝比奈遼のことをご存知ですか?」

彼女は湊の顔をまっすぐに見つめ、数秒の沈黙の後に口を開いた。


「……その名前、久しぶりに聞きました」

低く、かすれた声だった。


「やはり、彼は実在したんですね?」


「ええ。あの子は実在していました。ただ……いなくなった後は、誰も彼の話をしなくなった」

「誰も?」


「生徒も、教師も。まるで最初から存在しなかったかのように。……けれど、私は覚えている。彼の顔も、声も。あの子は、確かにここにいた」


湊はゆっくりとうなずいた。

そして聞いた。


「彼に、何があったんですか?」


校医はその問いには答えなかった。

ただ、引き出しから一枚の写真を取り出して差し出した。


「これは……?」


「学園祭の集合写真です。三年B組。──あの子は、写っていません。けれど、この時……彼は確かにそこにいた」


写真の端、十九番の座席。

他の席にはそれぞれ生徒が写っている。

だが、十九番の席には、誰もいない──まるで、何かが「抜け落ちた」ような空間。


「誰かが……消した?」


「いいえ。最初から、カメラには写らなかったのよ」

そう言った校医の手は、かすかに震えていた。


写真に写っていない──

それはただの偶然ではない。風間湊の中に、確信に近いものが芽生えていた。


何者かが“朝比奈遼”という生徒を記録から消そうとしているのではない。

彼自身の「存在」が、この学園のどこかで拒まれている。

そうとしか思えなかった。


「この写真、持ち出しても?」

湊が尋ねると、校医はゆっくりうなずいた。


「構いません。……もう、何年も前のことです。私は、あの子を忘れたくないだけ」


湊は写真を受け取り、深く礼を述べた。

その足で向かったのは、生徒指導室だった。


学園内でトラブルや相談の記録が集まる場所。

非公式な記録、破棄された書類──そういうものこそ、誰かの痕跡が残っている可能性がある。


鍵のかかった書棚の背後に、古いキャビネットがあった。

その引き出しをひとつずつ開けていく。


そして──三段目の底に、紙が数枚だけ無造作に放り込まれていた。


『生徒個別指導報告書』

手書きの記録が、歪んだ文字で綴られている。


生徒名:朝比奈 遼

指導日:10月3日

内容:一部の生徒に対して妄言を繰り返す。

「僕は消される」「教室にもうひとりいる」「誰かが声をかけてくる」等の発言あり。

担当教員によると、複数回、教室の出欠カウントが一致せず、机の位置が変わっていた事例も報告されている。

精神的な不安定さが強く、保護者と連携のうえ通院も検討中。

現在は通常授業から一時的に除外。


湊の手が止まった。


「もうひとり……いた?」


この記録が本当ならば、“十九番”の席には別の何者かがいた可能性すらある。

あるいは、朝比奈遼がその“何者か”を見ていた。

その存在が何かを知り、恐れ、そして──消された。


資料の最後には、赤ペンで記された言葉が一行。


※生徒記録は本件をもって一時削除。学園として対応完了とする。


削除。

やはり、すべては“なかったこと”にされていた。


湊は報告書を慎重にファイルに挟み、指導室を後にした。

もう戻れない領域に、足を踏み入れたのだということを、彼は自覚していた。


だが、それでも彼の歩みは止まらなかった。

存在を消された誰かがいたのなら──

記録を辿り、忘れられた真実を掘り起こすのは、自分の役目だ。


夜、ひとり教室の灯を見上げながら、湊はつぶやいた。


「お前は、ここにいたんだな……朝比奈」


まるで応えるように──そのとき、教室の窓に誰かの影が映った。


湊は、息を飲んだ。

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