第二章 狐と手袋

第8話 王女殿下と狐と手袋

 張り詰めた緊張感と煙の中、わたしたちの視界が鮮明になっていきます。煙の濃度が徐々に薄くなっていきました。


 ──見えてきました。


 


 会議机の上の手袋があった場所から、人影がうっすら見えてきました。大きさははわたしと同じくらい?


 あ、わたしとユビとは同じ歳でしたね。それなら人影はユビかもしれませんね。今のところは分かりませんが⋯。


 右手にあの白い手袋をした灰色の狐の獣人の少年が倒れていました。


 目を閉じていて、灰色のモフモフとした耳と尻尾はとても怯えるように揺れていました。


 えー。これが⋯⋯人獣化した、ユビなのですか?


 え? モフモフしててかわいすぎるし、しっぽもフワフワで、顔つきはかっこよす⋯ゲフンゲフン! な、なんでもございませんわっ!


 ⋯それどころではありませんね。


 


「えー。ユビキュンって“キツネさん好き”やったん? 意外やね!」


 レレちゃんが、ほんわかとそう言いました。どうやら彼女にとって彼の狐好きは意外な一面だったようです。


「それって、単にいなり寿司でも好きなんじゃ── あーっ痛ぇ! もう! っめろよー! 暴力反対!」


 レレちゃんの「横っ腹突き」炸裂です! 今度は反対側みたいですね⋯。よっぽど痛いのでしょうか⋯? “イナリズシ”って何でしょう?


 ルルさんはレレちゃんから意図的に離れて、シシさんの側に身を隠します。


「ユビヤードはんは、大乱闘のゲームでキツネのキャラ使ってはったから、なんとなく分かりますわ⋯」


「あーそうだな⋯⋯。俺は狼のやーつだったな。おめーはカモとイヌのやーつだったけ? この魔法ってそういうやーつ?」


「つこうてたけど、そもそも、ワテのうちはイヌを飼うてたんやで。白いフワフワのイヌやでー」


 レレちゃんが話に加わろうとして、ルルさんに近づきますが、二人はだんだん追っかけっこしてるように見えます。シシさんを間に挟んで⋯。


「ウヒは、そのゲームやったことないんげんけど、うさぎちゃん飼っとってん。あとミッフィーちゃんだいしゅき!」


 ミッフィーちゃんとは一体何でしょう? きっとかわいいうさぎちゃんなのでしょう! 気になるー!


「うちは、薄い栗色というか、亜麻色のねこちゃんを飼っていました。だからこんなうちはこんな亜麻色の髪かもですね? てへぺろ☆」


 でました! テラ先生の「てへぺろ☆」です! こんなところで出るとは、不意打ちすぎます! 亜麻色の髪の乙女のリアルタイムてへぺろ☆ ずきゅーん☆ ずきゅーん☆ですよ!


 うーん。こういう話題を聞けば聞くほど、彼らの正体は獣人と言うより、獣人の振りした人間なのかも知れませんね⋯。教会での手続きのために獣人となったとさきほどポロっと聞きましたからね。⋯これは深く聞かないでおきましょう。彼らを守るためにわたしは一切聞かなかったことにしないと⋯。


 とにかく、ユビ自身は、狐が好きな動物なようですね。とにかく彼が動物好きで良かったです。もしも動物嫌いだったらどうなっていたのでしょう⋯。


 それにしても、灰色の狐というチョイス⋯。悪くないです!


「わたしだったら、何になるのかしら⋯」


「今度、王女さまにもやってみたいかもですねー」


 テラ先生は興味津々そうにわたしの髪を撫でました。おっと、これは近日には魔法かけられそうですね?


 そうこうしてると、狐少年は目を開け、青と灰色を合わせたような色の瞳を見せ、ゆっくりと起き上がり座った体制で、話し始めようとしましたが⋯。


「⋯⋯ふっ⋯うー。ケホケホケホ⋯ッ! 喉が痛っ⋯! ケホケホケホ⋯!」


 ユビと思われる狐少年の大きな咳が会議室中に響きました。テラ先生は彼に近づきました。


「大丈夫ですか、指宿くん。うちはテラサキです。テラサキ・ネネコ⋯。覚えてますか?」


 先生は狐少年の顔にかかった灰色の長い髪を整い直しながら、前世の氏名を名乗りました。先生ってそんなお名前だったのですね!



「ううう⋯テラサキせんせー⋯!! うっ、うっ、ゲホゲホ⋯。せんせ⋯たち⋯に⋯僕⋯殺されなくて⋯よかった⋯ほんとに⋯こわくて⋯ケホケホ⋯」


 ユビのこの言葉からわたしは思いました。


 彼は先生たちに殺される覚悟で、無駄な抵抗をせず、ずっと怯えて震えていたのでしょうか⋯?


 彼もまた、魔王の化身なのか、はたまた魔族か、みんな敵だったのか、自分自身を疑っていたのかも知れませんね⋯。


 もしも、魔王の化身などであれば、わたしの護衛として守ることができません⋯。


 彼はテラ先生たちに運命を預ける選択をしたのでしょう。


 


 ああ⋯⋯。ユビ⋯⋯。なんてひとなの⋯⋯!


 


 狐少年となったユビは涙を流しています。それはとてもつらそうな表情です。


 手袋だった彼は、今では思う存分に涙を流せる身体となったことで、わたしはそれを今理解してすごく貰い泣きしそうですが、堪えきれなくて、実は泣いてるかもしれませんが、今のわたしの顔をどうか見ないで頂きたい!


「せんせ⋯ 僕⋯⋯喉⋯いたいです⋯。⋯⋯たすけて⋯ください⋯」


 どうやらユビの喉の調子が悪いようです。まともに喋れないほど激しく咳き込んでいます。あまりの咳込み具合に。ルルさんたちが心配でユビに近づきました。


「おい、レキ、おめー聖女だろ? これは水が必要なやーつか? 俺、水を持ってくるか?」


 さっきまで、追いかけっこみたいなことしてた二人は密着して、テラ先生とユビを見ていました。い、いつの間に??


 聖女さまはわたしたちよりも、立場が上であることをルルさんは理解してるのかしら? ま、知ってて敢えてやっているのでしょうけど⋯。


「なぁーん。ここにウヒ自慢の水筒があるよーん! あれ⋯? ちょい待って!!」


 この「なぁーん」って何ですか?! うさぎさんなのに、ねこさんの鳴き声なのですか? はわわわわ⋯。かわいッ⋯!!


 今、わたしはレレちゃんの「なぁーん」という圧倒的破壊力のあるかわいさに、とてつもなく苛まれていますが、そんなことは誰も知りませんし、言いません! わたしだけのものです! ルルさんごめんね!


 


 レレちゃんは水筒を持ちながらユビの首元を凝視しますが、しばらくすると目を丸くしてこちらを見て言います。


「ユビキュンの喉んとこ、なんか異物っぽいのあれんけど? せんせー! 喉あたり⋯中見て欲しいの!!」


 


 そう言ってレレちゃんはご自慢の水筒を机に置きながら言いました。結構大きい水筒ですな⋯。


 それはそうと、さすがは聖女さまです。身体の中の異物をすぐに察知しましたね。なんてかわいくてやさしくて優秀なのかしら⋯。そら聖女にもなりますわ。


 レレちゃんの指摘で、テラ先生はユビを横にさせ詠唱しながら首元に手を当て、調べています。


 一変して緊迫した表情に、わたしたちも釣られてそうなりました。


 


「あ、⋯ありました! これはかなり、いっけねえです! これは緊急を要するので、今すぐ“オペ”です! 転移魔法で喉にある異物を取る必要があります! とてつもなく慎重で緻密な作業かもなので、みなさんオペ中は静かにしないと危ないかもです!」


 テラ先生はそう言うと、レレちゃんは頷いたあと突然立ち上がって、テラ先生の前から距離を取ってキレイなカーテシをしました。


「聖女レシュノルティア・レープスは、ユビキュン⋯あ、イブスキさまの魔法治療を、テラ・プス先生に全て委ねます!」


 すると、レレちゃんは、テラ先生の手を取って目を潤ませました。聖女さまが魔法の先生にオペを委ねた瞬間です。


「転移魔法を使ったオペは絶対にミスが許されません! わたしには荷が重いです! テラ先生! どうか、おねがい致します!」


 そう言うと、テラ先生はまるで聖女のような笑顔で「泣き虫聖女さまの命なら、しかたないかもですね~」と言い、レレちゃんの藍色の髪を撫でました。


 これだと、どちらが聖女か分かりませんね。 これにはいろいろと事情があってテラ先生は聖女にならなかったんでしたね。


 


 それから、会議室が沈黙に包まれました。突然の大掛かりな治療「オペ」が始まりました。


 


 「オペ」とは、四人の前世の世界に存在する高度な治療技術でしたっけ。普通であれば身体を刃物で開け⋯おうふ。


 魔法であれば転移魔法を使えばいいですが、ホコリよりも小さい単位の座標調整技術が必要です。


 それは向こうの世界でも同様で緻密な作業が求められるようです。他の組織を傷つけないように治療する必要がありますからね。


 確か、「オペ」の日本語発音は、舌足らずなテラ先生やレレちゃんには発音が難しいらしく、みなさん頑なに「オペ」と言ってますね。ルルさんが得意気に連呼してましたが、わたしも発音できるか自信ありませんでした。どんな発音かはもはや忘れましたが。


 テラ先生は丁寧にとてつもなく長い詠唱をして、狐姿のユビを机の上に寝かせて首元をやさしく撫でて眠らせました。


 レレちゃんは両手で口を覆いながら目を潤ませて様子を見守っているし、ルルさんはしっかりとした体つきと無表情なのに腕を組みながら壁側を見てそわそわと落ち着かない様子だし、シシさんは眉間に手を当て深刻そうな表情をしています。せっかく知り合いがこの世界に転生してきて、感動の再開を果たしたのも束の間、こんなことになるなんて⋯と複雑な心境そうです。


 さらに、テラ先生はユビの首元を右手で触りながら詠唱し、握る左手に異物を転移させるようです。


 じっくり何度も首元を触りながら、長い詠唱し、動きを止める──


 この動作をなんども繰り返します。


 朝食の時間からかなり経ったでしょうか──?


 


 んー? どうやらさっきから、こそこそと小声が聞こえますよ。今オペ中ですよ? 静かにしなさいよ⋯男子たちー!


 


「⋯なあ、ルーあにき⋯」


「⋯んだよ? せんせに静かにせい言われたろに⋯ だーってろよ⋯ 黙らんと鉄アレイ食わせるぞ⋯チクワ犬⋯」


「⋯ユビヤードはん。今頃になって、この世界に転生しはったけど、この格好見よるに、やっぱ見た目ワテらより若いでんな⋯」


「⋯そうだな。俺らが向こうであーなったのは同時期だが、ここに転生するタイミングにそれぞれラグあるし、転生先の人間の年齢次第のやーつな⋯」


「⋯ルーあにきと同じクラスの同級生でいてはったのに、今じゃワテが年下になってもうてな⋯」


「⋯まさか俺が、せんせとレキと同級生になるなんてな⋯。おかげでせんせと二人で話してると、あとでレキが怖くてやりにくいやーつ⋯」


「シシシシ⋯」


 


 


「───はいっ!!」


 


 


 唐突にテラ先生の大きな声が会議室に響きました。 小声とは言え、おしゃべり男子たちにあの恐怖の雷が落ちるのでしょうか⋯? ⋯ぶるぶる。


「やっとこさ、完全に取れたかもです!! 意外と大きい異物ですね⋯⋯ よくこんなのが入ってましたね⋯」


 無事にオペが終わったことに、みんなが安堵したような声を出しました。男子たちは別な意味で安堵したことでしょう。 まったく男子たちったら⋯。


 ゆっくりと、テラ先生の左手を広げると中から布のような感触のものが見えてきました⋯。


 


 ええええ?


 


「先生! これって⋯」


「小さい手袋⋯?」


 黒い手袋。光の加減でワインレッドになりました。これは⋯?


 


 あっ⋯!!


 


 わたしがこの世で最も欲しかったものが目の前に現れました。


「えっ⋯ ええっ⋯! うそ⋯? うそ⋯??」


 あまりの出来事に、わたしはもう理性を失ってしまいました。


 もう、わたしの中では時間が止まったような感じ⋯⋯。周りが見えなくなりました⋯⋯。


 


「わああああああああああああああああああああ──」


 


 思わずその小さな手袋を取り上げ、涙腺崩壊とともに大声を出してしまいました。


 ──どう見ても、母がわたしにくれた、片方の手袋でした。


 


 


「⋯ど⋯どうして、こんなところにあったのでしょう⋯?」


 この予想できなかった結果に、テラ先生たちも唖然としていました。


 この時、ルルさんは収納魔法から人数分のグラスを出して、レレちゃんの水筒のお水を注いでいた最中に、わたしの号泣に驚いて、思わず零し欠けてたということを、こののちほど聞かされるのですが、それどころではありませんでした、だってこの通り、わたしは本気で泣いていたのですから。


 白い手袋を獣人化させたら体内から、わたしが紛失した手袋が出てくる展開なんて、誰が予想できるというのでしょうか?


 


 わたしは欲しかった手袋を持ったまま、床に伏せて泣き崩れてしまいました。


 テラ先生とレレちゃんがわたしの側に来て、抱いて撫でてくれます。ハンカチで涙を拭ってもくれます。


 こ⋯。これは、うれしいうれしい。すごくうれしい。いくらでも撫でて下さい! いろんなところ触って下さい! わたしゃ幸せだよ!


 紛失した母からの貰った片方の手袋は見つかるし、わたしの側には大好きな二人の「両手に花」だしで、わたしは胸がいっぱいすぎて⋯。


 わたしは、もうしばらく、泣き止みそうにないです。 さきほどのユビのように必死で泣くしかありませんでした。

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