【大正浪漫百合短編小説】とある女学院で芽生えた禁断の愛~鳥かごの中の二羽が見つけた翼~(約27,000字)

藍埜佑(あいのたすく)

序章:薄雪の記憶

 大正十三年、三月。


 まだ寒さの残る武蔵野の丘陵に、薄雪がちらつく日があった。昨年の九月一日、帝都東京を襲った関東大震災の爪痕は、表向きには復興の槌音に隠れていたが、人々の心の奥底には、まだ癒えぬ痛みが宿っていた。新しい時代への希望と、失われたものへの哀しみが、春霞のように入り混じる季節だった。


 櫻葉女学院は、武蔵野の面影を色濃く残すこの地で、震災の難を逃れた数少ない建物の一つだった。明治三十年の創立以来、旧華族や新興財閥の令嬢たちを育て上げてきたこの学び舎は、赤煉瓦の重厚な校舎と、高く聳える時計台によって、変わりゆく世の中にあって、変わらぬ伝統の象徴として佇んでいた。


 校舎の外壁を覆う蔦の葉は、まだ褐色の冬の装いを纏っていたが、よく見ると、新芽の青い息づかいが、そこかしこに感じられる。長い廊下の奥からは、ピアノの稽古の音が微かに聞こえてくる。シューベルトの即興曲だろうか。その哀愁を帯びた旋律は、春を待つ令嬢たちの心にも、どこか憂いを帯びた響きを与えていた。


 ここは、美徳と献身を重んじる良妻賢母の養成所。同時に、古いしきたりと新しい価値観が、美しくも危うい調和を保ちながら交差する場所でもあった。大正デモクラシーの自由な風は、確かにこの赤煉瓦の壁を越えて吹き込んでいたが、それでもなお、令嬢たちの運命は、家という名の金の糸によって、予め織り上げられた運命の綾錦に縛られていたのである。

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