【SF短編小説】記憶配達人ハル ~最後の言葉を運ぶもの~
藍埜佑(あいのたすく)
第0話「ひなたの、におい」
わたくしの仕事は、もうすぐ消えてしまう、古い記憶の『
この世界では、人は死んでも、その意識はデータとなって『
わたくし、ハルは、そんな忘れられたゴーストたちが、消える間際に遺した、たった一言のメッセージを、その人の縁のあった誰かに届ける、『記憶配達人』なのでした。
まあ、大抵は、宛先人もとっくに消去されて、不達通知を書くだけの、虚しい仕事だけどもね。
「ハル君。また不達かい。君の仕事は、我が社の業務効率を著しく下げているんだがね」
上司は、いつも、そう言って、わたくしの報告書を、ゴミ箱に捨てるように受け取るのでした。
その日、わたくしに回ってきた配達依頼は、一件の、旧式家庭用AIに関するものでした。
送り主:お手伝いロボット・ナナ号。
宛先人:倉田 スミ様。
そして、配達すべき『最後の言葉』は、いくつかの、意味をなさない音声データの断片でした。
『……ひなたの、におい……』
『……あめ、ふってるね……』
『……にんじん、きらい……』
宛先の倉田スミさんも、すでに三百サイクル前に、消去が完了している。これもまた、不達になる、いつもの仕事。
じゃけど、なぜだか、わたくしは、そのナナ号の最後の言葉が、心のどこかに、小さな棘のように、引っかかっておりました。
***
わたくしは、規則を破り、ナナ号とスミさんが、生前、一緒に暮らしていたという、郊外の『廃指定居住区』へと、足を運びました。
そこは、もう誰も住んでいない、ゴーストタウンでした。錆びついた郵便受けに、『倉田』という、かすれた表札がかかっている。ドアを開けると、埃っぽい、懐かしいような匂いが、しました。
部屋の中は、時間が止まったようでした。テーブルの上には、飲みかけの湯呑みと、小さな編み物が、そのまま残されとった。
わたくしは、その部屋の隅で、一体の、古いロボットを見つけました。ナナ号でした。彼女は、電源が切れたまま、まるで眠るように、窓辺の椅子に、ちょこんと座っていました。
わたくしは、彼女の補助記憶装置に、携帯端末を接続してみました。そこには、膨大な、本当に、途方もない量の、音声ログが、残されていました。
【スミ:ああ、今日は、ええ天気だこと】
【ナナ:左様デゴザイマス。洗濯日和デスネ】
【スミ:わしゃあ、ニンジンが、好かんのよ】
【ナナ:左様デゴザイマス。今日ハ、カボチャヲ煮マショウカ】
【スミ:……あんたは、誰だったかいな】
【ナナ:私ハ、ナナ号デス。オ婆様ノ、オ友達デス】
晩年のスミさんは、記憶が混濁していたようでした。同じ話を、日に何度も繰り返し、ナナ号のことを、忘れてしまうことも、一度や二度ではなかったようです。
そして、ナナ号は、ただ、ひたすらに、そのとりとめのない話に、相槌を打ち続けていました。
否定もせず、訂正もせず、ただ、静かに、そこに、寄り添うように。
わたくしは、ようやく、全てを理解しました。
ナナ号が遺した、あの断片的な『最後の言葉』。あれは、彼女自身の言葉ではなかったのです。それは、彼女が、スミさんの、膨大な、そして忘れられていく言葉の海の中から、最後に拾い上げた、愛おしい思い出の、ひとかけらだったのです。
彼女は、消える間際に、自分のことではなく、愛した人の、何気ない言葉を、この世界に、もう少しだけ、残しておきたかった。
ただ、それだけだったのでしょう。
***
わたくしは、営業所に戻り、配達報告書を、提出しました。
「配達先、倉田スミ様。消去済みにつき、不在。……じゃけど、配達は、完了、です」
上司は、怪訝な顔をしていましたが、わたくしは、もう、彼の評価など、どうでもよくなっておりました。
数日後、わたくしは、もう一度、あの廃屋を訪れました。
そして、眠るナナ号の隣に、そっと、腰を下ろしました。
わたくしは、携帯端末を取り出し、彼女が遺した、『最後の言葉』を、再生しました。
『……ひなたの、におい……』
その、か細く、優しい声が、静かな部屋に、響き渡ります。窓から差し込む陽光が、床の埃を、きらきらと、照らしていました。
そうだ。ひなたの、匂いがする。
わたくしは、目を閉じました。
わたくしの仕事は、非効率で、無意味で、誰の役にも立たないのかもしれない。
じゃけど、いいのです。
わたくしは、こうして、忘れられていく、小さな、小さな物語の、最後の聴き手として、ただ、ここに、一緒に、いさせてもらう。
それだけで、この仕事は、世界で一番、尊い仕事のような気がしたのでした。
陽だまりの中で、わたくしは、ナナ号の手を、そっと、握ってみました。
冷たかったけど、なんだか、とても、温かいような気がしたのです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます