リビングは相変わらず綺麗に保たれていた。中央のガラステーブルには、白のテーブルクロスがかけられている。その向かいには、広々としたオープンキッチンがあった。


「座ってお待ち」


 操は2つある椅子のうち、1つを引いた。促されるまま、良はおずおずと椅子に腰かける。


 良が座ったのを見届けると、操はキッチンへ向かった。やかんを取り出すと、水を勢いよく注いでいく。


 やかんが水でいっぱいになったのだろう。今度は火にかけていく。沸騰を待つ間に、食器棚からティーポットやカップアンドソーサーを2客取り出し、並べる。


 並べられた茶器を見て、良は操が紅茶を淹れようとしているのに気付いた。見慣れない工程に、ふさぎ込んでいた心が浮上していく。眠気覚ましにコーヒーを飲むことはあっても、紅茶はない。操がテキパキと紅茶を淹れる様子が、良の目には新鮮に映った。


 水がお湯に変わったタイミングで、操はやかんを火から取り上げた。ティー ポットに湯を注いでいく。静かなリビングに、タイマーをセットする音が響く。


 良が背を伸ばして様子を窺っていたからだろう。ふと操と目が合った。子どもみたいな真似をしていたのが恥ずかしく、視線を逸らしたくなる。


「気になるならおいで」


 思いのほか優しい声で操は言った。良は素直にうなずき、操の隣に歩み寄る。


 タイマーが鳴った。操はティーポットの湯を捨てる。代わりに、ティーポットに茶葉を4杯分入れた。茶葉が入っている缶には「ダージリン オータムナル」と書かれている。


「……先にお湯を注ぐのは何で?」


 沈黙が気づまりで、良は先程から抱いていた疑問を尋ねた。操は20~30センチ上からティーポットに湯を注いでいる。下に沈んでいた茶葉が一気に水面まで上がってきた。操はティーポットにふたをし、上からカバーをかぶせる。


「ティーポットが冷たいと、せっかく湯を注いでもすぐ冷めてしまう。先に湯を注いでおけば、温かさを保てる」

「なるほど。一工夫なんだね」


 操は答えながら、上に3とかかれた砂時計をひっくり返す。口調は淡々としていたが、不思議と冷たさは感じない。納得する良の横で、操はカップに湯を注ぎ、再びタイマーをセットした。心地よい沈黙が2人の間に流れる。


 砂時計の砂が全部落ちた。間を置かずに、タイマーも鳴った。操はカップの湯を捨て、常温の牛乳を多めに注ぐ。覆っていたカバーを取り、右手でティーポットを、左手でステンレス製の茶こしを持つ。


「これは?」

「ティーストレーナー。小さな茶葉がカップに入るのを防ぐのに使う」


 操はティーカップの上から紅茶を注いでいく。ティーストレーナーに茶葉が溜まるにつれ、牛乳の色が淡い茶色に染まる。ミルクティーの完成だ。


「良。ミルクティーをテーブルに運んでくれるかい。私は茶菓子を準備するから」

「う、うん!」


 操からお盆を受け取り、カップアンドソーサーをのせて運ぶ。紅茶をそれぞれの席に並べたところで、操が茶菓子を持ってきた。皿の上には、マドレーヌが2枚置かれている。


「冷めないうちにおあがり」

「じゃあ、いただきます」


 良はおずおずと紅茶に手を伸ばす。途端に牛乳のまろやかな香りが鼻孔をくすぐった。遅れて、ダージリンの爽やかな香りがほのかに存在を主張する。


 これまで雑に淹れてきたコーヒーとはまるで違う。丁寧に時間をかけた物特有のかぐわしさに、良は目を瞬かせる。


 カップを傾けて、ミルクティーを一口含む。広がったのは牛乳の甘みと、ダージリンの渋み。正反対でありながら、2つは見事に調和している。


「おいしい……」


 思わず正直な感想が漏れる。正面に座る操が目を細めた。その眼差しは慈愛に満ちている。


「食べられるなら、マドレーヌもお食べ」

「ありがとう、おばあちゃん」


 勧められるまま、マドレーヌを口に運ぶ。ほんのりと甘い味わいは、ミルクティーとの相性抜群だ。紅茶を飲むペースが自然と上がっていく。良の体が、心が温まっていく。


「おいしい」


 頬に熱いものが伝った。操の姿が涙によって揺らぐ。彼女は何も言わなかった。黙って、良の声に耳を傾けてくれている。


「ほんとに、おいしい……!」


 涙があふれて止まらない。嗚咽交じりの声で何度も「おいしい」と繰り返す。丁寧に淹れられた紅茶も、わざわざ出してくれたマドレーヌも、それらをじっくり味わう時間も……。全てが「無償の愛」という名のぜいたくで彩られていた。


 家出をしたものの、良は家族を愛している。家族もまた、良を愛している。ただ、それは役割ありきの「有償の愛」だ。何の見返りも求めない愛情ではない。


 でも、操は違った。ティーカップに紅茶を注ぐように、丁寧に、時間をかけて、穏やかな愛情を示してくれる。その心地よさを、良は初めて知ったのだ。


「これぐらいなら、いつでもしてあげるよ」


 泣き続ける良に、操が緩やかに微笑んだ。天気について話すような何気ない口調で付け加える。


「あんたは『良い子』だからね」


 操が口にする「良い子」の、何も求めていない透明な響きに、良は一層涙を流す。困ったように笑いながら、操はティッシュを差し出してくれた。

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