たぶんあいつは、くさくない

私が高校生の時、バイト先でナカやんという友達ができた。

学校と性別こそ違うものの同い年で、なんとなく馬が合った私達はすぐに意気投合し、休日には互いの家を行き来するほど仲良くなった。

ナカやんは人懐こいというかチャラいというか、とにかく人好きのする雰囲気を醸し出している人で、そしてとてつもなく、アホだった。

これは、ナカやんと私の青春の思い出の話だ。


「今日、バイト終わったら肝試しいってくるよ。」


夏休みのある日に電話をしていると、ナカやんは嬉しそうにそう言った。

その日の肝試しには彼が密かに想いを寄せていたバイト仲間のアヤちゃんが一緒に行くことになっているそうで、その時のナカやんの浮かれようと言ったらすごかった。聞いている私が逆に無表情になるくらい、彼が電話の向こうで鼻の下を伸ばしていることが想像できる。

それでも友達が楽しそうなのは良いことだし、肝試しの話は聞きたい。私は、いってらっしゃい!と言ってその電話を切ろうとした。

しかしだ、ナカやんは、え?行かないの?などと言ってくるではないか。


「え、なんで?」

「行ってくるよ!って言ったじゃん、ちよちゃんも行くんだよ」

「行ってくるよって、そういう感じ?私も一緒に行ってくるよってことだったの?」

「うん、だから電話したんだって、ノリ悪いな!ちよちゃんどうせ暇でしょ、21時にカワダさんの車で迎えに行くから。」


なんとも腹が立つ決めつけと共に、ナカやんは電話を切った。今日は弟を捕まえて、一緒に全力でゲームしようと思ってたんだけどなあと思うと、盛大なため息が出た。

先ほどナカやんの電話で名前が登場したカワダさんとは、私たちのバイト先の先輩の大学生だ。彼もまた、アヤちゃんを好きなのではないかという説が私の中でホットなトピックになっていた。

なるほどナカやん、アヤちゃんにちょっかいを出すカワダさんのお邪魔虫をしろってことだね、いいじゃねえか任せろ。

かくして私は、突然提案された行き先もわからない肝試しに同行することになった。


指定された21時より5分くらい早く、みんなは私を迎えにきた。肝試しに行ってくる!と元気に家を出る私に、父は呆れた視線だけをよこした。

父は自分がおびただしい数の怪異に遭遇してきているからか、肝試しの類に否定的だ。わざわざ触りに行く人の気が知れないという趣旨のことを話していたのを、昔聞いたことがある。

そんな父にあばよと手を上げ、私は家を出た。カワダさんの愛車の後部座席にはアヤちゃんとナカやんがしっかり座って2人の世界に入っていたので、カワダさんに心から同情しながら助手席に乗り込む。私が3人に簡単な挨拶をすませると、すぐに車は夜の街を走り出した。


「今日はどこ行くんですか?」


私が尋ねると、カワダさんはタバコに火をつけながら、そうだなあ、と少し考えるそぶりを見せた。行き先決めてなかったのかよと思いつつ、彼の言葉の続きを待つ。


「ちよちゃん、Y町に廃ラブホテルあるの知ってる?そこがいいかなと思うんだけど」


カワダさんが候補として挙げたのは、隣町にある潰れたラブホテルだった。ボイラー室で自殺者が出たと噂になっている、地元では有名な心霊スポットだ。知らないわけがないだろう。そこなら片道一時間くらいで着くし、たぶん大丈夫だろう。私は頷いた。

それからは近郊の心霊スポットやネットで話題の怪談、それからバイト先の上司の愚痴なんかで車内は盛り上がった。

ナカやんとカワダさんとアヤちゃんの三角関係は気になるものがあるが、基本的に私たち4人はバイト先で特に仲が良いのだ。会話は弾み、そこにつくまではあっという間だったように思う。


しかし怪異は容赦なく、私たちに迫っていた。


はじめに異変が起きたのは、カーナビの音声案内だった。廃ラブホテル付近を住所に設定して、もうあとごくわずかで着きそうというところで同じ道ばかりを案内されて、私たちはぐるぐる回る羽目になった。

これでは、いつまで経っても目的地にたどり着くことができない。

単に衛星とかの問題なのか、あるいは…なんて考えているうちに、運転しているカワダさんの眉間には深めの皺が刻まれ始めた。さて、どうしたものか。

そんな時に限って事態は必ず悪い方向に進むもので、同じ道をぐるぐる走って3周目くらいだったと思う。音声案内に、奇妙なノイズが混じり始めたのだ。


「…なんか変だな。待って、住所入れ直してみるわ。」

カワダさんはY字路の分かれ道の手前で路肩に車を停めて、なにやら携帯電話を片手にナビをいじり始めた。アヤちゃんもナカやんもおかしな空気を察したのか無言で、車の中は一気に静かになった。

私は屈んでナビを操作するカワダさんの頭越しに、窓の外に広がる景色を眺めてみる。暗闇の中にぽつんと佇む見覚えのある建物。さっきから案内され続けているY字路の右側に入った先に所在なさげに立っている、右折禁止の看板までハッキリ見える気がした。

なんというか、怖いというか心もとない空気だ。ナカやんはあくび交じりに、ナビ壊れた?などとカワダさんに聞いていて、カワダさんは、わかんねえ、と首を傾げる。

そんなやり取りを数分続けた時だった。

ナビは突然、ぽん、という起動音を上げ、音声案内を再開した。


「300メートル先左です300メートル先左です300メートル先左です300メートル先左ですお疲れさまでしたお疲れさまでした300メートル先左です目的地はお疲れさまでした」


カーナビを覗き込んでいたカワダさんが、うわっ、と言いながらのけぞった。ちらりと後部座席を振り向いてみると、運転席の後ろでアヤちゃんが青ざめて泣きそうになっている。

私は内心で冷や汗をかきながら、つとめて冷静を装って案内終了ボタンを連打しまくった。

しかしカーナビ側は全く動じることなく、ひたすら300メートル先を左であることへの案内と、お疲れさまでしたという労いを投げかけてくる。

音量を下げようともしてみたがそれも徒労に終わった。車内には狂ってしまったカーナビの音声が響き渡り、私たちは4人揃って押し黙っていた。

…目的地についてすらいないのにこれほどの収穫があるとは。私は、有名心霊スポットというものの格の違いを見せつけられた気がしていた。

さらに、私は気づいてしまった。これは目的地に到着する直前に流れるアナウンスだ。ということは、まだ着いているわけではない。それはそうだ、目的地の心霊スポットにたどり着けていないのだから当然のことだろう。

でもこれは、本当に「私たち」が目的地に向かっている途中と解釈したまま終わっていいものなのだろうか。なんだか違う気がしてきてしまう。

むしろ「目的地」こそが私たちで、なにかが300メートル手前からこちらに向かって左折してくるんじゃないかなんて余計なことを想像してしまって、私は顔だけ無表情で、しかし実際は歯がガチガチ鳴るほど震えていた。私の斜め後ろではアヤちゃんが泣いている。

怖い。でも、なんとかしなければ。

ナビは相変わらず狂った音声を垂れ流し続けている。

この場を離れた方がいい、私はそう言おうと思って、運転手のカワダさんのほうを見た。しかし彼は女の子のように運転席に縮こまり、震えながら涙目で座っている。かわいいかよ。いや、違うわ。しっかりしてくれ。

運転手がこのありさまであるうえに、市街地だというのに不自然なくらい周囲を通る車もいない。

周囲は商店みたいなところが多いのか、この時間にはもう閉店しているようだった。

街灯以外に明かりがない道路の路肩で、私たちは完全に孤立していた。


どうするべきか、ここは父に、いや、でも、やつは寝ている。絶対にだ。

いわゆる「詰み」の状況だった。カーナビの音声はいつの間にか「目的地はおつかれさまでした」を繰り返すのみになっていて、後部座席のアヤちゃんはもうパニックに陥っている。

これ以上ここにいるのは、間違いなく危険だ。

最悪、カワダさんを引きずり降ろして自分が運転するしかない、免許ないけど。

…そう覚悟を決めた時だった。

真後ろにいるナカやんが、なんとなく緊張感に欠ける大声で、ウワー!と言うが早いか、窓に向かって何かを噴射し始めたのである。

直前までの恐怖のピークはどこへやら、車内の空気はゆるむ状態を突き抜けて、全員が目をくりくりさせてキョトンとしていた。

どうやらナカやんは、開いた窓の向こう側に向かって後部座席に置いてあった消臭スプレーを噴射しているようだった。彼が突然そんな奇行に走った理由は皆目見当がつかない。恐怖のあまり狂ったのだろうか。


直前まで狂った音声アナウンスを流し続けていたカーナビですら、いつの間にか沈黙していた。


焦りや恐怖から解放されていったん落ち着くと、襲ってくるのは気恥ずかしさでしかない。

私たちは一様に押し黙った。カワダさんが無言のまま車を発進させる。

そうしてその場を去ろうと動き出した車の窓の向こうの景色を見た時、私は戦慄した。

そこにはボロボロの服に身を包んだ、ひとりの女性が立っていたのだ。しかしその女性はなぜか顔を押さえて、長い髪が乱れるほど頭を振りながら苦しんでいる。

顔を押さえた手の隙間から時折、ぎょろりとした目が見え隠れしていた。まともに遭遇してしまっていたら、とてつもなく怖い顔をしているのだろうと容易に考えついた。

おそらく、あれが私たちを目的地にして近づいてきていたのだろう。あのままあそこに留まっていたらどうなっていたことか、想像するだけで恐ろしい。

しかし現実はどうだろう、ひょろりとした身をかがめながら、女は顔を庇ってもがき苦しんでいるではないか。

その姿は昔、弟がみかんの皮をむいていた時に汁が目に入ってしまった時の苦しみ方に妙に似ていて、だんだん恐れよりも同情心というか、親近感というか、何ともいえない気持ちが湧いてくる。


…私はなんとなく、バックミラー越しに真後ろの男の顔を見た。ナカやんはなぜかどこか、謎の達成感に満ちた清々しい顔をしている。お前さてはあれだなコレ、やったな。


私はなんだか笑えてきてしまった。カワダさんとアヤちゃんはまだ呆然としているのか、無言だ。しばらく黙って泣いていたアヤちゃんは小さな声で、おなかすいた、と呟いた。

それに対して、どこかに寄ろう、と答えるカワダさんが近くのお店を探そうと、カーナビの画面を指でなぞって、現在地から少し動かした時だった。

音声案内の起動音が、ポン、と鳴り響いた。私たちは先ほどまでの恐怖を思い出してしまい、反射的に身構える。

しかし緊張感に対して、聞こえてきた音声は消え入りそうなほど小さいものだった。


「目的地は今度にします、お疲れさまでした」


それは機械的ではあったが、どこか諦めが漂う悲しげな言葉だった。怖がらせるためにあんなに煽って、意気揚々と登場したのに出会い頭で消臭スプレーを噴射されては、それもそうだろう。

相手も元々は人間だったのだ。悲しかったに違いない。


それと同時に私は思った。ナカやんは、いずれ世界を救う大物になると。


私はナカやんとアヤちゃんの結婚式の招待状を握りしめながら、そんなひと夏の体験を静かに思い出していた。

そことそこが結婚するなら、私とカワダさんの間になんかあっても不思議ではないというのに、アヤちゃんにフラれたカワダさんは、普通に大学の同級生と交際を始めてのちに結婚した。なんて薄情な男だ。

取り残されたような気がしなくもないけれど、私は口元を緩めて、濃い目の筆圧で出席の文字をマルで囲むのであった。

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