【資料281:3年1組の教室にて(相沢のウェアラブルカメラ映像記録)】

日時: 2076年6月5日 午後2時頃


(映像は激しく揺れ、相沢の荒い息遣いが聞こえる。錆びたフェンスの破れ目を抜け、草の生い茂る校庭を横切り、割れた窓から校舎へ侵入したことがわかる)


(薄暗い廊下を進み、「3年1組」のプレートが残る教室のドアを、軋む音を立てて開ける。埃っぽい空気の中に、チョークの匂いが微かに残っている。教室の中央、朽ちかけた机と椅子が並ぶその場所に、一人の初老の女性が窓の外を眺めて、静かに座っていた)


相沢: (息を切らしながら)あなたが……『最初のバグ』か?


女性: (ゆっくりと振り返る。その顔には見覚えがあった。興信所の報告書にあった写真、元3年1組の高橋美咲だ)……バグ。ええ、そうかもしれません。あるいは、こう呼ぶべきでしょうか。私は、この畑にたった一本だけ咲いた、『変化アサガオ』です。


相沢: 変化アサガオ……?


高橋美咲: 江戸時代に流行した、突然変異のアサガオです。本来の形とは違う、奇妙で、歪で、美しい花を咲かせる。東郷先生の畑は、全員が同じ形、同じ色に咲く、完璧なアサガオを求めました。でも、私の心の中にだけ、どうしてもシステムが処理できない、たった一つの強い記憶が残り続けたのです。


相沢: 記憶……。


高橋美咲: 夏休みの、祖母の家で食べたスイカの味。風鈴の音。家族の笑い声……。半世紀前、私の絵日記に描いた、あの記憶です。集合意識は、それを非効率な感情的ノイズとして消去しようとしました。でも、消えなかった。その記憶が核となり、私は「私たち」の中で、「私」を保ち続けたのです。ずっと、同調しているフリをしながら。

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