第2話「広報炎上、記者も空中戦」

 魔法省で働き始めて三日目。私はようやく空中移動魔法のある日常に慣れ始めていた。


 朝のコーヒーを淹れながら、オフィスの窓から霞が関の空を眺める。今日も人々が宙に浮いている。最初は驚いたけれど、見慣れてしまうものだ。


「おはようございます、つばさちゃん」


 文鳥山ぶんちょうやま先輩が、いつものようにお菓子を食べながら現れた。今日はどら焼きだった。


「おはようございます。今日の情報はいかがですか?」


「うーん、昨日より空中衝突が減ったわね。みんな慣れてきたみたい。でも新しい問題が」


 文鳥山先輩はどら焼きを一口かじってから続けた。


「ペットの飼い主から苦情が殺到してるの。犬や猫が高所恐怖症になっちゃったって」


「それは...大変ですね」


 私がメモを取っていると、慌ただしい足音が聞こえてきた。


「つばささん!」


 のぞみさんが駆け寄ってくる。いつもの美しい声に、今日は少し焦りが混じっていた。


「どうしたんですか?」


「今日の記者会見、大変なことになりそうなんです」


 のぞみさんは資料を抱え直した。その手がかすかに震えている。


「記者さんたちが、空中での質問に慣れてきちゃって」


「それは良いことでは?」


「違うんです。空中でメモが取れないから、全部動画撮影になったんですけど...」


 のぞみさんは困ったような表情を浮かべた。


「記者さんたちが宙返りしながら質問してくるんです。『国民が空中で働けない問題について、魔法省はどう考えているんですか』って、逆さまになりながら」


 私は想像して、思わず笑いを堪えた。


「笑い事じゃないんです!」


 のぞみさんの声が一オクターブ上がる。


「私も答えてる最中に回転しちゃって、昨日は『対策を検討し、くるくるくる』って言っちゃったんです」


「それは...」


「ネットで『魔法省、回転しながら答弁』って動画が拡散されてるんです。再生回数五十万回超えです」


 私は慌ててスマートフォンを確認した。確かに動画があった。のぞみさんが空中で回転しながら真面目に答弁している姿が映っている。コメント欄には「真面目に回ってて笑える」「でも一生懸命で好感度高い」などと書かれていた。


「でも、悪い反応ばかりじゃないみたいですよ」


「そうなんです。それが余計に困るんです」


 のぞみさんは頭を抱えた。


「今日は『もっと面白い答弁を』って要求されそうで」


 その時、課長が現れた。いつものように胃薬を手にしている。


鴬谷うぐいすだに君、今日の会見の準備はどうだ?」


「課長、実は...」


 のぞみさんが昨日の顛末てんまつを説明すると、課長の額に青筋が浮かんだ。


「記者会見がエンターテイメントになってどうする」


「申し訳ありません」


「いや、君が悪いわけじゃない」


 課長は胃薬を口に放り込んだ。


「燕野君、君も会見に同席してくれ」


「え、私がですか?」


「新人の視点で気づくことがあるかもしれない」


 三十分後、私は屋上に設営された臨時記者会見場にいた。


 空中に浮かぶ記者たちが、カメラを構えながら宙に浮いている。その光景は、やはり慣れることができない。


「それでは、空中移動魔法施行三日目の状況について説明いたします」


 のぞみさんが資料を持ちながら、ゆっくりと浮上した。記者たちも高度を合わせる。


「現在までに報告されている事案は...」


 その時、突風が吹いた。


 記者たちが一斉に流された。のぞみさんも資料を握りしめながら、横に押し流される。


「あの、風で聞こえません!」


 記者の一人が叫んだ。


「もう一度お願いします!」


 のぞみさんは必死に元の位置に戻ろうとしたが、また風に流される。


「空中移動魔法の、えーと、状況は...」


 私は地上から見ていて、これではまともな記者会見にならないと思った。


「のぞみさん!」


 私は大声で呼びかけた。


「一度、地上に降りて説明してはどうでしょう!」


「でも、記者さんたちが空中に...」


「記者さんも、着地して質問した方が正確に報道できるんじゃないでしょうか!」


 私の提案に、記者たちがざわめいた。


「確かに、メモも取れないし」


「動画だけじゃ、細かいニュアンスが伝わらない」


 記者たちが次々に着地し始めた。のぞみさんも安堵の表情で地上に降りてきた。


「改めまして、空中移動魔法施行三日目の状況について説明いたします」


 今度はしっかりとした声で説明が始まった。記者たちも真剣にメモを取っている。


「質問があります」


 手を挙げたのは、ベテランらしき記者だった。


「空中移動魔法によって、従来の交通機関への影響はいかがでしょうか」


「現在、鉄道各社からは乗客数の減少が報告されています。特に満員電車の緩和効果は顕著で...」


 のぞみさんは落ち着いて答えた。空中での慌ただしさがうそのように、いつもの美しい声が響く。


「追加質問です。ペットの高所恐怖症について、魔法省としての対応は?」


「こちらにつきましては、獣医師会と連携し、ペット向けの高度制限ガイドラインを策定中です」


 私は感心した。のぞみさんは地上でなら、とても有能な広報官だった。


 会見が終わると、記者たちも満足そうに帰っていく。


「つばささん、ありがとうございました」


 のぞみさんが深々と頭を下げた。


「当たり前のことを言っただけです」


「でも、気づけませんでした。空中での会見が当然だと思い込んでいて」


 課長も近づいてきた。


「燕野君、良い判断だった」


「ありがとうございます」


「君のような常識的な視点が、この職場には必要だ」


 オフィスに戻ると、文鳥山先輩が新しい情報を持ってきた。


「お疲れさま。今日の会見、ネットでも好評よ」


「そうなんですか?」


「『魔法省、ついに地に足をつけた広報』って記事になってる」


 私たちは笑った。


「でも」


 文鳥山先輩がせんべいをかじりながら続けた。


「明日から新しい問題が起きそうよ。高度制限の要望が各方面から来てるの」


「高度制限ですか?」


「そう。『うちの地域は十メートルまで』とか『病院の上空は飛行禁止』とか」


 私は窓の外を見た。空中を移動する人々が、いつもより低い位置を飛んでいるような気がした。


「でも、それって法律に書いてないですよね?」


「そうなのよ。法律は『空中を自由に移動できる』としか書いてない。高度制限については何も」


 のぞみさんが首を振った。


「また説明が大変になりそうです」


 課長が胃薬を取り出しながら言った。


「法律の文言がシンプルすぎるんだ。良かれと思って簡潔にしたんだろうが」


 私は思った。魔法を法律で制定するって、こんなに複雑なことなんだ。


 議員の先生方は国民のためを思って法案を作る。でも現実に実施してみると、想定していなかった問題がどんどん出てくる。


 そして、その問題に対応するのが私たちの仕事。


「燕野さん」


 のぞみさんが声をかけてくれた。


「今度、一緒にお昼食べませんか?同期だし、色々お話したくて」


「ぜひ、お願いします」


 私は答えた。少しずつだけれど、この職場に馴染んできている自分を感じていた。


 窓の外では、今日も小さなツバメが飛んでいる。空中移動魔法の人々の間を、自然に、優雅に飛んでいた。


 本物の飛び方って、こういうことなのかもしれない。


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次回:第3話「お年寄り救助大作戦」

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