第25話 約束の場所へ
「着替えくらい出来るが」
あくまで問題は下履きにある。そう言いたいらしいアドルフに、エイラはもう我慢が出来なかった。笑いを堪えながら口を挟む。
「それ、敢えて開いているのです」
「なんだと?」
「尾を出すようにって」
穴はちょうど尾が出るあたりに開いている。言われればすぐに納得できる場所だ。
さっとアドルフの顔色がさっと赤くなった。そんな様子はなんだかかわいいと思ってしまう。
「し、知っていた! 少し冗談を言っただけだ」
エイラはまるで姉のような気持ちになりながら、尋ねた。
「でも履きかたはわかりませんよね?」
「特別な履きかたなどないだろう」
「留金があるのですが、本当におひとりで出来ますか?」
普段は鬱陶しいくらい世話を焼く者がいる国王だからこそ、こういう時に何気ないことができないものだ。
その時再び扉が叩かれた、ニーナが確かめに行くとオーティスが入ってくる。どうやらアドルフの警護を担当しているらしい。
「失礼します、会議の前になにか御用があると」
「もう少しかかるから、外で待っていろっ」
オーティスの背後に揺れている尾を見たエイラは、そうだと思い付く。彼ならば尾の扱いには慣れているし、なにより力になってくれるはずだ。
エイラはアドルフに向かって小声で促した。
「こういう時こそオーティス様を頼られたらどうですか?」
「な、そん、ぐっ!」
しかしアドルフは、嫌だと言わんばかりに口を引き結んだ。
「一体どうしたのですか?」
ニーナが我慢できないといわんばかりの様子で前に出た。本来はエイラ付きの侍女だが、やはりこの部屋ならではの力関係があるらしい。
「いつまでもその恰好ではいられません、陛下もいい機会ですから、尾の扱いに慣れてくださいませ」
はっきりそう言うと、ニーナは扉の傍で控えていたオーティスのほうへ向かった。
アドルフが止める前に、声を掛けながら手招きする。
「オーティス様、ちょっと」
「ま、待て、呼ぶな! お前がそっと教えて……」
「ん? 一体どうしました?」
呼ばれたオーティスが近寄ると、小柄なニーナは顔を真上に向けるように見た。二人はそのくらい身長差がある。
ニーナを見ているオーティスは、心当たりがないらしく不思議そうに首を傾けた。
「陛下の着替えを手伝って下さいませんか?」
「俺が? 侍女だっているだろう、人手が足りないなら誰か呼べばいい」
「陛下は、尾の扱いを知らないのです」
そういってアドルフを示す。
オーティスは状況が良く分かっていないらしく、曖昧な返事をした。彼の中では尾は常にあるものなので、思いもよらないことなのだろう。
アドルフは慌てた様子で言い返す。
「俺だってそれくらい、し、知っている!」
この状況がなんだか面白く思ってしまっているエイラはつい口を挟む。
「さっき下履きに穴が開いているから取り替えろと仰っていました」
エイラの言葉を聞き、それから首を伸ばすようにして下履きからはみ出ている尾を見て、オーティスはようやく状況を把握したらしい。背を丸めるようにして笑い始めた。
「おい、笑いすぎだ、オーティス」
「大丈夫です、すぐ覚えられますよ、兄上」
アドルフはむすっとした表情を浮かべている。それでもそれは誰かに対し怒っているわけではないという雰囲気はわかる。
オーティスがほらと促すと、素直に隣の部屋に向かった。
そんな様子は少し前までは考えられなかったろう。
思わずくすくす笑っていると、ニーナがエイラのほうを向く。
「エイラ様も、きちんと食事をして医師の診察を受けてください」
「ええ、分かっているわ」
それから無事に着替えられたらしいアドルフは、慌ただしく仕事へと向かった。
エイラは医師の診察を受けたが、三日間眠っていた割には健康状態も良好だと診断された。食事も翌日からは、普段通り食べている。
アドルフはエイラが目覚めたその日にすぐ、部屋から書物と書類を片付けた。長椅子も机も今はもうきちんと片付けられた状態に戻っている。
見慣れた部屋なのに、それが静かで寂しいと感じてしまう。
「駄目です! もうエイラ様だってばれているのですから!」
ニーナは目尻をつり上げて窓の前に立っている。絶対に譲らないという姿勢で、エイラを阻んでいた。
「ほんの少しだけよ」
首を傾けてなんとかその場所を通れないかと頼んでみる。だがだめだと首を横に振られてしまう。
あれからアドルフは部屋を片付けて、いつも通りの政務に戻ってしまった。彼に会うことはないし、エイラの日々の暮らしに変化もない。
退屈を持て余していたエイラは、少し散歩に出ようと窓を開けたところでニーナに見つかってしまったのだ。
「外出を希望するならば、私がその旨説明をして許可を取ります」
「城から出たいわけではないわ、お庭を散歩するだけよ」
「獣化して窓から出ることが問題なのです、庭の散策ならばきちんと許可を取ったうえで、私と護衛がご一緒します」
そんなの面倒なだけではないか。エイラは拗ねたような表情でニーナを見た。
あの砦の事件の帰りに三日眠り続けてから、ニーナは特に過保護に接する。
庭の散歩で我慢をするか。
そこが妥協点ならば仕方ない。エイラがそう思った時、部屋の扉が叩かれた。
「ニーナ、誰か来たみたいよ」
「……」
さすがに来訪者がいるのに窓から出たりしない。そう視線で示すと、ニーナは扉へと向かった。
来訪者はエイラに用事があるわけではないのか、扉を開けた状態でニーナと話をしている。すぐに会話は終わり、扉は人を通すこともなく閉められた。
「一体誰だったの?」
「陛下からの伝言だそうです、エイラ様と二人で話がしたいとおっしゃっていると」
「私を呼んでおられるのね」
そうなると以前も呼ばれた執務室だろう。
もしかしたら、コレルト国やダネスの扱いが決まったのかもしれない。エイラに話があるとしたら予想するにそのあたりだろう。
「いえ、あの場所で話がしたい、そう伝えればわかるとのことです」
「あの場所?」
この城のなかで、エイラとアドルフが揃ってあの場所と思い浮かべられる所は限られている。おそらくアドルフが待っているのは、あの獣化して出会った森の中だ。
「陛下が呼んでいるなら仕方ないわ」
エイラは機嫌良く笑いながら、窓を開けた。ニーナがしまったと言わんばかりの表情を浮かべたが気にしない。
「エイラ様! 護衛を呼びますから廊下から人の姿で行ってください!」
「じゃあ行ってくるわね」
ニーナがなにか言っているが、エイラは気にせずスカートの裾を押さえながら開けた窓に乗る。力を調整して獣化をしながら、窓から降りた。
壁から木を伝って降り、そのまま裏庭を駆けていく。向かった場所は、城の中でも特別な区画だ。
聖域と呼ばれる森は、城で使われる貴重な薬草の栽培などもしているらしい。
森の奥には王家の人間が儀式に使う小さな聖堂もあるようだ。エイラもさすがにそこまで深く立ち入ったりはしない。
(あの場所といったらここしか思い浮かばないけれど……)
目的地は森を進んだところにある、陽が差し込んでいる場所だ。ここでエイラは獣化した姿でアドルフと会っている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます