第22話 獣王の力

 強い力が弾けるように渦巻き。アドルフの姿が変わる。

 オーティスもそれなりに大きな狼の姿をしていたが、アドルフはさらに大きく強い力を発していた。


 誰よりも強く逞しい咆哮が部屋の隅々まで響く。その勢いに壁も震えている。


「アドルフ様、さあ、行ってください!」


 その姿は、青黒い毛並みに金の瞳を持った王たる狼だ。

 再び咆哮を響かせると、アドルフはエイラが蹴破った窓から出た。身軽な動きで、難なく砦の壁を駆けて行く。羽根でも付いているのではないかと思わんばかりの身のこなしだ。


 エイラはバルコニーに出てその姿を目で追った。力は全てアドルフに使ってしまったので、すぐには降りることは出来そうにない。

 だが獣王のその神々しい姿は、はっきりと見えていた。


 アドルフは、剣を振るっていたオーティスのすぐ傍まで駆けて行くと、あっという間に相手の兵を打ち倒していく。残っている兵は、彼が睨むだけで腰を抜かしている。

 そうなるともう勝敗は歴然だ。


「ご無事でなによりです、陛下っ!」


 牙を剥き出しながら堂々と立ち振る舞うのが、アドルフだとすぐにわかったのだろう。

 あれほど獣化を嫌っていた王が、怒りを示している。それほどのことだ。


「貴様は、一体どこからどうやって!」


 二階のバルコニーにダネスが姿を見せて喚いた。

 さすがに砦から出て、アドルフの正面に立つ度胸はないのだろう。二階から狙おうという算段が彼らしく姑息だ。


 青黒い狼は、下からぎろりとダネスを鋭く睨む。

 今のアドルフには二階くらい跳び上がるのは容易いことだ。


 大きな体で、バルコニーを支える柱を垂直に駆ける。アドルフはあっという間にダネスの前まで駆け上った。


「くっ、来るなっ、ひぃぃぃ!」


 ダネスを守るように立っていた兵も、次々と払い飛ばしていく。

 あっという間に、二階のバルコニーにはダネスのみが取り残された。


「こ、こちらにはこれがあることを忘れるなっ」


 そう言うとダネスは懐からあの獣化を解くことが出来る道具を取り出す。壁に掛けていたものとは別の物とは用意周到だ。


「危ないっ、アドルフ様!」


 三階から見ていたエイラも思わず声が出る。しかし今から獣化して駆けて行ったとしても、エイラでは逆に足手まといとなる。

 それでも代わりに光を受けるくらいなら出来るだろう。


「ひひひ、そんな大きな身体をしていても、この光は怖かろう、それそれっ」


 ダネスは不気味に笑いながら、アドルフに向けて光線を発射した。最初の二度は上手く横に跳んで避ける。しかしそこを狙っていたらしい三度目の光線がアドルフ目掛けて飛ぶ。


「はは、やったぞ忌々しい獣め!」


 しかし獣化が解けたとしても今のアドルフならダネスくらい捕らえるのは容易いはず。

 そんな期待を持ちながら、エイラはいざとなったら助けに行けるよう身構えていた。


 しかし、アドルフの獣化は解けなかった。

 身体が淡く光った途端、光線をいとも簡単に弾いたのだ。

 アドルフの獣化は光線の力を上回っているのだろう。

 ダネスの表情が驚きから恐怖へと一気に変わっていく。


「な、まさか、効かないだと!」


 恐怖に慄いた表情で、少しずつ後ろに下がる。

 状況が悪くなったことは明白だ。掠れる声で繰り返し始めた。


「ゆ、許してくれ、どうかたのむ、助けて」


 しかしアドルフは容赦なくダネスに飛び掛かった。


「ひぃぃぃぃ、うわあ!」


 恐怖に固まるダネスを押し倒すと、牙を剥き出すようにしてじろりと睨んだ

 がたがたと震えながら、必死に命乞いをしている声が微かに聞こえる。


「たた、助けてくれ、お願いだ、たのむ……」


 どうする気なのか、エイラはハラハラしながら見ていた。

 ダネスを庇う気などない。しかし先ほど自分が兵に噛み付いた時のことを思い出してしまう。あんな嫌な気持ちを感じて欲しくない。


「アドルフ様……」


 アドルフの動きが止まった。ようやくダネスから視線を外す。

 ダネスはすっかり腰が抜けてしまっていて、すぐには立てないらしい。震える声で何度も命乞いを繰り返している。


 バルコニーの手すりに乗ると、アドルフは遠吠えを何度か繰り返した。

 王の無事と、コレルトの宰相ダネスを捕らえたことを知らせるためだろう。


 そうしてその姿は光とともに元の人の姿へと戻っていく。


 エイラはその場で見ているのがもどかしくなり、一気に獣化して二階のバルコニーへ駆けた。

 しかし慌てている状態で二階に降りるのは思った以上に難しく。壁で脚を滑らせてしまった。


「きゃっ」

「エイラッ」


 咄嗟にアドルフが受け止めようと飛び出してくれたのが見えたので、獣化を解いたエイラはちょうどその腕の中に落ちる。


「おい大丈夫かエイラ、無理をするな」


 こちらを優しく覗き込むアドルフの眼差しに、腕の中から出ることも忘れたまましがみついた。


「アドルフ様っ! 良かった、ほんとうに良かった!」

「ああ、エイラのおかげだ、ありがとう」


 アドルフも笑顔でエイラに答え、二人で額を合わせるようにして笑い合う。

 ふと、しがみついた拍子になにかがアドルフの背後で揺れているのが見えた。

 見ると青黒い尾がゆらゆら揺れている。

 今までは尾はずっと隠されていて見えていなかったが、どういうことだろう。


「アドルフ様、尾が見えていますけど」

「ああ、どうやら力が有り余っているらしく調整が効かないんだ、隠しようがない」

「ふふふ」


 アドルフの説明に合わせて揺れる尾は、なんだか可愛いらしく感じる。

 手を伸ばしてそっと触れてみると、毛は少し硬くてそれでいて障り心地は良かった。


「おい、勝手に触るな」

「少しくらい、いいじゃないですか」


 バルコニーでエイラとアドルフが騒いでいると、急に咳払いが聞こえた。


「あーのー、そろそろ声を掛けてもいいでしょうか」


 見るとオーティスが気まずそうに立っている。その向こう側ではリズネシスの騎士がダネスと拘束して連れていくところだった。


「ダネスはしばらく砦の牢に入れておくことになります」

「そうだな、コレルトにも再度調査をいれる必要がある、厄介だな」

「さすがに陛下に手を出したのですから、相応の処罰になりますが」

「ああ、コレルトがどう言ってきてもこればかりは厳しくせざるを得ない」


 二人が話をしている間に、エイラはアドルフの腕の中から抜け出た。見るとスカートも少し捲れているし髪もあちこち飛び跳ねて、とんでもない姿をしている。

 慌ててこそこそ髪と裾を直す。満足は出来ないが、なんとか諦められたところで視線をもどした。

 ちょうどアドルフがオーティスに厳しい表情を向けている。


「それよりもオーティス、一体どういうことだ」

「はい」

「どうしてエイラに、あんな危険な真似をさせたんだ」


 じろりとアドルフに睨まれ、オーティスはぴしりと背を正す。


「すべて俺の責任です、申し訳ございません」


 今回の作戦は、オーティスがというよりエイラが無茶を言って強行したようなものだ。

 しかしオーティスはそれを言い訳にしないだろう。


「捕らわれたのは俺の落ち度だから、その分は考慮する、それでいいか」

「構いません、寛大な配慮に感謝します」


 この場で処罰どうこうという話ではないようだ。しかし協力してくれたオーティスと騎士たちに迷惑が掛かってしまった。

 しかしエイラが口を挟んでどうこうという問題ではないことも分かる。考慮してくれるというから、きっと大丈夫だと信じたい。

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