第20話 二人の距離
「王を助けに来たのでまさかと思ったがやはりそうか、忌々しことだ」
ダネスの嫌な声は、吐き捨てるように言葉を連ねた。それでいてどこか面白くてたまらないという優越も含んだ声で笑う様子が伝わってくる。
身体を押さえながらなんとか起き上がろうと床に手を付いた。
エイラは自身の身体を見て、状況をようやく把握する。
「獣化が解けている?」
あの光には、獣人の力を削ぐような効果があったのだろう。獣化が出来る獣人ならば、それを解くくらいの効果があるらしい。
「まさか……、エイラ?」
呆然と驚くアドルフの声が聞こえる。最悪の状況でアドルフにもばれてしまった。隠していたことを謝りたい、きちんと話がしたい。そう思う心を堪えて、エイラは身体を起こしながらダネスを睨む。
今はアドルフのほうを向いている時ではない。
エイラの獣化を解いたことで、優勢を感じているのだろう。
ダネスは引き攣るように嫌な笑いを繰り返しながら、エイラを見ている。
「姿からしてまさかと思いましたが、まったく姫様におかれましてはお転婆が過ぎるのではないでしょうか」
「黙りなさいダネスッ、リズネシスの王を捕らえるなど許されると思っているの」
荒い呼吸を繰り返しながらダネスを睨む。
いくらなんでも人の姿のままでは分が悪い。だが再び獣化するにはある程度の時間経過と集中が必要だ。今ここでそんな猶予を与えられるとは思えない。
「獣人の力を削ぐこの道具、大変な貴重品なので用意するのにはとても苦労しました、でもまさか獣王と姫様に対してこんなにも効果があるとは」
武術に優れたアドルフを捕らえられたのも、あの道具で力を奪ったからだろう。
「このお転婆な獣姫も、今のうちに捕らえろ」
「はっ!」
ダネスが合図を送ると、兵がエイラへと近寄って来た。掌を合わせるようにして拘束されるとアドルフから離れた場所に座らされる。
心は屈しないとばかりに、見上げるようにダネスを睨む。
当のダネスは、それさえも楽しくてたまらないといった様子である。
「私が手に入ったのなら満足でしょう、陛下は解放して」
「おやおや、なんとも勇ましいことだ」
「ダネス!」
「そうですね、さすがに今の戦力でリズネシスとことを構えるのは無理ですからなあ」
ダネスは光線を出していた道具を、懐でちらつかせながら楽しそうに笑っている。
「しかしこの道具は獣王でさえも制した、これを量産できればなんとも楽しいことになりますな」
冗談じゃない。これ以上アドルフになにかあれば、リズネシスは本気でコレルトに怒りを持つだろう。二国に争いを起こすわけにはいかない。
焦る気持ちでなんとか後ろ手の拘束を解こうともがく。
そんなエイラの様子を、ダネスは楽しそうに見下ろしている。そうして持っていた道具と同じものを壁の高いところに掛けさせた。光は先ほどではないが、淡く光り続けている。
おそらくアドルフとエイラの力をじわじわ奪っておくためだろう。
「さて、外の連中も黙らせてきますか」
ダネスは王とエイラを捕らえたことで、自らの勝ちを確信しているようだ。エイラが蹴破った窓もそのままで、兵を連れて部屋から出て行こうとする。
扉の手前で一度振り返ると、露骨に嫌な笑いを浮かべた。
「忌々しい姫様、貴女のお相手はゆっくりとして差し上げますので」
じろりと睨むが、気にしないとばかりに鼻で笑ってみせた。
ばたんと閉じた扉には、重い音がしてしっかりと鍵が掛けられる。
部屋の中にはアドルフとエイラだけが残された。光で力を奪っているので、中の見張りなど必要ないということだろう。
その傲慢がなんとも悔しくてたまらない。
結局、アドルフを助けるとどころか足手まといになってしまった。
ちらりとアドルフを見ると、さっと視線をそらされる。
当然だ。獣化できることを隠し、彼の秘密も盗み聞くような真似をしたのだから。
「エイラ、君は獣化が出来たのか」
「はい」
お互い違う方向を向いたまま、静かな部屋で言葉を交わす。
「聖域、……あの森で出会ったのも君だろう」
ぎくりと肩を動かす。もう隠すことは出来ない。
エイラは素直に頷いた。
「そうです、最初は軽い散歩くらいの気持ちでした」
決して深い事情を聞き出すつもりで出会ったのではない。ただあの時本当のアドルフに出会って、心惹かれたから秘密を重ねてしまった。
「俺を、嘘つきの能無し王だと思ったか」
「そんなこと思うはずがありません!」
強い口調で返してもすべて言い訳だ。
こうなってしまっては言葉など効果がない。それでもエイラはきちんと話がしたかった。
そうしなければ、きっとお互いに後悔するから。
「私と同じ者などいませんでした、だからこの国に来る時は期待で嬉しかった、同じような女性の獣人がいるのでは思っていました、でもここでも私は異質な存在だった」
「そうか、君は獣化が出来るからこそ苦しかった、俺とは逆か」
エイラは話をしながらゆっくりと横に動き始めた。後ろ手なので上手く歩けないが、少し歩いてまた座る。
ちらりと視線を動かしたアドルフは、思ったより近いところにエイラがいたので驚いたのだろう。慌ててまた視線をそらした。
そんな様子がなんだか面白くて、エイラはまた少し距離を詰める。
「獣王と呼ばれる存在ならば、受け入れてくれるのではないかと思いました、お会いする前からずっと憧れていた」
「その期待を裏切ったのは、俺か」
アドルフの視線がようやくしっかりエイラのほうを向く。
エイラは、縁が外れて派手に壊されている窓から空を眺めていたが、ゆっくり振り向き彼を見た。
こんな状況なのに、金の瞳は輝きを残したままだ。なんだか安心を与えてくれる、そんな強さを感じる。
「いいえ、そもそも勝手な期待です、それでも私は陛下に惹かれていった、真逆の辛さを知るからこそ、どうしても貴方の力になりたかった」
二人とも捕らわれてしまい、力も奪われている。そんな状況なのに、アドルフと視線が合うとエイラはにっこりと笑った。
なぜかはわからないが、大丈夫だという自身が持てる。
ここにいるのは、リズネシスを統べる獣王なのだ。
いつの間にか距離は小さくなり、今はひと二人分くらいの間をあけて座っている。
「この件が片付いたら、俺は譲位をしようと思っている」
「はい」
「時間はかかるだろうが、全ての整理がついたら城を出るつもりだ」
二人のこの僅かな距離をなくすことはとても難しい。分かっているからこそエイラとアドルフは僅かな距離を空けて座っている。
「君を救うと、妃にすると宣言したのは俺なのに、嘘を付くことになる」
嘘を付く、とアドルフは言った。
しかしそれが嘘になるかどうかは、アドルフとエイラ次第なのではないかと思う。
嘘にしたくないと思ってはくれないか。そう思いを込めて、言葉を探す。
「陛下は、森で聞いた話を覚えていますか?」
唐突に話しが変わり、アドルフは目を瞬かせてから片方の口角をほんの少し引き上げる。
「どの話も情けない弱音ばかりだったろう」
そうではない、エイラはゆっくりと首を横に振る。聞いたのは彼のささやかな暮らしかたと願った思いだ。
「森で静かに暮らすという話です、一緒に来てくれるだろうかとおっしゃっていました」
思い出しただけでなんだかわくわくする話だ。
狩りをして、水を汲んで自分たちで食事を作る。夏は木漏れ日が差し込み、冬は雪に覆われる。そんな場所で、二人穏やかに過ごす。
苦労することは多いだろうが、きっと二人ならば楽しいことだって多いはずだ。
「それは、知らなかったからこそ言えた俺の勝手な考えだ」
「私は、とても嬉しかったです」
「エイラ?」
いつだって真っ直ぐに名を呼んでくれる。そんな彼だからこそ力を信じて欲しい。
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