第8話 廊下にて


「エイラ様っ、部屋の窓から抜け出す妃など私は聞いたことがありません、高い能力は存じておりますが、見つからないという保証はないのです」

「ごめんなさい」


 案の定、前置きもなくいきなりお説教が始まった。確かに、エイラの部屋は城の中でも奥側であり窓から外に出ても誰の目にも留まらないとは思う。

 それでも下の庭には庭師だって出入りする。それに獣人の国なら、エイラより察知が上手い者だっている可能性はある。


「私に対して謝って欲しいわけではありません」

「分かっているわ」

「いいえ、分かってらっしゃらないでしょう」

「外から入ってくるのに、部屋が見えないから危ないってことは分かったもの」


 分かったことだってあるとばかりに言い返すと、ニーナは大きく息を吐いた。


「本当に、誰にも見られていませんね」

「誰にも会っていないし、見られていないわ」

「ならいいのですが、いざという時に出られるとしても、どうか私をお呼びください」

「黙って出てしまったこと、反省しているわ」


 何度か首を縦に動かしてみせると、ようやくニーナは納得したらしく。腰に当てていた手を下ろした。


「もう、折角良いお話があるのに、エイラ様はいらっしゃらないのですもの」

「良い話? なにかしら」


 意味深にちらりと見てくる行動に、エイラ白い毛皮で包まれた耳がピクリと動く。反省しているとばかりにじっとニーナを覗き見る。

 教えて欲しいと視線でうったえると、得意気に輝く瞳がこちらを向いた。


「エイラ様、書庫への出入りが許可されました! これからは直接行って本を選ぶことが出来ますわ」

「まあ、部屋を出てもいいの!」


 基本部屋でじっとしているエイラは、今までは書庫の出入りなども許可されていない。

 本は持ち出し可能な物のみを持ってきてもらって部屋で読んでいた。だがリズネシスの建国に関する話や、歴史や地理などに関する書物は、書庫から持ち出し不可となっている物も多くある。


 エイラは今まで書物などとは縁遠かった。だからこそなるべく自分の目で見て学びたいと考え、ずっと書庫への出入りの許可を求めていたのだ。

 今回ようやくそれが通りエイラも書庫へ赴ける。


「嬉しいわ、時間は決まっているのかしら、もう行かれるの?」

「書庫までは護衛が付くそうです、エイラ様が希望するならすぐに手配致しましょう」

「ええ、お願いするわ」


 長く幽閉じみた生活をしていたエイラは、どうも読み書きが苦手だ。それでも機会があるなら学びたいし、様々な物語に触れるのも楽しいだろう。


「承知しました、ではしばらくお待ちください」


 早速ニーナは、護衛の手配をするためにまた部屋から出て行った。

 エイラはこの城で王妃候補ということにはなっているが、それらしい仕事はない。侍女だってニーナが全て仕事を担ってくれている。他に人を増やしてもらうことだって可能だろう。しかし特殊な秘密を抱えている身としては、接する人は極力減らしたい。

 ひっそりと部屋で過ごすエイラは、この城のことにもいまだに疎いままだ。


 たかが書庫に行くだけ。しかしエイラの中ではそれが大きなきっかけになる催しのように思えていた。


 それから程なくして、護衛の騎士に同行されエイラとニーナはリズネシス城の書庫に向かうこととなった。

 エイラは急いで着替えをし、髪も念入りに梳いてもらった。たかが書庫だという考え方もあるが、それでも誰かに会った時に、堂々とした振る舞いがしたい。そのためには形から入ることも必要だ。


 単に部屋から出て城の中を歩くだけ、それでも緊張してしまう。

 背をぴんと正して歩く。ちょうど階段を降りたところで、続く廊下の向こうに人影が見えた。青黒い髪に金の瞳、背の高い青年はアドルフだった。


(アドルフ陛下、こんなところで会うなんて)


 その表情はあの森で出会った時と違い、感情の見えない冷淡さを纏っている。

 エイラに付いていた騎士がさっと廊下の際に寄り頭を下げる。エイラも慌てて騎士に倣って壁際に寄った。

 近付く足音を聞きながら、思わず森で会った時のことを思い出す。だがアドルフはあれがエイラだと知る由もない。こうして顔を合わせるのは久しぶり、という状況になる。


 真っ直ぐに前を見据えるアドルフは、エイラのことなど気に留めていないといった様子だ。声を掛けられることも、掛けることも出来ず、そのまま目の前を通り過ぎていく。


 しかしすれ違いしばらく進んだところで、アドルフは急に足を止めた。


「え?」


 通り過ぎたと思い、ちょうどエイラが顔を上げたところだった。

 肩から振り返った体勢のまま、金の瞳がじっとこちらに向いている。


 なにが起きたのかもわからず、エイラはただぽかんと見つめ返す。

 するとアドルフの視線がなにかに戸惑うように動いた。エイラの顔から下のほうへと動き、ある位置で止まる。


「エイラ、君は……?」

「はいっ」


 急に声を掛けられ、肩を持ち上げるようにして背中へ力を入れる。

 追った視線の先にあったのは、スカートから出てわずかに揺れているエイラの尾だ。


(尾を気にされている?)


 アドルフはエイラの尾を見て、じっとなにかを考えているように見えた。

 エイラのワンピースドレスのスカートの裾を僅かに持ち上げるようにして、尾はゆらゆらと揺れている。歩く時に引き摺るのは嫌なので、無意識にでもそうなってしまうのだ。


 種族や部族によって獣人の尾は様々だ。しかし尾があることは珍しいわけじゃない。

 尾を隠すような能力は持っていないエイラは、獣化した時と同じ白く長い尾だ。

 種族としては珍しいようだが、それよりも彼がエイラを気にする可能性ひとつある。


(まさか! あの獣が私だと気が付かれてしまった?)


 あの聖域と呼んでいた森で、獣化したエイラはアドルフと会っている。当然長い尾は見ているし、そこからあの獣の姿と結びつけることだってあり得る。


 あの森で、エイラは彼の大きな秘密を聞いてしまっている。

 もちろん誰に話すつもりもないし、その情報でなにかを企てようという意志もない。しかしアドルフが兄弟にすら話していない、とりわけ大きな秘密だ。

 緊張が尻尾に伝わらないように意識しながら、次の行動をじっと待つ。


「いや、……なんでもない」


 言葉とともに視線がさっと尾から離れた。

 エイラは慌てて尾を隠すようにスカートの中に引っ込める。意識をしていれば、ふわりと広がるスカートは尾を覆い隠す。


「貴女には出歩くような用向きは与えていないと思うが?」


 淡々とした口調で冷たい声で尋ねられる。

 アドルフはもうすっかり冷淡な表情となっている。今さっきの話題はなかったことにするらしい。さすがに声を掛けたのだからなにか適当に話をしておく、という意思があきらかである。

 エイラにだって、言葉ほど興味がないのだろうと分かってしまうほどだ。

 それでも王であるアドルフに尋ねられた以上、答えなければならない。


「私はこれから書庫へ向かうところです」


 城で部屋を与えられ過ごさせてもらっているが、エイラからなにかを望んだりすることは滅多にない。書庫への出入りは、かねてからエイラが要望していた数少ないことだった。

 もちろんエイラからアドルフに直訴したわけではない。だから彼はこのことを把握していないのだろう。

 尋ねられたことに正確に答えようとすると、余計なことを言いそうなので、エイラもあくまで落ち着いた声音で最低限の答えだけを返す。


「そうか」


 案の定、興味は感じられないといわんばかりの返事があっただけで会話は終わった。

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