お払い箱の悪役令嬢は森の小屋で真実の愛をはぐくむ~不愛想な強面騎士と私だけの幸せな溺愛まで~
みささぎかなめ
第1話
「ブリジェット、今日を限りでお前との婚約を破棄する」
「……と、言いますと?」
ブリジェットは、目の前にふんぞり返るようにして座っている婚約者、第三王子フレディエを眺めた。
「察しの悪い女だな。感情の機微がわからない女はこれだから嫌になる」
彼はそう言い放つと、なぜか彼の隣にいるブリジェットの妹クラリーヌの細い腕をしっかりと掴んだ。クラリーヌはフレディエの腕にしがみつき、甘い笑顔を浮かべている。
豪奢な客間には、宮殿を模した天井画が描かれ、巨大なシャンデリアが眩い光を放っていた。
窓の外は、今日にも雨が降り出しそうな分厚い雲が空を覆っている。
室内に漂うのは、クラリーヌが身につけている甘ったるい香水の香りだ。
「小賢しい策を弄し伯爵家の財政を多少上向きにしたことを威張り散らしていたようだが……。それも今日までだ! 今日からは僕がこのオルレーム伯爵家を切り盛りしていくよ。愛しいクラリーヌと共にね」
フレディエが椅子に深く腰掛けて、足を組みながら堂々と宣言した。
フレディエに抱き寄せられたクラリーヌは、その横で甘ったるい声を出す。
「ごめんなさい、お姉さま。でも、わたしフレディエ殿下のこと本当に愛しているの。それにこの家のことも、後継者でもないお姉さまが切り盛りするのは……よくないと思うわ。これからは、愛し合う私たちでやっていきます!」
「クラリーヌ! なんと健気な! 策略だけの悪役令嬢と言われるブリジェットとは大違いだ! 僕たちの愛の力と王家の意向があれば、あっという間に財政は潤うだろうさ。今日からは君が僕の婚約者だ!」
フレディエが大げさな動作でクラリーヌを抱きしめる。「きゃっ」と可愛らしく悲鳴を上げたクラリーヌは、頬を桃色に染めうるんだ瞳でフレディエを見つめ返した。そんなクラリーヌの様子を熱っぽく見つめるフレディエ。
それは完全に二人だけの世界だった。
ちなみに、客間には使用人も多数控えている。
テーブルに置かれたティーカップの中の紅茶は、すでにぬるくなっていた。けれど、それを入れ替えようとする者はいなかった。
皆がブリジェットの動向を気にしているのだろう。
ブリジェットは二人の言葉に不安を覚え、できるだけ良い着地点を探ろうと切り出した。
「……ようやく持ち直した伯爵家の財政です。今後も慎重に……」
「ふん、小作人や下請けに媚びへつらうなど、まったくもって愚策といえよう。お前のやり方は貴族の矜持を感じられない。これからは愛し合う僕たちのやり方でやっていくといっているんだ! お前はお払い箱なんだよ」
「そ……」
「ああ、伯爵家にいつまでも悪役令嬢が小姑として居座るのはよくない。お前にも縁談を用意しておいたからありがたく出ていくがいい!」
すでに根回しは終わっていたのだろう。
今日この日に、婚約を破棄することはすでに決定事項だったのだ。
さらに、ブリジェットの新たな縁談を整えてきたということは、すでにこれを覆すことは不可能ということだと察する。ブリジェットは震える手を何とか抑え込み、下腹に力を入れた。
「承知いたしました。では、引継ぎ期間のすり合わせを……」
「必要ない」
「はい?」
「明日には迎えが来るだろう。この家のものを持ち出すことは許さない。せいぜい着ていくドレスだけでも選んでおくんだな。着の身着のままで放り出さないことに感謝するがいい!」
「……承知いたしました」
もはや、何を言っても仕方のないことだと、ついにブリジェットは、自分がこの家から出ていくことを受け入れた。
婚約者の……いや元婚約者のフレディエ王子と妹のクラリーヌの裏切りによって、彼女の居場所は奪われたのだ。
「フレディエ様がいらっしゃるんですもの! 何も心配はいらないわよ、お姉さま!」
勝ち誇ったようなクラリーヌの声を聞きながら、ブリジェットはふらふらと自室に帰った。豪華な調度品や、思い出の品々が並ぶ部屋は、今はただひどく冷たく感じられた。
そして翌日。
空は大方の予想通り、どんよりとした曇り空だった。
昨晩慌ててまとめた小さな荷物を抱えたブリジェットは、屋敷の正面玄関に立つ見慣れない男を見上げた。
「お前がブリジェットか」
使い込まれた鎧を着こんだ騎士だった。男の周りには、土埃と汗の匂いが漂っている。
「俺はジェロード。この度不本意ながらもお前と結婚するよう命令を受けた」
ジェロードと名乗った男は、不機嫌そうな顔を隠しもせずブリジェットを睨みつける。
体は大きく、鎧からはみ出る肉体は鍛え上げられた筋肉を思わせた。その風貌は騎士というよりも凶悪な暴漢といわれても否定できない印象を受ける。
「お初にお目にかかります、わたくしは……」
それでもブリジェットは、貴族の令嬢らしく基本通りの挨拶を試みた。
「ちっ。お前のことは殿下からしっかりと聞いている。高慢ちきな悪役令嬢らしいな」
それを無視して、ジェロードは踵を返す。
「贅沢をさせるなと厳命を受けているからな。俺は伯爵家の使用人のように、お前に媚びたりはしない。さっさとついてこいよ」
「は、はい……」
ブリジェットは慌てて顔を上げ、鞄を抱えた。もちろん、同行する使用人などいない。これからはこの荷物も自分で持って歩くのだ。
執事宛にできる限りの引継ぎの書類を置いて出たが、これから伯爵領はどうなってしまうのだろうか。ブリジェットは後ろ髪を引かれる思いで振り返った。
幼いころ母と花冠を作った花畑も、ここからは見えない。
(お母さま……、ああ、伯爵領をどうか見守ってください)
ずいぶん薄汚れてしまったが、長年暮らした屋敷はそれでも伯爵家の屋敷として十分な威厳を放っていた。ブリジェットが15になる年に、病弱だった母が亡くなった。父は大いに嘆き、それ以来仕事をおざなりに済ませるようになってしまったのだ。
このままでは伯爵領の領民が困ってしまう。
それを感じ取ったブリジェットは、父を助け領地の経営を行ってきた。
貴族の女性、それも若輩者が領地経営をすることで、はしたないだの強欲だのと随分悪いうわさを流された。けれど、伯爵領が守れるならそれで良かった……。
(けれど、それも、もう終わりなのね……)
ふと、日当たりのよい当主の執務室の窓を見てみる。そこにはゆったりとほほ笑むクラリーヌがいるはずだ。今日からはあの当主の椅子にフレディエが座り、その横にクラリーヌが侍るのだ。
自分は、ここにはもう戻れないことがはっきりと分かった。
そして今は、人生において重要な物事を、ただ茫然と受け入れるしかないのだと実感する。
「おい、何をやっている」
無意識に足を止めてしまったようだ。
気が付くとすぐそばまでジェロードが戻ってきていた。
ジェロードは大きくため息をついた後、ブリジェットから鞄をひったくるようにして奪っていった。
「まさか、馬車以外じゃ移動できないなんてことはねぇだろうな」
じろりと睨みつけてくるジェロードは、おそらくとても不機嫌なのだろう。だがそれでも、荷物を持ってくれたのだろうかとブリジェットは思う。
「い、いえ、大丈夫です。荷物を持っていただきありがとうございます」
「こんなところでモタモタしてると、日が暮れちまう!」
ジェロードは片手でブリジェットの鞄を軽々と持ち上げると、ずんずんと道を進んでいった。
ブリジェットは、今度は遅れないよう、小走りでジェロードの背を追う。
彼は粗暴で、いかにも下級騎士といった印象だった。最初から悪役令嬢と決めつけられ、罵倒され、それでもブリジェットはただ彼に従うしかなかった。
ジェロードの口ぶりから、ずっと徒歩で移動するのかと思っていたが、実際は街の外れから乗合馬車に乗った。
庶民が利用する馬車の乗り心地は、お世辞にも良いものとは言えなかった。
だが、視察で様々な場所を訪れることに慣れているブリジェットにとって、それは特に苦痛ではなかった。
彼女が最も困ったのは、どれだけ話しかけても顔をしかめるだけのジェロードの態度だ。
(彼にとって、わたくしは押し付けられた妻なのよね……)
けれど、と、ブリジェットはジェロードをそっと覗き見る。
(まだ諦めるには早いわ!)
どういう経緯であれ、彼とは行動を共にすることになったのだ。
妹と元婚約者のことを考えるより、目の前のジェロードのことを知りたいと思う。
――まだ諦めない。
ブリジェットは決意を胸に秘め、揺れる膝を両手で抱えた。
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