第44話:さようなら
ある朝。まだ朝の冷たい空気が部屋を満たしている時間。
マルガレータはティニヤに起こされた。
『おはよう。起きてくださいな』
静かな声なのに、マルガレータは一気に覚醒した。
勢いよく起き上がると、隣のヴァルトも同じように起き上がっていた。
その視線が自分と同じ所を見ている事に、マルガレータは気が付く余裕もない。
「どうしたの? このように朝早く」
まだメイドがカーテンを開けに来てもいない。
『静かに消えようとも思ったのですが、それも不義理というものでしょう』
ティニヤの声が、朝の空気を震わせ……ることはなく、部屋の中にはマルガレータの声だけが響く。
驚いているマルガレータとは違い、ヴァルトは冷静だった。
今日が何の日か知っているのだろう。
「ティニヤ様、貴女への花はいつ供えれば良いのですか?」
突然のヴァルトの問いに、マルガレータは横の夫へと顔を向けた。
その視線がティニヤを見ている事に、驚くと共に納得もしていた。
『もう存在しない私に?』
「ここに! 今ここに存在しているでしょう!?」
ティニヤの言葉に被せるように、マルガレータが叫ぶ。
それを見て、ティニヤは困ったように笑う。
『楽しかったわ。……さようなら』
それだけを言うと、ティニヤは静かに消えていった。
ヴァルトはマルガレータを抱きしめた。
その耳元で、囁く。
「今日が側妃マルガレータの命日なのです」
マルガレータが死ななければ、ティニヤは存在しない。
ヴァルトとミンミの結婚よりも、マルガレータの死の方がティニヤの存在に影響していたようだ。
「嘘、私が死ななかったから? 私のせいなの?」
マルガレータが呆然と呟くのに、ヴァルトは腕の力を強める。
「それは違う。デイジーの幸せをティニヤ様は願っていた」
それをヴァルトはティニヤから直接聞いていた。
ティニヤの存在を知っていたヴァルトではあったが、ティニヤがマルガレータの来世である事は知らなかった。
当然である。
ただ、側妃マルガレータの命日は知っていたので、その日を無事に越えられる事だけを祈っていた。
運命の強制力で、思わぬ事故が起きるかもしれないと、それを恐れていた。
眠るマルガレータを見つめ、いつものように祈っていた時、ティニヤが不意に話し掛けて来たのだ。
学園の入学式の日以来の事だった。
『私の心残りはもう無いの。マルガレータが幸せになって、もう不幸なティニヤは生まれない』
自分がマルガレータの来世である事と、おそらくマルガレータが亡くなるはずだった日に消えるだろう事を告げた後、ティニヤはヴァルトへと笑顔でそう言ったのだ。
ティニヤの笑顔には、嘘があるようには見えなかった。
「ならば本人にそう言ってあげてください」
ヴァルトが訴えると、ティニヤは困ったように笑う。
『泣いてしまうでしょう? 私も、マルガレータも』
そう言ったティニヤは、静かに視線を落とした。
『そして、自分はもう幸せなのだからと、私が生まれる可能性に掛けてしまうでしょう』
本人が言うのだから間違いないだろう。
他者の為に尽くすように施された教育は、ここでも影を落とすらしい。
『私が消えた事により、記憶が無くなれば良いのだけれど』
存在自体が無くなるのだから、その可能性もあった。
『マルガレータを支えてあげてね。強いように見えて、実は
弱いのではなく、脆いのだとティニヤは言った。
そして、ティニヤに対する記憶は無くならなかった。
マルガレータは、ヴァルトの腕の中で思いっ切り泣いた。
しゃくりあげながら、ティニヤへの文句を口にする。
薄情者、と責める口調から、淋しい、と素直な気持ちに変わっていく。最後には感謝の言葉になっていた。
泣いて泣いて、泣き疲れてしまって泣き止むと、マルガレータは大きな溜め息を吐き出した。
「あぁ、目を冷やして腫れを引かせないと」
鼻声ではあったが、しっかりとしたいつものマルガレータだった。
泣いて嘆いて閉じこもってしまうには、公爵家夫人という地位は重すぎた。
それに、何も知らない子供達も居る。
「不幸なティニヤには生まれ変われなくても、幸せな誰かに生まれ変わるはずよね」
マルガレータはヴァルトへ微笑みかける。
同意が欲しいのだろう。
「そうだね。僕も来世では近衛騎士になっているかもしれない」
ヴァルトが笑う。
その言葉の意味を、マルガレータは知らない。
二人で寄り添っていると、部屋のカーテンが開けられた。
眩しい光が室内を明るく照らす。
ベッドから遠い位置から開けていくので、徐々に部屋が光で満ちていくのを、二人は静かに見つめていた。
「あ、おはようございます! お二人とも起きていらしたのですね」
ベッドの側のカーテンを開けたメイドが驚いて、朝の挨拶をしてくる。
それでも直射日光はベッドまでは届かない。
いつもと変わらない一日が始まる。
ただ今日は、子供達と庭で花をつみ、それを花束にして執務室の窓辺に飾ろう、とマルガレータは思った。
執務をしているマルガレータの横で、いつもティニヤが子供達を見守っていた窓辺に。
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綺麗に終わりたい方は、ここで読むのをお止め下さい。
この後は、未来編のざまぁになります。
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