1181文字 猫と群衆
何もかも投げ出したくなるような真昼間に、目もくれず行き交う群衆を見つめている。
それは群衆というには統一感がないが、猫から見れば全て同じだった。
目立たないファッション、目的地に魂を飛ばす無表情。
猫だけが目的地を持たずしっぽをぶらぶらしているが、猫はそのことに引け目を感じてなどいないだろう。
猫はふらりと群衆から離れて、路地裏に入っていった。そこには二台の室外機があって、ぼうと熱気を吐き出している。幽かに人の話し声が聞こえる。壁一枚隔てればそこは寒いくらいの楽園で、人々が楽しそうに何かしている。
隣の家のベランダには洗濯物が干してある。まだ干したばかりのようで、とても気だるげに貧乏ゆすりしている。
猫は風のように通り過ぎる。
歩いていると、上から真っ白なシーツが降ってきた。
まるでスローモーションのようにゆったりと舞い降りてくるそれは、空中を流れる何かの川のようだった。
しかしシーツは、ざらざらのブロック塀に触れると乱雑に折りたたまれて引っかかってしまった。
その下、薄い陰の中を、猫はすり抜けていく。
隣の家には、家の裏の雑草を抜いている女房がいた。
女房は十二単の唐衣を脱ぎ、単衣も二十枚くらい脱いで、袴も脱いで、長い黒髪だけがそのままなもんだから、まるで幽霊みたいな恰好だった。
女房は汗びっしょりかいて雑草を抜いている。隣には市区町村指定の燃えるゴミ袋。まだまだお腹いっぱいにはほど遠いその上半身はくたくたと情けない。
女房の猫は首に鈴をつけて家の中にいる。たいそうかわいがっている猫だからさぞ高慢に違いない。
あくせく働く女房は、通り過ぎていく猫に気がつかなかった。
猫は歩き続けた。
ラーメン屋の裏は避ける。排気口の熱がたまらないからだ。
けれどもラーメン屋の奥さんは気前がいいから、餌をもらうためにときどき顔を見せてやる。
排気に当たらないようよけて入っていくと、煮干しを食べて、水を飲んで、再び歩き出した。
奥さんは嬉しそうに手を振っていたが、振り返らない猫はそんなことは知らなかった。
公園があった。
公園には日の当たるところと当たらないところがまだら模様を描いていた。
猫は日の当たらないところを綱渡りして、複合遊具の陰に寝そべった。
休日の昼だというのに、人っ子一人いなかった。
猫は目を閉じてまどろんだ。猛暑日の夢を見た。
それから目を覚まして、少しばかり長くなった陰の中を安心して歩き出し、公園を出ていった。
また細い路地裏に入った。塀を飛び越え、車の下をくぐって、向こうへ進んでいった。
出た先は雑踏だった。
ビルが林立し、色とりどりの看板がにょっきり生え出ている。
建物の隙間の塀に立って顔を出した猫を、群衆が見ていた。
全ての人間が、黙って猫を見ていた。
辺りは静かで、誰も動かない。
猫は左右に首を振った。
それから、塀から降りて、群衆の足をすり抜けすり抜け、どこかへ消えていった。
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