第43話 全員を敵に回した神崎――最後に縋ったのは“恋人のはず”の詩乃だった【決着・中編】


 誰もが神崎光を見ていた。


 優等生の仮面をかぶった少年ではなく、その下にいる本性を、はっきりと見据えていた。


 静寂の中で、まるで雷鳴が響いたかのような衝撃が走っていた。


 俺たちはやっと、神崎光という存在の真実を、ようやく誰かと共有できたのだと実感した。



 雪村先生の静かな声が、場の空気を変えた。


「先ほどの音声は、情報提供者の姫野美咲さんが、かつて神崎くんと交際していた際、録音されたものです。

 本人の承諾を得て、数日前に学校側に提出されました」


 神崎の顔が引きつる。

 喉がひゅっと鳴る音が聞こえた。


 校長が重い声を重ねた。


「この内容は明確な人権侵害にあたります。すでに教育委員会と警察に相談しており、今後の対応を協議しています」


 会議室に、重苦しい沈黙が落ちた。

 教師たちの表情は硬く、誰もが神崎に視線を向けている。

 まるで逃げ場のない舞台に立たされたかのように、神崎の顔が青ざめていく。


 その圧に耐えきれなかったのか、神崎が慌てて声をあげた。


「ま、待ってください! これは……ただの言いすぎた言葉ですよ! 本気じゃなかった! 

 誰だって感情的になれば……言いすぎる事くらいあるじゃないですか……!」


 神崎の声は裏返り、必死に縋りつくようだった。


 雪村先生が、淡々とした声で切り返す。


「言葉だからこそ重いんです。一度口にした言葉は、刃よりも深く人を傷つけます。

 ましてやあなたの言葉は、相手の自由を奪い、心を縛るものでした。

 “本気じゃない“、“言いすぎた“――それは通用しません」


 神崎が息を呑んだ。


 俺は机を握りしめて、神崎を睨みつけた。


「言いすぎただけ? ふざけるなよ……。

 じゃあ、詩乃が何度も震えていたのはなんなんだ? 彼女は涙した事すらあった。

 冗談で泣くわけないだろ。お前のただの言葉が、どれだけ彼女を苦しめたか……わかってんのか……?」


 神崎は顔を引きつらせ、視線をさまよわせる。

 逃げ道を探しても、もうどこにもなかった。


 俺は更に神崎へ問いかける。


「俺の女には拒否権はないって、録音の中で言ってたよな。あれ、美咲だけじゃなくて、詩乃に対しても同じ気持ちだったんじゃないのか?」


 神崎の視線が鋭く俺に向けられる。


「な、何言って……!

 詩乃は、俺を信じて――」


「違う」


 誰もが、詩乃の一言に静まり返った。



 あれほど余裕を浮かべていた神崎の笑みは、今やすっかり消えている。


 皆、同情の目を向けていない。

 教師も、誰も、もう彼の芝居には騙されていなかった。


 詩乃が一度だけ、怯えるように俺を見上げた。

 その視線に、俺は無言で応える。


 そっと、彼女の手を握り直す。

 ――俺はここにいる。味方として、恋人として。



ひかる……嘘よね? あなたがそんなこと言うはずないわ……。母さんはずっと信じてきたのよ……?」


 神崎の母が悲痛な表情で息子を見つめている。


「……お願い、否定して……!!」


 母の叫び声が上がる。


 しばらく、その場に沈黙が落ちた。

 誰もが神崎の発言を待った。


「これは……過去の話だろ?」


 神崎が苦し紛れに声を発した。


「俺は今、ちゃんと彼女と向き合ってる。こんな古い話を持ち出して、何がしたいんだよ……」


 声は震えていた。

 それでも、まだ優等生の体裁を守ろうとしていた。

 神崎の口元がわずかに歪んだ。


「ふざけんなよ……なんで俺が責められてんだよ……。……あれは、ただの悪ふざけだっつってんだろ……!!」


 声が一段と荒くなる。


「それに……高校生同士の付き合いだぞ……!? まだ未熟で当然だろ……!? ケンカや言いすぎなんて……誰にだってあるだろ!? 俺だけ犯罪者みたいに扱うの……おかしいだろ!!」


 神崎は必死に机に身を乗り出した。だが誰の表情も動かない。


「ここにいる連中だってさ! イライラしたとき、誰かにきつい言葉を言った事くらいあるだろ!? それと同じだろ!!」


 必死の正当化。しかし、誰も頷かない。


「俺を疑うなんて……頭おかしいだろ!!」


 血走った目で周囲を睨みつける。

 だが返ってきたのは沈黙だけで、味方する声はひとつもなかった。

 その沈黙こそが、何より残酷だった。


「たかが冗談に……どんだけ重く受け取ってんだよ!!」


 机を叩いて唾を飛ばしながら怒号をあげた。

 もはや“優等生”ではなく、ただの醜態をさらす一人の少年でしかなかった。


「――神崎くん」


 雪村先生の低い声が場の空気を切り裂いた。

 その声音には、もはや庇う色は一切なく教師としての責任だけが宿っている。


「一度落ち着いてゆっくり深呼吸しなさい。落ち着かなければ、この場で君の発言はこれ以上はもう聞けません。

 これは、教師として与える最後の機会です」


 神崎は息を切らし、顔中に汗が滲んでいた。

 先生は彼の荒い呼吸がいくらか収まるのを待ち、冷ややかな視線で問い直す。


「それでは、私からの最後の質問です。

 これが“冗談”だと、本気で言い張るんですか?」


「ち、違う……!! こ、これは冗談というか……。か、彼女との悪ノリで言ったことで……!」


 神崎はなおも必死に縋る。


 雪村先生は目を伏せ、短く息を吐いた。


 最後の質問の答えが“悪ノリだった”――教師として、いや、人間として神崎に完全に失望したのだろう。


「これを“悪ノリ”で済ませられるなら、世の中に被害者は存在しません」


 ソーシャルワーカーの女性が鋭い眼差しで神崎を見据えた。

 そこには怒りも、糾弾する意志もなく、ただ被害者の声を代わりに告げる使命感だけがあるように見えた。


「い、いや、悪ノリっていうか……。

 だ、だいたい俺が強引だったって言うけど……あれは彼女の方が勝手に怖がっただけだ! 普通に話してただけだろ! 大げさに怯えて騒ぎ立てたのは向こうなんだよ!!」


 言葉は裏返り、しどろもどろになっていた。



 詩乃が、小さく震える。

 だけど今度は、俺の手をそっと離した。


 彼女はゆっくりと立ち上がった。

 そして――彼女自身の言葉で、口を開いた。


「……私からも話があります」


 会議室の空気が、張り詰めた糸のように静まり返った。

 その声は、もう震えていなかった。


 静まりかえった会議室。

 詩乃がはっきりと言葉を口にした。


「最初は、悪い人じゃないと思ってたんです」


 その声は小さくて、でも澄んでいた。


「でも、だんだん逆らえなくなって、笑うことさえ、演技になっていました」


 誰もが黙って彼女の声に耳を傾けていた。

 学年主任が手元のペンを握るのも忘れたように、彼女を見ている。


 詩乃は、まっすぐに前を見て言った。


「でも、私が今ここにいられるのは、手を差し伸べてくれた人がいたからです」


 そう言って、ゆっくり俺を見る。


「たとえ直哉くんがいなかったとしても、私はもう、あなたの言いなりにはならない。

 だって、私は私自身の意志で、ここに立っているから」


 その目には、もう怯えはなかった。


「し……詩乃、ま、待ってくれ……俺は……!!」


 しかし、そこで神崎の母親が言葉を紡いだ。


ひかる……母として、あなたを守り、信じ、愛してきたわ。

 ……だけど、私が甘やかしすぎたのかもしれない」


 そこで彼女は一旦口を閉ざした。

 そして、苦しげな表情で続けた。


「でも、本当に間違えたのはあなた自身よ。私はもう……あなたを息子とは呼べないわ……。

 光……せめて自分で罪を償いなさい」


「そ、それは……」


 神崎光は顔は青ざめて、驚くようにうろたえていた。


 神崎の父親が、顔を伏せるのをやめて息子を真っ直ぐに見据えた。

 その目には、もはや迷いも情けもなかった。


「光。あの音声を冗談や悪ふざけと言ったな? お前は女性を踏みにじり、親すら欺いていたんだな……」


 彼はそう言ってから、深いため息をついた。


「……もはや息子とは思えない。

 これからお前に残された道は、被害者への贖罪だけだ」


 突き放すように、冷酷に言い切った。


 生活指導主任は目を伏せ、ソーシャルワーカーは軽く息を吐いた。


 父の言葉に、神崎光は――


「あ……う……」


 何も言えず、ただどもるのみだった。


 神崎の両親は、細部までは分からないが、本心から息子を愛していたのは今日だけである程度伝わってきた。

 だが、その愛すら踏みにじったのは、紛れもなく神崎光自身だ。


 しかし、当の神崎は。


「な、なんだよ……全員で俺を悪者にして……! 教師も恋人も親もッ!!」


 目を見開き吠え、逆上した。


「そんなに俺が悪いのか……?

 俺、悪くないだろ……。

 悪くないよな?

 なぁ……悪くないって言えよ!!」


 だが、その言葉に誰も返事をしなかった。


「し、詩乃……。お前だけは違うよな?

 お前だけは……俺が悪くないって分かるよな?

 他の女には、ちょっと間違ったとしてもよ……。詩乃だけには、ちゃんと愛を注いだんだぜ……?」


 ――縋りつくような声だった。

 神崎が、この期に及んでまだ“自分の愛“を正当化しようとしている。


「いいえ。あなたが悪いです。

 私から言えるのは一つだけです。罪を認めて、償ってください」


 詩乃の声は震えていなかった。

 むしろ澄み切った水のように静かな声で、はっきりと神崎を拒絶した。


「ふ、ふざけんなよ……お、俺は本気で、お前を愛してるんだぞ!? 恋人なのに……こんな裏切りがあっていい訳ないだろ!!

 俺の恋人なんだから……かばってくれよ!!」


 神崎は、詩乃が最後の希望だとでもいうかのように、叫んだ。


 俺は一度、詩乃の手を見下ろす。


 文化祭の劇の練習を思い出す。

 怯えて、震えて、必死に助けを求めていた……そんな手だった。


 あの時、俺は悔しかった。

 なんで詩乃が、こんなに怯えなきゃいけないんだって。


 演劇の後、詩乃が打ち明けてくれた神崎の数々の仕打ちを聞いて、心に決めた。


 もう二度と、詩乃を独りにしない。

 詩乃から、無理やり笑顔を奪わせない。

 俺が絶対に救う、と。


 深く息を吐き、まっすぐ神崎を見据える。


「神崎。

 お前がどんな言葉を語ろうが関係ない」


 一瞬、言葉を飲み込む。

 けれど、覚悟を込めてはっきりと言った。


「お前はずっと、女をものみたいに扱ってきたな。

 だがな。神崎――」


 俺はそこで一拍置いた。


 会議室が水を打ったように静まり返る。

 誰も息をしていないような沈黙の中、俺は告げる。


「詩乃はもうお前のものじゃない。

 彼女は俺の恋人だ」


「……は?」


 神崎の顔から血の気が一気に引いた。


 視線が泳ぎ、口を開けては閉じ、言葉にならない音だけを漏らしていた。



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