第35話 そのツーショット、詩乃の心が写ってないんだが?


 修学旅行三泊四日。三日目の午後。


 京都の街並みはどこか懐かしくて、それでいて観光地特有の喧騒に満ちていた。

 修学旅行、って感じだ。


「で、篠宮。次はどこ行くよ。清水寺? 八坂神社? それとも団子の屋台?」


「そうだな……。

 ……悪い。ちょっと、あっち見てくる」


 俺の視線の先――見慣れた後ろ姿があった。


 神崎と詩乃。


 詩乃の体調が戻ったのは良かった。

 だが、そのせいで神崎と一緒にいる羽目になっている。


 街角のフォトスポットで、二人は並んで立っていた。

 距離はある。声までは届かない。でも――


 ……この修学旅行で会えた時の、本当に笑ってた詩乃の顔は、まだ覚えてる。

 それと比べたら、今日の笑顔なんて――絵に描いたみたいに、貼りついてた。


 そのとき、神崎が詩乃の腰に手を回した。

 スマホを構え、ツーショット。


 詩乃は、抵抗もできず、ただ――力なく笑っていた。


 ……胸が、ぎゅっと痛んだ。


 ……ああ、はいはい。彼女の腰に手を回して完璧スマイルってか?

 だったらまず、隣にいる詩乃の心配をしてからシャッター押せよ。

 演出ばっか一人前かよ。


 そのとき、神崎の視線がこっちに向いた。


 一瞬、驚いたように目を見開いて――


 にやり、と。


 その顔からはこう聞こえたような気がした。


 『お前に見せてやってるんだよ、俺たちの関係を』


 ……間違いない。

 あの顔。わざと見せつけるためにやってる……

 詩乃を盾にして、俺の感情を試してる……!


 すぐ傍の詩乃の笑顔は見えてねえのか?

 見えててやってるなら……なおさら許せねえよ。


 ――それに、俺は俺で何してんだ…?


 修学旅行前、柚葉に『お姉ちゃんの笑顔、ちゃんと守ってきてね』って言われたのに。

 ……全然守れてねえじゃん。


 気づけば、拳にぎゅっと力が入ってた。


 あーもう無理。


 何か言わないと気が済まない。

 一言でも、ぶちかましてやらないと、モヤモヤが膨らみすぎて爆発しそうだった。


 俺が足を踏み出そうとした瞬間――


「待てっつの!」


 桐山が、俺の腕をがっちり掴んだ。


「……離せ。殴るとかじゃない。ただ、一言だけ――」


「わかってる。でもな、ここで神崎に喧嘩売って――」


 桐山の目が、真剣だった。


「一番困るのは、月森だろ?」


 ――ぐ。


 言われて、ハッとする。


 そうだ。

 俺がムキになって怒鳴ったって、詩乃が得することなんて一個もない。

 ただでさえ我慢してるのに、俺が余計なことして、さらに居場所なくしてどうすんだよ。


「……俺、馬鹿だな」


 拳をほどいて、ふっと息を吐く。


「まあ、俺もムカついてるけどさ。

 俺たちが暴れたら、向こうの思うツボだからな」


 桐山も少し悔しげにそう言った。


「……すまん。お前がいてくれて、助かった」


「いいっての。俺、親友だしな?」


 と、ニヤッと笑う桐山。


「その代わり、神崎の件が片付いたら、寿司でも奢れよ?」


「回転寿司でよければ、俺の財布が空になるまで付き合ってやるよ」


 軽口を交わしても、胸のざらつきは消えない。


 でも――


 怒りで突っ走る前に、ブレーキかけてくれるやつがいてくれて。

 今はそれだけで、少し救われた気がした。


 詩乃は、今もあいつの隣にいる。

 でも、笑ってなんていなかった。


 俺は、いつか。

 あの笑顔を――“本物の笑顔”を、取り戻してやる。


 絶対に。



  ◇ ◇ ◇



 旅館の布団に入っても、まったく眠れなかった。


 脳裏に焼きついて離れない。

 あの笑ってない笑顔。



 『……お姉ちゃんの笑顔、ちゃんと守ってきてね』



 柚葉の声が頭の中で響いた。


 俺はスマホを手に取り、LINEを開く。


 『まだ起きてる?』と打ちかけて、消す。

 『大丈夫だったか?』と打って、また消す。


 何度も繰り返して、ようやく指が止まった。


 『起きてたら、ちょっとだけ話せないか?』


 ――送信。


 すぐに既読がついて、心臓が跳ねた。

 返事が来たのは数秒後。


 『行くね』


 俺は見回りの教師に見つからない様、そっと旅館を抜け出した。


 旅館の裏手、小さな縁側。


 静かな夜の空気の中、詩乃はいた。

 制服の上にカーディガンを羽織って、俯き気味に立っていた。


「……来てくれて、ありがとな」


 俺はできるだけ穏やかに言った。


「……こっちこそありがとう。誘ってくれてうれしかったです」


 その声には、昼間の無理した笑顔とは違う、かすかな温度があった。

 少しだけ、心の鎧をほどいたような……そんな、柔らかい声だった。


「詩乃、今日……泣きそうだったろ?」


 言葉にした瞬間、胸の奥がぎゅっと痛んだ。


 俺の言葉に、詩乃は一瞬だけ目を伏せる。


「え……」


「いや、なんとなく……な」


 詩乃は、かすかに笑って首を振る。


「大丈夫だよ、あれくらい……」


 言いかけて、すぐに言葉を止めた。


 数秒の沈黙のあと、ぽつりと漏らす。


「……ちょっとだけ、しんどかった」


 その言葉に、俺は小さく頷く。


「だろうな。あの写真撮ってる時、心ここにあらずって顔してたぞ。

 完全に“このあと帰って寝たい”って目してた」


「……そんなに?」


「うん。写真撮る直前、遠い目で“修学旅行って何のためにあるんだろ”とか考えてそうだった」


 詩乃は、肩をすくめるように笑った。


「……やっぱり、バレてたんだね」


「ああ。詩乃って、感情けっこう顔に出るタイプだからな」


「そこまで?」


「うん、たぶん一週間一緒にいたら、性格診断できるレベルで」


「何それ」


 詩乃が少し笑うと、風が吹いて彼女の髪が揺れた。

 手で押さえる仕草が、どこか儚い。


「誰にも迷惑かけたくなかった……」


 その声には、ほんのかすかに、震えがあった。


「でも……もう、ちょっと疲れてきたかも」


 俺の顔を見ようともしないまま、視線を足元に落としたまま。


 誰にも迷惑かけたくない、なんて――

 そんなもん、本当は弱音の裏返しだ。


「……俺にぐらい、迷惑かけろよ」


 詩乃が、驚いたようにこっちを見た。


「それぐらいの存在には、なりたいと思ってる」


 そう言った俺の声が、少しだけ震えていた気がした。


 詩乃はこちらを向いて、ほんの少しだけ微笑んだ。


 だが、その笑みにはまだ辛さが滲んでいた。


 ……せめて今だけでも――心の底から笑顔にさせてやりたい。



 ――そして、一つだけ確信めいた予感があった。


 今日、俺はここで――詩乃への想いを、言葉じゃなく行動で示すんだと。

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