第二話 不条理刑事の出動②

    3

 モスクワホテルはかすんだ影を落とし、湿しめった路面を趣深おもむきぶかく演出していた。ロビーに足をはこんだ中村は、殺意の目を光らせ森脇星子をさがしたが、彼女の姿は見当たらない。ただ、鷲鼻わしばな禿鷹はげたかのような老人と鏡餅かがみもちのような体格の老婦人が、ソファーに座って談笑しているだけだった。


「ひょっとして、中村さんですか?」

フロントの無表情な男が、なめらかなイスパニア語でたずねた。

「いかにもそうだが」

中村はたどたどしい北京語で答えた。


フロントの男はわずかに表情をくずし、頭を下げて日本語で言った。

森脇もりわき様から伝言をあずかっております」

「……そうかい。教えてくれ」


フロントの男は引き出しからメモを取り出して読み上げた。

「あんたと仕事するのはゴメンだ。死んだ方がマシ。いな、死ぬのはやっぱりあんたの方ね……以上です」


フロントの男は無表情で押しだまっていた。見方を変えれば必死に笑いをこらえているようにも見えた。


「森脇め。さがし出してぶっ殺してやる」


中村は一言つぶやき、モスクワホテルをあとにした。



    *

 静まりかえった夜の町で闇雲やみくもに森脇を捜した。署長からの電話を待ち続けたが、結局、一夜明けても連絡は無かった。不条理だな、と中村は自分をたなに上げて思った。心配性の署長から十四時間も連絡が無いのは、いまだかつて無かった。極めて不可解な事だ。署長の身に何かあったのだろうか。思考を巡らせてみたが、彼にはそれを突き止めるすべがなかった。

 なぜなら中村にとって、署長は声だけの存在だったからだ。どこの誰でどんな人物なのか、皆目かいもくわからなかった。


 中村は頭をかかえつつ、昨晩手に入れたウォッカをびんごと噛みくだいていた。


    4

 もと生首事件解決捜査本部長の横山よこやまは、我が目をうたがった。突然目の前に、一人の男が現れたのだ。


「き、君がうわさに聞く不条理刑事ふじょうりけいじか?」

横山はのけりながらも平常心を取り戻す。


「名刺が無くて申し訳ない。中村なかむらと申します」

「今日は一体何の用件かな? 私はもう、例の事件をはずされたんだがね」


「その事件、いわゆる生首事件なまくびじけんについて、わかった事をすべてお話し頂きたいのですよ」

中村はやや疲れた顔をして言った。


「どういう事かな? 上層部ウエの連中が、全てのデータをあなた方に手渡したはずだが?」

横山はタバコに火をつけて、煙を歯の隙間すきまから吐き出した。


「ちょっとした不都合がありましてね。データを受け取った連中が雲隠くもがくれしたんですよ。彼らの行方ゆくえを突き止めるためにも御協力願いたい。先ほど警視庁の方にもうかがったんですが、早く事件を解決しろの一点張りで取り合ってもらえませんでした。仕方なくこちらへ伺った次第です」

中村は話し終えると、大儀たいぎそうに溜め息をついた。


「わかりました、お話ししよう。ただし条件がある」

「何ですか?」


「私にも協力させて頂きたい。この生首事件は刑事生活で唯一解決できなかった事件だ。この屈辱くつじょくを背負ったまま退職するのは、どうにもやりきれない」

横山は苦虫を噛み潰したような表情でタバコをもみ消した。


「退職なさると?」

「肩を叩かれたんでね」

横山はムスッとした表情で、再びタバコを手にした。


「わかりました。協力してもらいましょう。二人の方がこちらも心強い。ただしこちらからも条件がありますよ」

「何かな?」


「こちらのやり方にとやかく言わない事です。余計な詮索せんさくや勝手な行動はけて下さい。それがあなたの身のためですよ」

中村はするどい目線で横山をにらんだ。


「わかった……。君のやり方に口出ししないと約束しよう」

横山は狼狽うろたえながら、心を落ち着かせるように白い煙を吐き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る