はじめのいっぽ②


▸ 綴木 詩央つづきしお


演習場の床に落ちていた、赤い布切れ。

それを思い出すだけで、喉の奥が苦しくなる。


(ぼくが……もっと、早く……)


震える指先。

縫想ぬいそうで癒せた痛みは、ほんのわずか。


先生の血を、止めることすらできなかった。

あの時、うたと一緒に必死で傷口を縫ったけど──


(守りたいって気持ちだけじゃ、届かない)


それでも、手を伸ばすことだけは──やめたくない。



雨宮あまみや うるる


何度も描いた妄想たち。

そのどれもが、今回の“痛み”には届かなかった。


「本物って、こんなに……怖いんだね……」


泡は、弾けて消えた。

役にも立たず、ただ自分だけが震えていた。


でも……

詩央が泣いてた。

柚葵くんが潰れそうになってた。


(そんなの、見てられなかったよ)


次はちゃんと、“妄想じゃない泡”を飛ばせるように。



▸ 三ツ谷 虎翔みつたにこしょう


「ごめん、おれ……なにもできなかった」


誰もいない教室の机に頭を預けて、ぽつりと呟く。


笑えなかった。

あの日、演習場にいた“虎翔”は──ただの臆病者だった。


“守る笑い”なんて言っておいて、

自分の心が守れなかった。


けど、空翔が泣いたあの瞬間。

航希が声を荒げたあの瞬間。


胸の奥が、ちょっとだけ……燃えた気がしたんだ。



▸ 鳴海 空翔なるみそらと


(……わかんねぇよ)


拳を握ったまま、空翔はベッドの上で目を閉じた。


自分の“明るさ”が誰かを救うって信じてた。

けど、あの時は──うまく笑えなかった。


詩央や柚葵を“いじってた”自分は、

もしかしたら、結月 愛瑠ゆづきあいりと同じだったんじゃないか。


(……なにが正解かなんて、わかんねぇよ)


でも、次に同じことが起きたら。


もう、誰も泣かせたくねぇ。



▸ 日向 航希ひなたこうき


悔しさと怒りが、今も胸の奥で熱を持っている。


“あの女”の前で動けなかったこと。

みんなの前で、なにもできなかった自分。


(“ご挨拶”だぁ? ふざけんな……っ)


今まで見てきたどんな“強さ”よりも、あれは恐ろしかった。


でも、それ以上に──

詩央の手が、血で濡れて震えてたのが、悔しかった。


(俺が、守りてぇ)


どんなに情けなくても、無様でもいい。

次こそは、自分の“熱”で誰かを包みたい。



▸ 環 柚葵たまきゆずき


「──ぼくの、せいだ」


部屋の壁に凭れながら、小さく声を零す。


誰にも言えなかったこと。

誰にも話せなかった過去。


線視せんしに映る“繋がり”が、

誰かを傷つける日が来るなんて──怖くて、考えたくなかった。


でも、愛瑠は現れた。

“柚葵の線”を、見透かしたような目で。


(見なきゃいけない。ぼくは、あの時、見逃した)


もう、あの“糸”を断ち切らせない。

誰の心も、もう壊させない。


 数日ぶりの登校日。

いつもより少し静かな朝だった。


生徒たちはぽつぽつと門をくぐり、

どこかぎこちなく、それでも目が合えば──


「……おはよ」


「……よかった、元気そうで」


そんな言葉が、そっと交わされる。


演習場での出来事は、誰にとっても“忘れられないもの”になっていた。

けれどそれ以上に、また“会えた”ことが、みんなの胸を温かくしていた。



クラスの扉を開けた瞬間──


「しおちん!」


雨宮うるるが走ってきて、思いっきり詩央に抱きつく。


「もう……もう、ほんとに……!」

「無事で……よかったぁ……っ」


その泣き顔を見て、思わず詩央も笑ってしまう。


「……うん。ただいま」



「おう、しおー! 見たか!? おれ、あんときめっちゃ……」


「うるさい。声がデカい」

「ってかお前、結局ぶっ倒れたじゃねぇか」


虎翔の声に、空翔が突っ込む。

でもそのやり取りすら、どこか安心感があった。



航希は、環の姿を見つけて──


「……柚葵」


声をかける。環は一瞬きょとんとしたあと、小さく、でもはっきりと頷いた。


「……うん、また……一緒に、がんばる」


「おう!」


二人の間に、確かに何かが芽生え始めていた。



担任の三枝さえぐさ先生はまだ入院中。

けれど教壇の前には、久遠 くえんあずさ先生が立っていた。


「おはよう。みんな、今日からまた一緒だね」


その柔らかな声に、教室の空気がふわっとほどける。


「……無理せず、ゆっくりでいいよ」

「“強くなる”のは、誰かに勝つためじゃない。“守りたいもの”を、守るためだから──」


久遠先生の目は、全員の姿をやさしく見つめていた。



そして。


教室の空気が、少しずつ動き始めた。


この日からまた、彼らの“歩み”が始まっていく──。

 

 

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