第11話:輿入れの夜、声を託した、あの夜へ──生命(いのち)の煌めき、別離の闇
周りの者たちは私を葵と呼んだ。
白き髪の戦乙女。
私の体内で、新たな生命の兆しが
息吹いているのを感じていた。
それは、導き手様の言葉なき示唆が
真実であったことを証明し、
私と将軍景虎との間の
見えない結びつきの証でもあった。
私の魂は、新たな喜びと、
そして、迫りくる運命への
不安に、震える日々を送っていた。
その喜びは、かつて神域で感じた
歓声にも似て、私の内を満たした。
しかし、同時に、
それは、私自身の終焉を告げる
始まりの音でもあった。
夜毎、生命の成長を感じるたび、
私の肉体は、さらに
その限界へと近づいていった。
体の奥から聞こえる軋みは、
もはや微かなものではなく、
私の存在そのものを揺るがすほどに
大きくなっていた。
私は、自分が「器」として、
その役割を全うしようとしていることを、
痛いほど理解していた。
そして、その役割の先には、
愛する存在との永遠の別れが
待っていることも。
私の心は、この運命を前に、
静かに、しかし激しく波立っていた。
それは、抗いがたい宿命の荒波。
出産が間近に迫った。
それは、同時に「輿入れの夜」でもあった。
私が、神子の魂を覚醒させるために、
将軍景虎という霊統の核と結ばれる、
最初で最後の儀式。
そして、私の命を賭して、
新たな生命をこの世に迎える夜。
私は、分娩小屋へと導かれた。
私の認識では、そこは「神殿」。
厳かな霊気が満ちる場所。
しかし、その霊気は、
私が神域で感じた清らかなものとは
異なっていた。
どこか重く、張り詰めた気配。
部屋の中央には、
霊石でできた祭壇が据えられ、
その上には、緋色の布が敷かれている。
巫女たちが、私を待ち構えていた。
彼らの視線が、私に突き刺さる。
それは、私の存在を
「器」としてのみ認識する、
冷徹な視線だった。
私は、その視線から逃れる術を持たない。
私の魂は、激しく震えた。
また、見られる。
私の全てが、この神聖な場で、
晒されるのか。
その羞恥は、肉体の痛みにも勝る。
現役時代に感じた「肯定の光」とは、
真逆の、冷たい闇だった。
私の心は、閉じ込められ、
逃げ場を失っていた。
社会の構造に埋もれた誰かが、
抗うことのできぬ運命を
ただ受け入れるしかない、
その痛みが、私を貫く。
私の魂は、この羞恥に
身をよじりそうになった。
巫女たちが、私の霊肢を
朱塗りの柱に縛り付けた。
肌に食い込む縄の感触。
身動きを完全に封じられた。
私の魂は、激しく抗う。
「やめて!」「自由になりたい!」
声なき叫びが、私の内側で轟く。
だけど、それは誰にも届かない。
巫女たちの手つきは、
まるで儀式の道具を扱うかのよう。
彼らは私の瞳を見ようともせず、
ただ淡々と、
「新しい命を迎え入れる儀式」を執り行う。
この儀式こそが、
私の命の終焉を告げる、
最後の契りなのだ。
私の心臓の音が、
激しく鼓動する。
その音は、私自身の生命が
刻一刻と終わりに近づいていることを、
冷徹に告げていた。
この場に満ちる霊気が、
私の生命力を吸い取っていくようだった。
その時、扉が開かれた。
馬主・景虎様が、その場に現れた。
私の心臓が、大きく跳ねた。
冷徹な絵姿の彼が、
今、目の前に、生身で立っている。
彼の纏う気配は、
凍えるほどに冷たい。
だが、その奥に、
微かな揺らぎが見えた。
彼は、私の前に進み出ると、
私をじっと見つめた。
その視線は、鋭く、
まるで私という存在の全てを
見透かすかのようだった。
彼の瞳は、私を映していなかった。
私の姿は、彼の視界には
ただの「器」としてしか映っていない。
私の魂の輝きも、
私の過去の栄光も、
私自身が持つ、全ての「声」も。
彼の瞳の奥には、私自身の姿は、
どこにも見つけられなかった。
私という存在が、
そこに立っているにもかかわらず、
彼の瞳には、ただ「次代の血統」への
冷徹な期待だけが映し出されている。
そう、私は理解した。
私自身の魂の叫びは、
彼には届かないのだと。
その現実に、
私の心は深く沈んだ。
しかし、その瞬間、
私の体内で陣痛が始まった。
激しい痛みが、私の全身を襲う。
これまで感じたことのない、
内側から引き裂かれるような苦痛。
私は、息を呑んだ。
その痛みに、私の身体が硬直する。
私の瞳に、絶望の色が滲む。
この極限の苦痛の中で、
私は「見られる羞恥」に抗う。
肉体を拘束され、
衆目のもとに晒されながら、
私の生命が、今、新しい生命を
生み出そうとしている。
私の魂は、この運命に
抗おうともがく。
私の魂の叫びが、
無意識のうちに漏れ出る。
それは、私自身の存在を賭けた、
最後の抵抗だった。
私の全身は、汗と霊気の輝きに包まれる。
景虎様の瞳に、かすかな変化が生まれた。
彼の視線が、
私の苦痛に満ちた顔へと向けられる。
彼の冷徹な瞳の奥に、
初めて、困惑のような、
そして微かな痛みの色が宿った。
彼の眉が、一瞬、微かに震えた。
彼は、一言も発することなく、
拘束された私の傍らに、
静かに寄り添った。
彼の腕が、私の冷たい指先に触れた。
その指先から、
彼の気配が、私へと流れ込んでくる。
それは、冷たさの中に、
微かな温もりを帯びていた。
彼は、私の苦痛を分かち合おうとする。
私と景虎様の、最初で最後の身体的な接触。
私の魂は、その触れ合いに
微かに震えた。
私の「声なき声」が、
確かに彼に届いている。
そう、確信した。
私の心は、その温かさに包まれ、
一瞬、痛みを忘れた。
私は、この儀式が、
私たち二人の「最後の契り」であると悟った。
それは、神託によって定められ、
古くから血筋を繋ぐために行われてきた、
「契約の元の儀式」の、
今まさにその瞬間なのだ。
この瞬間を乗り越えれば、
私はもう二度と、彼に会うことはできない。
この痛みの先に、
永遠の別れが待っている。
最後の力を振り絞り、
私は景虎様に願いを伝える。
私の「声」は、言葉にはならない。
だけど、私の魂の全てを込めて、
私は彼に訴えかけた。
「この子が、どうか、
自由にその生命を躍動させられますように──」
その言葉と共に、
新たな命の産声が、神殿に響き渡った。
強く、そして力強い、
生命の誕生の音。
その瞬間、
私は景虎様の腕の中から、
まるで光のように消え去っていった。
私の肉体は、役目を終えたかのように、
忽然と姿を消す。
それは、生命の輝きが、
全て新しい命へと注がれた証。
私の存在は、この神域から、
静かに、しかし確実に消滅した。
私という存在は、
ただの「器」として、
その宿命を全うしたのだ。
現世における私の役割は、
これで終わり。
満たされた栄光の日々も、
孤独な「器」としての苦痛も、
そして、景虎様との
最初で最後の契りも。
全てが、この一瞬で、
過去となった。
私の魂は、
最後に放った願いの光となり、
愛する我が子へと、
そして景虎様の心へと、
静かに流れ込んでいくのを感じた。
この夜、声なき器が遺したものは、
声を持たぬ希望だった。
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