契りの白髪の戦乙女、声なき花嫁 ―戦場に捧げた一夜の願い―
五平
第1話:風を呼ぶ霊蹄──届かぬ想いの芽吹き
嵐の前の静けさのような、
張り詰めた空気が肌に触れた。
神域の戦場は息を潜めている。
白い砂の神道には誰もいない。
だけど、遠雷のような歓声が
私の魂を震わせていた。
この場に満ちる期待の波動が
私の心臓の音を速める。
私はここにいる。
周りの者たちは私を葵と呼んだ。
白い髪が風に揺れる。
まだ幼い。
自分が何者かも、まだ掴めなかった。
だけど、瞳の奥には熱いものが
常に燃え盛っていた。
それは、私自身の内に秘めた炎。
風を感じたかった。
肌で、魂で、その全てで。
神域の奥深くまで、
私の魂の響きを届けたかった。
それが、言葉を持たぬ私が抱く
純粋で、抗いがたい願い。
この願いだけが、私の心を
満たしていた。
この国では、霊蹄の血統は
ただの血筋じゃない。
それは血に刻まれた宿命であり、
国の命運そのものだった。
霊蹄の身体には生まれつき
「神域との交信能力」や
「霊災の封印力」が宿るとされる。
その霊力の強さが国の安寧を
左右するほど重いのだ。
霊蹄は国の象徴であり、柱でもあった。
だから、霊蹄が神の加護を顕現し
霊統の優位性を示す「神前合戦」は
単なる速さや力を競うだけじゃない。
国の未来を賭けた、畏敬されるべき
神聖な儀式。
そして、血統の真価を問う
「魂の戦」だった。
この「神前合戦」の中には、
霊騎同士が直接霊力をぶつけ合い、
最終的に「一騎打ち」で勝敗がつく。
それは、霊蹄にとって最大の栄誉であり、
同時に重い責任を伴うものだった。
私は、言葉を持たなかった。
生まれた時から、私の喉からは
声が紡がれることはなかった。
感情を言葉に乗せて表現する術も
自分の意思を主張することもできない。
私の世界は、高い壁に囲まれた
霊域の奥に閉ざされていた。
与えられた糧を食み、
決められた場所で眠る日々。
自由とは何か、外の世界とは何か。
それを知る術さえ持たなかった。
外界の音や光は届くけれど、
それは遠い幻のようだった。
だけど、私の内に秘めた「声」は
この体にあった。
この、風を受けて震える、
生きている身体そのものにあった。
私の霊肢が大地を踏み鳴らすたび、
風を切り裂くたび、
私の魂は激しく躍動する。
それは見えない音となって、
周囲の空気、そして人々の心に、
微かな震えとなって響き渡った。
具体的な言葉では届かない
沈黙の叫び。
それでも、私はこの生命の躍動を通じて、
自分の存在を、この世に確かに
刻もうとしていた。
声なき者が世界へ訴えかける、
唯一の、そして切実な手段だった。
それは、私自身の存在証明だった。
「葵、行け!」
その声が、私の全てだった。
私を呼ぶその響きは、
私の心を最も深く揺さぶる。
霊導師様。
彼は、私の才能を誰よりも信じ
声なき魂の叫びを、
言葉じゃなく心で理解してくれる。
彼だけが、私の真の願いを
汲み取ってくれた。
唯一の、私だけの存在だった。
他の者には、霊導師様の言葉は
理解できない呪文のように聞こえただろう。
あるいは、私と霊導師様の間には、
一般的な意味での意思疎通は
成立していない、と見えたかもしれない。
だけど、私には確かに届いていた。
霊導師様の厳しくも温かい視線が、
私の身体の奥深くまで染み渡る。
まるで凍てついていた心が、
ゆっくりと、確かな熱を帯びて
溶けていくようだった。
言いようのない安堵と、
沸き立つような力が、
私の体の内側から湧き上がる。
彼こそが、私の「声なき存在」を肯定し
内に秘めた情熱を引き出してくれた。
彼の眼差しは、まるで透き通った鏡。
言いたくても言えない、
社会に埋もれた人々の静かな想いが、
そこに映るようだった。
それは、私だけの特別な光だった。
彼の存在が、私の世界に色を与えた。
霊導師様の視線だけが、
私を人の形に縫いとめてくれる。
もし彼のまなざしが消えたなら、
私は風の粒に還ってしまうかもしれない。
「さあ、お前の魂の輝きを見せろ」
その言葉に促され、神道へ進む。
霊肢が神域の土を踏みしめる感触は、
心地よい痺れを伴った。
微かに湿った風が頬を撫でる。
その風は、どこか遠い場所から
私への期待を運んでくるようだった。
遠くで民草の祈りが響いていた。
私の存在を、力を、勝利を
待ち望む、熱い期待の合唱。
私は、その一つ一つの「声」を
全身で受け止める。
言葉としてではなく、魂の波動として。
彼らの祈りが、私の身体に力を
満たしていくのを感じた。
私の血が、高揚に沸き立つ。
封呪の門が開かれる。
そこに対峙するのは、他家の屈強な霊騎。
その姿は、私と同じように霊力を帯び
まるで巨大な岩が立ちはだかるよう。
威圧的な霊気が、私を包み込む。
神聖な場の空気が、一層張り詰める。
それは、魂と魂がぶつかり合う、
避けられない一騎打ちの幕開けを告げた。
私の心臓が、激しく高鳴る。
それは恐怖じゃない。
未知の力との対峙への、
純粋な歓喜だった。
私の魂が、戦いを求めている。
号令と共に、相手の霊騎が動いた。
一気に霊力を放ちながら、嵐のように
私へと迫り来る。
その圧力は、神域全体が
震えているかのようだった。
周囲の空気は凍りつき、
巫女たちの装束の裾が微かに揺れる。
観客席のざわめきすら、
一瞬途絶えたように感じられた。
だけど、私の瞳は揺るがない。
相手の動きを冷静に見極め、
秘めた霊力を高めていく。
体の奥底から、熱い光が、泉のように
止めどなく湧き上がるのを感じた。
それは、私自身の生命の源から
ほとばしる、純粋なエネルギーだった。
私の全身が、光り輝き始める。
私の体が、今までにないほどに
躍動する。
それは、ただの力の顕現じゃない。
私の内に渦巻く、人々の祈り、
霊導師様の揺るぎない信頼、
そして自分自身の「自由でありたい」
という魂の願いが、
まるで巨大な渦のように一つになった。
私の見えない「声」が、強大な霊力と
なって戦場に放たれる。
空気中の霊気が、私の放つ波動で
歪むのが分かった。
私の存在が、この空間を満たしていく。
相手の霊騎の霊力を、私は
紙一重でかわす。
そして、その隙を突き、渾身の霊力を
込めた一撃を放った。
それは、嵐のような荒々しさと、
光のような神々しさを併せ持つ
まさに「神の顕現」と呼ぶべき一撃。
私の魂の全てを込めた、
最初で最後の全力だった。
その一撃は、私の存在そのものだった。
霊力がぶつかり合い、神域全体に
轟音が響き渡る。
その音は、まるで天地が裂けるかのよう。
一瞬の、息をのむような静寂の後、
相手の霊騎がゆっくりと膝をつき、
その霊力が霧散していくのが見えた。
相手の瞳から、光が消える。
勝利した。
神域全体が、割れんばかりの歓声と、
感謝の祈りに包まれる。
その音は、耳から、肌から、
私の全身に直接訴えかけてきた。
民草の「声」が、津波のように
私へと押し寄せた。
それは、私がこれまで感じた中で、
最も強く、温かい「愛の光」だった。
言葉を持たぬ私の魂が、
その歓声の中で満たされていく。
この瞬間のために、
自分は生まれたのだと、
本能的に理解した。
この、愛されているという感覚こそが、
私の生の意味なのだと。
私の純粋な生命の躍動が、
神域に新たな伝説を刻み始めることを、
まだ誰も知らなかった。
この栄光の輝きが、
いつか奪われることも。
この戦いが、
私の始まりに過ぎないことも。
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