第3話

 その日、俺はこっそり早めに帰宅した。


 バイトも講義もサボって、少しだけ時間をかけて選んだものが入った紙袋を、手に下げて。


「……お、帰ってた。ななみ先輩」


 リビングには、パーカー姿の先輩がソファに座っていた。


 テレビはついてるけど、観てる様子はない。ぼんやり窓の外を見ていたその横顔は、どこか寂しげだった。


「あ、うん。おかえり、陸くん。……今日は、早いね?」


「まあ。理由は――これ」


 俺は紙袋をそのまま手渡した。


「え?」


「誕生日っすよね、今日。……あれ、違った?」


「っ、あってる、けど……!」


 先輩は慌てて紙袋を開く。中には、小ぶりな箱が一つ。


「開けてください」


「う、うん……」


 不器用な指先でリボンを解いて、パカッとフタを開ける。

 中から現れたのは――淡いブルーの、シルクのヘアゴムだった。


「……えっ、これ……」


「先輩、よく髪結ぶじゃないっすか。寝ぐせ隠すときとか、料理のときとか」


「え、あ、見てたの?」


「そりゃ、まあ。なんか、よく似合ってたし」


 そう、言った瞬間。


 先輩の顔が、ぱあっと赤くなった。

 どんどん赤くなって、湯気でも出そうな勢いだった。


「……っ、そ、それって、どういう……意味で?」


「え? 似合ってたなーって意味で」


「ちがっ、そういうの、普通もっと、言い方っていうか……その、あのっ」


「え、違った? ……あ、もしかして、もっと可愛い系のが良かった?」


「ちが……っ、もう!」


 耳まで真っ赤になったななみ先輩が、思わずソファに突っ伏した。


 俺はわりと真面目に考えたつもりだったんだけど。

 そんなに気に入らなかったか?


「……すみません。センスなかったっすか?」


「ちがうの。……嬉しすぎて、心臓止まるかと思っただけ」


 ――そう言って顔を上げた先輩の目が、少し潤んでいた。


「プレゼントって……こんなに嬉しいんだね。私、こんな風に祝ってもらうの、久しぶりで……」


「……そうなんすか」


「うん。……今まで、彼氏からも、家族からも、忘れられてること多くて。だから……今日みたいなの、初めてで」


 その言葉を聞いて、何かが、胸の奥でキュッと締まった。


「……いや、俺、もう来年から毎年やりますけど」


「えっ?」


「なんなら、毎月でもやりますけど」


「えっ? えっ……?」


 先輩は混乱した顔で俺を見た。俺も、ちょっと言いすぎた自覚はある。


 でも、気づいたんだ。


 この人の涙は、見たくないって。

 悲しい顔なんて、一秒も似合わないって。


 気づいたとたん、口が勝手に動いてた。


「……泣くくらいなら、俺が全部もらいますよ、日向先輩」


「……っ」


 今のは、なんか、重かったか?


 やべえな、と内心で思っていたら――


「……好きになりそう」


 ぽつりと、先輩が呟いた。


 今の、幻聴じゃないよな?


「今……なんて?」


「な、なんでもないっ!」


 ななみ先輩は真っ赤な顔でクッションを抱きしめた。


 でも、俺には聞こえてた。


 はっきりと、耳に残ってた。


 ……心臓が、やけにうるさかった。

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