第19話

 結界師総会の広間に張り詰めた空気の中、幻の提案が重く響き渡った。

「未熟な人外と触れ合わせて暴走するか確かめる」という、常識破りの提案に、ざわめきが広がる。

 厳の「よかろう」という言葉で、その試練は決定された。小川重光は顔を青ざめさせたが、もう後には引けない。


 総会の出席者たちは、広間の片隅に設けられた、厳重な術式で囲まれた空間へと視線を集中させた。

 そこに連れてこられたのは、首輪をつけられ、威嚇する幼い狼人間だった。

 その瞳には恐怖の色が浮かんでいる。まだ変化も拙いその狼人間は、尖った耳も牙も、瞳の色も、威嚇する気も何一つ隠せてはいなかった。

 実際、先程からずっと唸り声を上げ続けている。


「この子は人間世界で生きる両親から生まれたのだが、あまりに凶暴で両親も手を焼いていてね。明日にでも人外世界に連れて行かなければならないと思っていた子だ」


 厳が説明する。視察時に、両親から「もう連れて行ってくれ」と匙を投げられた子で、たまたま連れていたのだという。

 厳も可哀想だとは思うが、どうにもならない。

 両親に匙を投げられれば、人外世界に連れて行かなければならない決まりなのだ。


 結界師たちの中には、その子の妖気にわずかに反応し、身構える者もいた。


 心遥は、その子を見て胸が締め付けられる。

 この子が、自分の力のせいで危険に晒されるかもしれない。そんな責任感と不安が、彼女の心を覆う。


「心遥、この子を助けてやってくれ」


 厳が静かに、しかし力強く言った。

 そこには、娘への願いも込められていた。

 蓮司もまた、温かい視線を心遥に送っている。その信頼に、心遥は深く頷いた。


「大丈夫だよ小守さん、何かあれば僕たちが身を挺して守るからね」

「心遥、頑張れ!」


 幻と宵闇蓮が側に来て、心遥をすぐに守れるように見守った。

 二人の言葉に、心遥の緊張が少しだけ和らぐ。


 心遥は念の為に己を結界で守り、一歩ずつ術式の空間へと足を踏み入れた。

 怯える狼人間の子どもが、心遥の姿を見てさらにワンワンと激しく鳴く。

 広間にいる結界師たちの視線が、心遥と狼人間の子どもに釘付けになる。

 彼らは、心遥の力が本当に人外を暴走させるのか、それとも鎮めるのか、固唾を飲んで見守っていた。


 心遥は、狼人間の子どもの前に静かに膝をついた。

 目を合わせ、ゆっくりと手を差し出す。


「大丈夫だ。怖くない」


 心遥の声は、まるで母の歌のように優しかった。

 そっと手を握ると、握ったところから淡い光が輝く。

 それは、結界師の術とは異なり、何の強制力も持たない、ただただ温かい光だった。

 狼人間の子どもは、最初こそ警戒していたが、心遥の霊力に触れると、その表情が少しずつ緩んでいく。

 やがて、その小さな手を広げると、笑顔を見せて抱っこをせがんだ。

 心遥は狼人間の子どもを優しく抱きしめる。

 その瞬間、狼人間の子どもから溢れ出ていた不安定な妖気が、スッと落ち着いていくのが感じられた。 

 そして、狼人間の子どもはまるで子犬のように尻尾を振った。


 広間の結界師たちが、目を見開く。重光は、信じられないものを見るかのように、その光景を凝視していた。


「これは……」


 長老の一人が、思わず声を漏らした。

 狼人間の子どもは、心遥の腕の中で安心して眠ってしまいそうなほど、穏やかな表情をしていた。

 心遥の力は、人外の力を「抑え込む」だけでなく、その本質を「受け入れ」、そして「調和させる」力だったのだ。

 それは、結界師たちがこれまで用いてきた「排除」や「封印」とは全く異なる、新たなアプローチだった。

 蓮は、心遥のその姿を見て、胸に熱いものが込み上げてくるのを感じた。

 彼女の優しさと、その力は、閉ざされた結界師の世界に、新たな光をもたらす可能性を秘めている。幻は、満足げに微笑んでいた。





 心遥のデモンストレーションは、広間の空気を一変させた。重光の主張は、その場で脆くも崩れ去った。


「小川重光! これでも、小守心遥の力が危険だと言い張るつもりか!」


 厳の声が、広間に響き渡る。

 重光は、唇を噛み締め、悔しげに顔を歪めた。彼の用意した証拠は、心遥の圧倒的な力の前に無力だった。


 総会は、心遥の力を「危険なものではない」とすることで一旦の決着を見た。

 しかし、それはあくまで表向きの決定であり、結界師一族の中には、心遥の力を危険視し続ける者や、その力を私的に利用しようと目論む者が少なからず存在していた。


 そして重光とその娘である香奈はその行いが結界師としての規律違反と見なされ、厳しい処分が下されることとなった。

 重光は学園の役員から追放、重役からも降格されることになった。香奈は学園から退学を余儀なくされるのだった。


 総会が終わり、本拠地を出る蓮たちの背中に、冷たい視線が突き刺さるのを感じた。彼らの戦いは、まだ終わっていない。

 むしろ、より複雑な局面へと突入した気がした。






 学園に戻った蓮たちは、一見平穏な日常を取り戻したかに見えた。

 しかし、総会での出来事は、彼らの意識を確実に変えていた。 

 心遥は、自分の力が持つ意味を改めて認識し、その力を正しく使う責任を感じていた。

 宵闇蓮は、心遥を守るという決意を新たにし、吸血鬼としての力と、人間としての感情の間で揺れ動く自分と向き合い始める。

 そして幻は、心遥の隣で、彼女が自分を「下僕」として受け入れる日を心待ちにしているようだった。

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