霊感少女I:4
今さらこんな紙男をけしかけてどうなるものか、と僕は思った。
Bも同じ考えだったようだ。殴りかかって来るサイトウを冷静な視線で見詰めながら、Bは隣に立つAに向かって「竹刀」とそっけなく告げた。Aは預かっていた竹刀をBに渡す。Bはそれを受け取るなり、突っ込んで来るサイトウに踏み込んで、鋭く胴を一閃した。
竹刀でも達人が振れば紙くらいは両断できる。
紙で出来たサイトウの肉体は中央から真っ二つに分かれ、それぞれがひらりひらりと宙を舞った。風になびきながら背後を舞い落ちるサイトウに、Bは目をくれることもなくIの方を睨み付け、竹刀を突き付ける。
「あたしはおまえを許さない」
「あなたがどう思うかなんてどうでも良いのです」
Iは頭を掻き毟るように抱え込み、悲鳴のような声を発した。
「鬱陶しいのです。そんな棒っきれで粋がって、正義の立役者みたいな顔をして、あなたは本当にわたしの趣味じゃありません。もっと怯えるとか震えるとか、一生懸命に強がりながら立ち向かってくれたら優しく出来るのに。なんであなたはそんなに冷静で真っすぐなんですか?」
「……昔の知り合いにおまえに似たような奴がいたよ。自分に都合の悪いことを全部力づくでどうにか出来ると思ってる奴。しかしおまえを見ていて思う。あいつはまだマシだったってな」
Bは静かな足取りでIに近付いて行く。
「Yの奴は同じ目線であたしに戦いを挑んで来た。手段は卑劣だったけどあいつ自身も相応のものを賭けていたんだ。それだけの度胸がYにはあった。しかしおまえはなんなんだ? 相手と同じ目線で、同じ土俵で、きちんと戦ったことが一度でもあるのか?」
「ナンセンスです。同じ目線とか同じ土俵とか、何を賭けるとか賭けないだとか、そんなことに意味があるとは思えません。戦いなんてくだらないのです。自分が少しでも痛い思いをする可能性があることを、わたしはしたくありません」
「戦わないのならどうするんだ? あたしは今すぐにでもおまえに襲いかかるぞ?」
「わたしとあなたとの間では戦いと言うものは成立しません。虫けらを踏み潰したり、ひねり潰したりすることを、戦いと呼ぶことはないでしょう?」
「……またあの妙な人形を使うつもりか?」
「いいえ。わたしが自ら手を下す必要さえないのです」
その時だった。
宙を舞っていたサイトウの切れ端が重なり合い、見えない巨大な両手で押しつぶすようにして一つの紙の塊になる。それらは限界まで圧縮されほんの小さな礫と化すと、唐突に弾かれるようにして元の一枚の平らな紙の状態に戻った。
そこには巨大な鬼の絵が描かれていた。
「……! Bさん、危ない!」
Cが叫ぶ。Bが振り向くと紙の中の鬼は口から真っ赤な火炎を放って来た。
全身を包み込めそうな程大きく激しい炎だった。Bは類稀な反射神経と運動能力でそれを回避する。鬼は巨体に似合わぬ俊敏な動きでそんなBを追い回し、肩に担いでいた金棒で殴りかかる。
紙で出来ているはずの平面上の金棒はしかし、重量を感じさせる轟音を発しながら地面にめり込み、砂埃を立てさせた。
「……なに、あれ?」
Aは目を丸くした。サイトウだった紙に描かれている鬼は身長は三メートル近く、体重は立体に直せば一トンや二トンはありそうな程の巨躯を誇っている。その全身は緑色で筋骨隆々。奇怪な程に大きな眼球が顔の中央から三つも突き出していて、金色の長い髪を生やしていた。
「何って。オイラだよオイラ、サイトウだよ」
大鬼はサイトウの声でそう言って笑った。
「オイラは絵なんだ。だから描けば何にだってなれるし何だって生み出せる。この館でおまえらが食ってた飯とか着てた服とか使ってた家具とか、全部オイラが絵の中で生み出して絵の外の世界に現出させてたものなんだぜ? この炎だって……」
サイトウは鬼の口から真っ赤な炎を吹きあがらせAを襲った。火だるまになる寸前でAはその場を転がるようにしてそれを回避する。
「同じ原理だ。絵の中の炎を外の世界に現出させる。生半可な術じゃないぜ? お嬢様がおつくりになられた最高傑作にして一番の従者であるオイラだからこそ成せる技だ。ただの人間如きにどうにかなるような存在じゃないんだなー、オイラったら」
そこでCが口元を動かした。
「あむやくすざなとみあとえにえやんやむろかつちてはおあんみじゅぶさろじゃおにぐらす」
Cが呪文を唱えるとサイトウは足元から炎上し黒焦げになった。紙の焼けるニオイがあたりに充満し噎せ返るような煙が目に染みる。Cは燃えカスになったサイトウを踏み越えてIの方に迫った。
「……わたしが本気になれば、姉さまだってタダで済むとは限りませんよ?」
温厚そうなCに似合わぬ勝気な台詞だった。大鬼のサイトウを呪文一つで燃えカスにしたことにも僕は驚いていた。AとBも同じであり驚愕の表情でCを見詰めていた。Cもまた霊感少女の一人でありIに匹敵し兼ねない強力な呪術を使うことを僕は理解した。
Iはそれを受けて鼻白んだような表情を浮かべつつも、微かに声を震わせて高い声で言った。
「わたしはあなたに自分の出来ることの半分も教えていませんよ?」
「それで十分なはずです。何も本気で呪いあってわたしが勝つと言っている訳ではありません。わたしをもう一度捕えられたとしてもそれまでに一矢報いるくらいのことは出来ると言いたいのです。姉さまはそんなことは好まれないのでは?」
「本気で反抗するのなら、こっちだって手加減できずにうっかり殺してしまうかもしれない。そうなる前に、あなたが降参すれば良いのだわ」
「いいえ。わたしは最後まで戦います。それが嫌なら、姉さまがわたし達を諦めてこの館から見送るのです」
「……Cちゃんはどうしてもわたしをこの館の中に取り残すつもりなんですね」
Iは目に涙を貯めてCを睨んだ。
「この館も、地下に眠る叔父様も、気の触れた父様も。すべてをわたし一人に押し付けにして、Cちゃんは出て行ってしまうのですか? 母様と同じことをするのですか? そんなことは許されません。あなたにはわたしと同じくこの館に残ってこの館を守り抜く義務があるはずなの」
そこでCは歯噛みして視線を横に逸らした。
「ごめんなさい姉さま。傍にい続けるには、あなたはあまりにも行き過ぎているのです」
「確かにわたしは魔女で悪魔です。人ならざる化け物です。でもそれはあなたも同じでしょう? 同じようにすれば良いでしょう? 三人! たった三人同じ力と境遇を持った姉妹なのに!」
「わたしはあなたとは違います。あなたのようにはなりたくない。Nのことだって、あなたのようにはしたくない」
「そんなのはあなたの勝手でしょう! 残った妹のNちゃんや、大切な大切なMくんのことまで、あなたはわたしから奪うのですか?」
「いやI。それは違う。君の言うことは間違っている」
僕は言った。
「僕やNが君の元から離れていくのは、僕やN自身の意思であり、Cさんの所為ではまったくないんだ。強いて誰の所為だというのなら、それはI、君自身の振る舞いが招いたことなんだよ」
Iは深く傷ついた表情でその場でボロボロと涙を流した。そしてかすれたような声で僕を見詰めながら縋るように言った。
「ごめんなさいMくん。許して……」
「許されたいのなら行動で示すべきだ。まずは僕らをこの館から解放することだ」
「それはできません。あなたを失うことにわたしは耐えられない」
「……お願いIさん。あたし達をこの館から出て行かせて欲しい」
Rが優し気な声でIに言った。
「酷い扱いだったけど、この館のこの庭でずっとあなたと過ごして来て、あなたの孤独や寂しさは理解しているつもり。ご両親や妹さん達との関係がどういう風に変わって行ったかも。お母さんに出ていかれてお父さんがあんな風になっちゃって、妹さん達まで傍にいなくなったら、あなたは本当に一人ぼっちになってしまう」
Iは爪を噛みながら、苛立った表情でRを睨んでいる。Rは構わず続ける。
「それはMくんの言う通り、あなたの振る舞いが招いたことでもあるかもしれない。でも、あなたがそんな風になってしまったのは、あなたが不思議な力を使えてしまったから。そうでなければ、あなたは不器用で大人しくてでも努力家で、そんな真面目で綺麗な女の子だったんでしょうね。今からでもそうなれば良いわ。今のあなたが本当のIさんでないことは、あたしには分かっている。小学生の頃の優しいIさんを取り戻せれば、Mくんだって周りの人だってあなたに対する接し方を変えるはずよ」
「そのMくんはあなたが奪って行くんでしょう!」
Iは絶叫した。
「サイトウさん! 起きて! ふらぼるぞうどろぞとこみゃおにぐすやんやむどぐぞーそにょらみぐあるかざなどりあじゅぶにぐらす!」
サイトウを焼いて出来た灰が突如として宙を舞い、渦を巻き始めた。Iがどこからともなく取り出した巨大な紙を渦に向けて投げつけると、灰はその紙の表面に吸着し、再び鬼の姿を取った。
「ぎゃおおおん! 復活だい!」
大鬼のサイトウは棍棒を振り回してRに迫った。竦み上がるRの前にNが立ちふさがると、口元で素早く呪文を唱えると半透明な結界のようなものを出現させ、その棍棒の一撃を受け止める。金属同士がぶつかるような甲高い音が響いた。
ガラスでもプラスチックでもない、どころか物質ですらおそらくないだろう、半透明の障壁だ。Cを包み込む楕円形のそれはCが詠唱を繰り返すことで維持されサイトウの攻撃を防ぎ続けている。最早事態は能力者同士の超常バトルに陥っている。RもAもNも何も出来ずにそれを見守るしかない。
状況はCに不利のようだった。防戦一方な上、結界の耐久も既にギリギリのようだ。サイトウが繰り返し棍棒を打ち付ける度徐々にひび割れ、維持するCの額にも汗の玉が浮かんでいる。
「……おまえが加勢することは出来ないのか?」
僕はNに言った。Nは端的に答える。
「無理です」
「僕の記憶を戻して見せた、あの術は大したものだったと思うが」
「あれは一夜漬けです。先生にわたしのことを思い出して貰う為、C姉さまに教わりました」
「一夜漬けだろうと何だろうとテストで点さえ取ってしまえばそれはおまえの実力だ。というか一夜漬けで何とか出来る奴っていうのは、普段の授業や提出物くらいのことは、そこそこ真面目にやっているものなんだよ」
「小学生レベルなら一晩ちゃんと予習すれば漢字の小テストくらい乗り切れる、とUさんは仰っていましたね」
「一晩ちゃんと予習するってことを自主的に出来るような奴は、そもそも普段の授業からちゃんとやってるんだよ。人並にだらしないとこあるけど根は真面目なんだな。だからUはテストだっていつも九十点以上は硬いんだ」
「わたしはいつも六十点くらいなんですが」
無気力無関心な性質のNは学校の成績もあまり良くない。無口で無表情なのもその怠惰な性格に端を発している。そうやってやり過ごす習慣が付いてしまっているのだ。Iという姉が好き放題過保護に甘やかし、思うがままにすることで自主性を奪ったことが原因だろう。両親が機能不全状態なのも厳しいところだ。
「どっちにしろ、わたしには無理です」
「分かった。頼ろうとしてすまない。先生は大人だから、自分で何とかするよ」
僕は傍に落ちていたなるべく大きな岩を大鬼のサイトウの目玉に向けて投げつけた。
これでも中学の頃は野球部でピッチャーをやっていたのだ。昔取った杵柄で岩はサイトウの眼球に命中する。結構スピードが出ていたのもあってか、サイトウは思わず短い悲鳴をあげて棍棒を振り回す手を止めた。
「いてぇ! なんだ! 何しやがる」
「おまえこそ何してくれてんだ。女の子を棍棒でいじめるなんて最低だぞ?」
「うるせぇ! やりたくてやってんじゃないし、結界さえ壊せば後はテキトウに気絶させて館に連れ戻すんだよ。何せお嬢様の妹様なんだからな!」
応酬を繰り広げる僕とサイトウに、雄たけびをあげながら突っ込んで来た奴がいた。
「うおおおお!」
Bだった。やはり勇気があり頼りになるBは、竹刀による強烈な刺突攻撃をサイトウの剥き出しのヘソに浴びせかけた。
「うぎゃあああ! いてぇええ!」
サイトウはその場に寝転んで悶え苦しみ始める。結界を解いたCが汗を垂らしながらサイトウの方を睨み付け、全身全霊の詠唱を行った。
「ぼるごおぞやんやむざなとりあろぞやぞとれぞもぐろうどじゃばにれやんやむ。やんぞがべあれやろじばぐらぞばらぞうぞにれつぐなやんぞざなとりあじゅぶにぐらす!」
天から一本の巨大な釘が出現してサイトウを襲った。釘は銀色の金属で出来ていて僕の身長程もあり、ぞっとする程鋭く研ぎ澄まされていた。それはサイトウの額を貫通してそのまま地面へと突き刺さり、杭となってサイトウを貼り付けにした。
「ぎゃああああ!」
サイトウはじたばたと悶え苦しむが脳天を貫いた杭を抜くことが出来ない。Cが再び呪文を唱えると今度はさらに二本三本と続けざま釘が降り注いでサイトウの身体の各所を貫いて、その身動きを完全に封じてしまった。
「そんな杭なんて……」
Iは呪文を唱えようとその場で口を開いた。
「させないよ!」
Aがそこに飛び込んだ。そして手に握り込んでいた砂をIの顔面、開いた口の中に叩き付ける。Iはたちまち大量の砂を飲み込んでしまい、涙を浮かべながら激しく咳込み始めた。
「呪文唱えられなきゃ変なこと出来ないでしょ? あんた生身は人間なんだから!」
素晴らしい機転だった。それはCの友人として霊感少女の戦いを見続けて来たからこその気付きであり、これしかないという完璧な対処法だった。
「ゲホっ! ゲホっ! ……ぼるご……ゲホっ。じゃぶ、にれ……ゲッホゲッホ!」
大量に飲み込んだ砂を吐き出し終えるまで、Iは呪文を唱えることが出来ない。目を真っ赤にして激しく咳をし喘ぐことしか出来ないでいる。
「でかしたA!」
Bが竹刀で殴りかかろうとする。Cはそれを軽く右手で制すると、口元で呪文を唱え始めた。
「ぼるごおぞやんやむざなとりあろぞやぞとれぞもぐろうどじゃばにれやんやむ。やんぞがべあれやろじばぐらぞばらぞうぞにれつぐなやんぞざなとりあじゅぶにぐらす」
サイトウを封じたのと同じ呪文だった。天から降り注いだ釘がIの身体に飛来して、胴体を刺し貫いて地面に深く突き刺さる。Iは地面に膝を着いて蹲った姿勢のまま身動きを取れなくなった。
「こ……この……っ!」
やがて砂を吐き切って詠唱を開始するIだったが、身体を貫通した釘が光を放つと途端に唇を結ばされ黙らされてしまう。それはIの呪文を封じる効果を持っているようだった。Iはそれでも無理矢理詠唱をしようと足掻いていたが、やがてそれも諦めたように首を倒し、長い髪を垂らして項垂れた。
僕達の勝利だった。
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