蜘蛛男:3

 その日の食卓もIと一緒だった。

 向かい合わせの席でIははしゃいだように喋りながら、サイトウの用意した食事を摂っている。僕もポークソテーや貝の味噌汁やハルサメサラダに舌包みを打ちながら、ビールを注文しては「んなもんねぇよ」とサイトウに突き放されていた。

 「食事が良いのが、おまえの取柄の一つなのに。冷えたビールないなら台無しじゃねぇか」

 「おまえの給仕係じゃあねぇっつうんだよ。お嬢様はぁ、お酒は飲まれないの!」

 「あっそ。じゃあ今日は良いから明日から用意しとけよ」

 「ああ? 誰がおまえなんかの為に用意するか」

 「お? 俺はお嬢様の大切な客人なんだぞ分かってんのか?」

 「あ?」

 「お?」

 「やめてください」

 Iは焦った様子でおどおどと取り成した。

 「ビールならわたしが必ず用意しておきますから。好きなメーカーを仰ってください。仕事の帰りに買ってきます」

 「良いですよお嬢様。お嬢様が行くくらいなら、オイラが作ります」

 このサイトウともすっかり打ち解けていた。良くじゃれ合うようなケンカをするが、深刻な状態に陥ることはなく、嫌味の応酬も数語で終わる。向こうがどう思っているかは分からなかったが、僕はこのペラい使用人をそれほど悪く思っていなかった。

 「今日は楽しかったですね」

 Iはニコニコと微笑んで言った。

 「昔は良くこの館にも遊びに来てくれたんですよ? それで、今日みたいにかくれんぼをしたり、ゲームをやったり」

 「卓上ゲーム好きだよね。テレビに繋ぐ方のゲームはないの?」

 「あれはわたし、良く分からなくて。反射神経を使うのがダメで。Nちゃんは毎日遊んでるんですけどね。一緒にやっても足を引っ張るだけで最近ではそれもしてくれなくなりました。新しいのが出る度いつもせがんで来るんです。こないだなんて、テレビのコマーシャルを見て、今夜中にどうしても遊びたいなんて言い出して、サイトウさんがひとっ走り行くことになって」

 「Nちゃんってのは妹さんだっけか。甘やかしすぎなんじゃないの?」

 「Cちゃん……大きい方の妹には、たまにそう言われましたね」

 Cと聞いて僕はピンと来た。AとBの二人の女学生が言っていた名前だ。

 「Cちゃんという妹もいるんだね」

 「はい。とってもお利巧で手のかからない子だったんですが……最近ちょっと仲たがいしましてね。館を出て母の方の家に行っちゃったんです」

 「そのCさんは今もこの館に戻らないの?」

 「実は最近、ちょっと強引に連れ戻しました。あんまり聞き訳がなかったので」

 僕は固唾を呑み込んだ。

 「Nちゃんのことまでお母さんの方に連れて行こうとしたんです。わたしはそんなCちゃんのことを追い掛けて、Nちゃん諸共この館に連れ戻しました。Nちゃんはまだ小さいので判断力がないということで、Mくんと同じくらいの待遇で別館に住まわせてますけど、Cちゃんの方はお仕置きも兼ねて地下牢に閉じ込めています」

 「……地下牢か。穏やかじゃないな」

 「しょうがないんです。しょうがないんですよ。あの子は肝心なことでは何一つ言うことを聞きませんから。普段生意気だけど必要なことはちゃんと聞いてくれるNちゃんとは正反対。そういう子が一番困るんですよね。反抗期なら優しく受け止めてあげられますが、表面上はちゃんとお利巧な妹なんだから、始末に負えませんよね」

 「その地下牢というのは、いったいどこにあるんだ?」

 「別館の方です。地下室というからにはもちろん地下です」

 「別館ってどんなところなんだ?」

 「気になります?」

 「今のところ、俺の行動範囲はこの館の中だけだから。行ってないところがあるのは、単純に気になる」

 「渡り廊下で病院と繋がってる古い建物です」

 Iは壁の一方を指さした。確かに、そちらにはこの本館よりやや小ぶりな建物がもう一つある。と言ってもそちらも見たところ三階建てで十分すぎる程大きかったが。

 「今度案内します。ただ、絶対に一人では行かないで下さい」

 二人の妹を幽閉している建物についてIは僕にそう忠告した。二人の妹を幽閉しているのだからそれは立ち入られたくないだろうと僕は漠然と思い、それ以上の意味を考えることはなかった。

 「おいサイトウ」

 「なんだよ」

 「まだ飯残ってる?」

 「すぐ作れるよ。このただ飯食らいの大食らいが」

 「もう一食分、いや俺は大食らいだから二食分こさえて、タッパーかなんかに詰めてくれ」

 「なんでそんなことさせるんですか?」

 Iは小首を傾げた。

 「夜食だよ。Iはすぐ寝るけど俺は宵っ張りなんだ。で、遅くまで起きてると腹が減るし暇だから、夜食を食うのが楽しみなんだ」

 「そうですか。……あの、隠れて動物を飼っている、とかではなくて?」

 妙な勘の良さを発揮するIに、僕は何食わぬ様子で微笑んで見せる。

 「ないない。だいたい、館から出られないのに、どうやって動物を見付けて来るっていうんだ?」

 サイトウは言う通りにしてくれた。キッチンの方に引っ込むと、ものの三分や五分で戻って来て、エビチャーハンと揚げギョーザにからあげというメニューがぎゅうぎゅうに詰まったタッパーを持って来た。

 「夕飯とは違うメニューだな」

 「同じのが続くと嫌なんじゃねぇのか?」

 「気が利くじゃん」

 「オイラだってなぁ、仕事には妥協したくねぇーんだ。例え相手がおまえだとしてもなぁあ。キッチンの鍋に中華スープも用意しておいたから、火をかけて温めて食いやがれ。ビールは今から作って来るから、寝酒がしたけりゃ冷蔵庫から出して好きにしろってんだアホンダラ」

 家事や料理は本当に好きでプライドもあるのだろうサイトウに礼を言って、タッパーを持って僕は部屋に引っ込んだ。

 風呂に入れとサイトウに言われたので風呂に入り、リビングでテレビを見ながら眠くなるまでIの相手をして、十時前に彼女が寝室に行くのを見届けた後、僕はサイトウに声を掛ける。

 「おまえいつ寝てるの?」

 「お嬢様が寝た後だよ。そしてお嬢様が起きる前に目を覚ますんだ。使用人として当然の心掛けだな」

 サイトウはそう言って鼻を高くした。

 「どうなんおまえ。その生活」

 「別に? けっこう良いよ土日は自由にさせて貰えるし。金曜に土日の分も飯作っとく必要あるし、月曜は貯まった洗濯物と格闘だけどな。平日だってずっと仕事してなきゃダメな訳じゃないし、今日みたいに途中で遊んだり、ちょっと出かけるくらいのことは出来るんだ。仕事が回ってさえいればの話だけど、まあそこは慣れてるから余裕でこなせるもんな。病院で勤務してるお嬢様の方が、余程忙しく働いてるんじゃないのかな?」

 「そのお嬢様はもう寝たぞ」

 「だから何?」

 「いやおまえは寝ないのかなって。それとも、俺が起きてる間は起きて世話してくれんのか?」

 「寝るに決まってるだろうが! 誰がおまえの為なんかに!」

 そう言ってサイトウはペラい体を翻してリビングを出ていく。二階にある自室に向かう為だろう。

 僕はリビングでしばらくテレビを見て過ごした。そして十一時を回った頃、館の主人と使用人の部屋をそれぞれ回り、扉から明かりが漏れていないことを確認した後、二人の女学生が隠れている客室のクローゼットへ向かった。

 両手にはサイトウが作った飯の入ったタッパーが握られている。客室の扉を開けると、クローゼットの中からすったもんだの声が聞こえて来た。

 「だから! どうせニオイは漏れないとか、そういう問題じゃないんだってば! 品性だよ品性! 分かってんの?」

 「漏らしてパンツ濡らす方が余程品性に悪いっつってんだよ! だいたい今は緊急事態だろうが! クローゼットの隅をちょっと濡らして来るくらいがなんだってんだよ!」

 「何が悲しくてあんたの股から出たモノでアンモニア臭くなったクローゼットで過ごさなきゃいけないんだよ!」

 「んなもんは漏らしたって同じことだろ!」

 「漏らすな! こっそりトイレ行って来いっつってんの!」

 「そういうことしたらバレるんだって何回言わせるんだよ!」

 「じゃあ我慢しろ!」

 「もう限界だ! 漏れる!」

 「漏らすな!」

 僕はクローゼットを開けて、気まずそうな顔でこちらを見上げる二人の女学生に、優しい表情で廊下の方を指さした。

 「もう他の奴寝たから行ってくれば?」

 Bはミサイルのような勢いでクローゼットから飛び出して、足音を激しく立てながら廊下を走って行った。

 「こら! 足音建てて走るなバレるじゃん!」

 Aは館中に響き渡るような声で叫び、自分も尿意を感じていたのだろう、Bを追い掛けて行った。……こいつらほっといたらいつ見付かるか分からんな。

 二人が戻って来て僕はタッパーに入ったエビチャーハンを差し出した。飲み物も箸も出す。箸でチャーハンというのも変だと文句を言いつつも、二人の食い盛りは猛然とチャーハンを食べ始めた。空腹だったのだろうしサイトウの飯は美味い。競い合うようにチャーハンギョーザから揚げを貪り終え、最後に温めて来た中華スープをそれぞれ一気飲みした二人に、僕は声を掛ける。

 「友達を探しに行こう」

 AとBは顔を見合わせた。

 「Cという子がどこにいるのか聞き出して来た。別館の地下室だ。……助け出して、一緒にここを脱出しよう」

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