Yの末路:5

 勝負あった。私は興奮した。Bはただの一撃で持って大柄なボクサー崩れの青年を倒してのけた。実際には紙一重の勝負だったらしいが、それでも私と同じ歳の女の子で同じことが出来るのは、世界中にBだけだろう。

 「今すぐAに警察を連れて来させるから、おまえはここであたしと大人しく待っていろ。おまえがこれまでにして来た全ての悪事を明らかにする」

 「待って! 許して!」

 そう言ってYは両手を開いて後退りながら、許しを乞うた。

 「Cさんのことなら開放するから、警察に突き出すのはやめてっ。お金ならいくらでも払うわ。百万でも二百万でも……私なら引っ張って来る方法はいくらでもある!」

 Yは壁に背中を付け、何やら懐に手を入れる。

 「いらねぇよおまえの汚い金なんか。おいA、良いからおまえ交番行って来い。誰でも良いからオマワリ引っ張って来るんだ」

 「良いけどそれやったらあんたもヤバくない? そこのボクサー崩れとケンカしたんでしょ?」

 「正当防衛で済むかもしれないし、済まなかったとしても高校辞めるくらい訳ないさ。それよりもYがCの奴にこれ以上付き纏えないようにちゃんと警察沙汰に……」

 言い終える前に、Bはその場で崩れ落ちていた。

 突然仰向けに倒れたBを見て私は面食らう。そして思わず倒れ伏したBに縋りつくと、自分の脇腹のあたりに何かが突き刺さるような感触を覚えた。

 それは小さな針のようなものだった。注射を打たれるのと酷く変わらないような微細な感触に、痛いと言うよりも訝しい物を感じる。

 だが次の瞬間に、それは訪れた。

 わたしの全身に電流が走った。驚いたことを表す比喩ではない。文字通りの電撃がその針を通して私の肉体に注がれたのだ。骨の髄まで染み渡ったそれは私の内臓に確実にダメージを与え、息も出来なくなるほどの衝撃を私に与える。

 倒れたという実感もなく、私は床に伸びていた。一歩ずつ、Yの足音が近づいて来る。どうにか首を捻ると、Yの右手に何か銃のような見た目の道具が握られているのが見えた。

 「テーザー銃っていうのよ。針を飛ばして、そこから電流を流す護身具の一種。日本では禁止されているのだけれど」

 そう言ってYはくすくす笑いながらBを足蹴にし、その顎をつま先で撫でた。そして完全に伸びているのを確認すると、その喉元にテーザー銃を突きつける。

 「今は気絶しているだけだけれど……何発も打ち続ければ多分死ぬわね」

 「……やめてください」

 声を挙げたのは、縛られたままことの成り行きを見守っていたCだった。

 「どうして……そんな愚かなことを」

 「どうせ警察沙汰にされるのは免れないんでしょう? だったらせめて本懐は遂げておくことにするわ。誘拐と暴行だけなら上手く行けば保護観察、どんなに悪くても中等中期ってとこだけど、殺人を認めたらいつ出られるか分からなくなっちゃうものね」

 そう言って、YはCの方に視線をやって、呼びかけた。

 「Fの霊をなんとかしなさい。それが出来ないなら、ここでAとBを殺す」

 「……やめよう。Yちゃん」

 私は声を絞り出した。

 「もう諦めようよ。そうやって暴力に頼って何もかも自分に都合の良いようにしようとしたって、状況は悪くなっていくなだけなんだよ。」

 「あら? 気絶していなかったの? Bの奴は伸びたのに、案外タフなのね」

 言いながら、Yは私の首元にテーザー銃を突きつける。

 「繰り返し発射して電流を流せばAちゃんもいつか死ぬわ。どうするのC?」

 「Aさんは……あなたにとってもお友達だったんじゃないですか?」

 Cが息を切らしながらそう言った。

 「脅しのつもりなんだとは思います。でもAさんの心は裏切られています。そうまでして……」

 「確かにこいつは親友よ。こいつとの小学生時代は楽しかったわ。私を恐れて媚び諂って来る奴は何人もいたけど、こいつだけは本心から私を好いて近づいて来た。だからこそ対等な口を利かれても許せたわ」

 でもね……Yはそう言って血走った目を向ける。

 「今そんなことどうでも良いわ。こいつは私の友達だけれど、最後の最後人は一人。私の味方は私だけなのよ」

 Yは露悪的な表情でそう言った。

 「さあどうするの? 今すぐFの霊を退治しなければ、Aを殺すわ。それでも言うことを聞かなければBを殺す。それでもダメならあんたを殺す。少しでも早く決断した方が良いわ。さあ、私を助けなさい! 今すぐに!」

 「……どうやらあなたは救えないようです」

 Cは漏らすような声でそう言って、Yを睨んだ。

 見たこともない程強い敵意に満ちたその表情に……私はアイスを飲み下したような気味の悪さを覚えた。

 「にゃおにぐらすあみやくすぐらぞーなざなとりあ。ほるごおそじゃぶあみや。ざみにとら」

 Cが呪文を唱え始める。と、同時に、水でも空気でもない、しかし確かにこの空間に充満している不気味な流体がCの全身に集まって行くのを感じる。集められたそれらはCの周囲で色濃さを増し、近くにいる私に息も出来なくなるような重苦しさを感じさせた。

 「ぶらぞばらにぐらすじゃぶあみやざみにとら。ざみにとらざなどりあほるごおそ。まあとみあざみにとらじゃぶにぐらす!」

 Cの全身に染み込んだ何かが、途端に弾けたように私は感じた。破裂した風船からあふれ出たようなそれは、指方性を持ってYの方へと向かっていく。それはYの背後にある空間を引き裂いて、闇そのものが滲みだすような大きな切れ目を発生させた。

 その切れ目の向こうにあるのは亡者の国だった。私は戦慄していた。Cは現世と冥界の境目を切ったように思われた。でなければ、その切れ目から滲みだす無限の暗闇について説明が付かない。それは見通しようのない、果ての無い底なしの闇だ。亡者だけが住まうことが出来、亡者だけが耐えることが出来る極寒の常闇。

 そこにはFがいる。

 Yを殺そうと闇の中で蹲っていた、Fがいる。

 「ちょっとっ! どういうこと!」

 後ろを振り向いて、自分の背後で起きている恐ろしい光景に向けてYが叫んだ。

 「何をしたの? C! これじゃFの奴が来ちゃうじゃない!」

 Cが生じさせたその裂け目はYの身長を僅かに上回るほどの大きさだった。Yの背後で、Yを殺す機会を伺っているというFが、そこを潜り抜けてYに襲い掛かるには十分すぎる程大きな裂け目だ。

 「何をするつもりなの? どうするつもりなの? 何でも良いからここを閉じてよ? ねぇ! お願いよ! 怖いわ!」

 Cは答えない。ただ地面の方を向いて唇を結んでいる。その面貌には隠し切れない嘆きと悲しみが浮かんでいた。

 裂け目から、二本の生白い腕が現れる。

 それはFの腕だった。強力な憎悪と殺意を持った二本の腕が容赦なくYの方へと迫って行く。

 「いやぁああああああああああああっ!」

 Yが悲鳴をあげた。Fの両腕がYの全身に迫る。最早腕だけでなくFの胴体の半分が裂け目から露出していた。FはYの全身に抱き着き絡めとるようにして、暗闇の滲む裂け目へと引き摺り込んでいく。

 「助けてっ! 助けてぇえええっ! 誰かああああああっ! あああああああああああっ!」

 Yがどれだけ脚をバタつかせても無駄だった。Fの力は強かった。現世に向けて腕が通る程の隙間しか空いていなかったこれまでと違い、今はYの全身を内側へと引っ張り込める程の隙間がある。そこに引き摺り込むことを、悪霊であるFが躊躇するはずがない。

 残ったつま先が暗闇の中へと飲み込まれ、Yの全身が現世から消える。

 そうして役目を終えたように小さくなっていく冥界への裂け目から、最後に思い出したかのようにFの顔が飛び出した。

 「ア、リ、ガ、ト、ウ」

 その声の矛先にあるCは何も言わず、顔も上げず、ただ目を閉じて一人震えていた。


 ○


 事件を正しく理解出来た者は、警察にはいなかった。

 あれからしばらく私もCもその場に伸びていたが、ある瞬間唐突にBが勢い良く起き上がった。そしてCの戒めを解いて私を起き上がらせると、鋭い声で問いかけた。

 「何があった?」

 私はありのままを話したがBは理解しなかった。そもそもこいつはCの持つ霊能力についても未だ完全には信じ切っていないのだ。Cのしたことを目の当たりにし、正しく理解できるのはこの世でわたし一人だけだった。

 とにかく事後処理は必要だというBの要望で警察に向かった。Tは逃亡を図っていたが捕まるのも時間の問題。私達はそれぞれ治療を受けた後、事情聴取の場でそれぞれにとっての真実を話したが、私の言い分が受け入れられることはなかった。

 Cがどのような説明をしたのかは私には分からない。

 聴取が終わり、警察署の前で座り込んでいる私の背後から、Cが声をかけた。

 「Aさん」

 私は振り向くことが出来ず、ただ漏らすようにしてこう口にした。

 「なかった……」

 「……はい?」

 「見捨てて……なかった」

 Yは地獄へ行った。亡者だけが住まうあの無限の暗闇の中に、生きたままの身体で引き摺り込まれた。そこでYはFに嬲られながら暗黒の世界を彷徨い続ける。光ある場所に帰ってくることはない。

 人を一人いじめ殺したのだから、報いを受けて当然だと言えるだろうか? だがあんなおぞましい暗闇の中に放り込まれる程の咎がこの世に存在しているのかは、甚だ疑問である。

 私はYのしたことを知っていたし、Yの友達でYと話の出来る立場にあった。私がどうにかしてやればYはあれほど悲惨な末路を遂げることはなかったのではないか?

 「……ごめんなさい」

 Cが震えた声で言った。

 「……いいよ。Cちゃん。あなたが悪いんじゃない」

 言いながら、私は胸に棘が刺さったような感覚を覚えていた。あの状況、暴走するYを止める為に強硬策に出るしかなかったCの立場は理解している。それでもCを恐れる気持ちを抑えることはできなかった。

 Cは現世と冥界の境界を暴いて、自らの霊力を用いて裂け目を作り、Fの霊体を現世へと召喚した。Yにけしかける為に。Yを冥界へと連れ去らせる為に。

 その行為を選択したことを否定する訳ではない。ただ、それだけのことが出来るCに対して、得体の知れない気味の悪さを覚えていた。その力は霊感なんて言葉ではとうてい説明できるものではない。Cは魔物だ。

 けど……それでも。

 私はふらふらと立ち上がり、顔を青白くして目に涙を溜めているCに近寄り、その華奢な身体に腕を回した。

 Cは戸惑った様子だった。私も自分のしたことに戸惑っていた。

 Cの息遣いを感じる。Cの髪や肌の匂い、その体温を全身で抱きしめる。二つの胸の鼓動が重なり合い、高まり合うのを私は感じている。

 私はCの耳元でこう言った。

 「……ありがとう」

 Cの全身に込める力を強める。

 「……助けてくれて……ありがとう」

 その一言で、Cの身体から不要な力が消えた。そしてその目の中に溜めていた涙を溢れ出させ、私の胸にしがみ付いて大きな声で泣きじゃくり始める。

 ……この子が何者なのかは分からない。霊感のある女の子としか知らない。この子が詳しいことを話さない以上、分かる必要のないことなのだと思う。

 けれどこの子のお陰で私が助かったこと。それは確かだった。そしてその為にこの子はこれからとても苦しむのだ。Yを殺したことと、向き合い続けることになるのだ。

 そんなCを一人にしたくはない。

 だから私は、この魔物のようなCに寄り添い続けたいと思った。それは出来る。そうありたい、そうじゃなきゃ嫌だと、私は思った。

 Cは泣きじゃくり続けている。その嗚咽がいつまで続くのかは分からない。いつまででも良い。寿命が尽きるまで、この世が無くなるまで、私はこの子を抱きしめ続ける。

 でも実際にはCはその内泣き止んで、私を見詰めてこう言った。

 「こんなわたしとも、これからも友達でいてくれますか?」

 私は迷わずに答えた。

 「もちろん」

 Cは握り潰した花のような顔で笑った。

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