㐧伍壱州・日本
iTachiの隠れ家
落日
米海兵隊軍曹の俺、ダニエル・パーカーは日本州の州都・東京の道端でタバコを吸っていた。
今や街はアメリカの企業が立ち並び、元日本人は暗い顔をして働きに出ている。
戦争はもう六年前に終わったというのに、この州の人間には、まだ復興する気力が一切見えない。
まあ、当然のことだ。
俺だって母国が滅んで、しかもあんなに屈辱的な仕打ちをされれば、こうなってしまうだろう。
一九四一年の真珠湾攻撃から、五年間の戦争を経て、俺達アメリカ合衆国は大勝利を収め、いつ来るかも分からない対中国戦争の最前線として日本を全土併合した。
「フゥ……」
一塊の白い煙を、群青の東京の空に吐き出し、長く瞬きをした。
もう一口、とタバコを咥えると、隣から俺を呼ぶ英語が聞こえた。
「あなたがダニエル・パーカー軍曹ですか?」
「ああ、そうだ」
俺はタバコを地面に投げ捨てて踏みつけながら彼の方を見た。
―――日本人だ。
レジスタンスかと思って、咄嗟に腰の拳銃に手が伸びたが、彼をよく見ると何も武装をしていない。それどころか、米軍の軍服に身を包んでいた。階級は……少尉。つまり俺の上司だ。
そういえば、今日付けで新しい少尉が俺の上司として入ってくるのだった。
それにしても、かなり流暢な英語だ。話し方だけでは、日本人だと気づけない。
「失礼しました。えっと―――」
「柳原 龍藏です。好きに呼んで下さい」
丸い眼鏡をかけた二〇代後半程度の男は、そう言ってポケットからタバコを取り出して「失礼」と言ってから火を付けて吸い始めた。
一息分だけ吸ってから、柳原少尉は俺に言った。
「不思議でたまりませんか?日本人の少尉...つまり大日本帝国軍の士官だった男が米軍に入るなんて。あなたが動揺するのも手に取るように分かります。目は良いんです。えぇ、けっこう」
「……不思議というか、言っちゃ悪いが気味が悪い。復讐でもしに来たのか?いくら上司となったと言っても、流石にこのご時世に元日本兵が上司は冗談きついぞ」
俺がもう一本タバコを吸おうと胸ポケットからタバコを取り出した時、柳原は言った。
「そう言えば、軍曹。早速一つ、レジスタンス関係で仕事があるのですが……どうですか?」
俺の手が止まった。こういう場合、内容が何であれ、レジスタンス関係は大体受ければ地獄を見るような内容だ。
日本人なら、尚更だ。上は、彼を試そうとしているのだろう。
この前もアメリカ人の上司がPTSDになって変わったばかりだから、彼にもそうなってほしくない。俺は咄嗟にその仕事を断るように言った。
「受けないほうが得策だ。良い報酬につられて受けて軍を辞めていった人間は五万と見た。本土に帰れるなら良いが、少尉はここの人間だ。周りの人間からの視線もあるから、辞めておくことをおすすめするぜ」
「問題ありませんよ。私には大切な人などいませんよ。すべて殺されましたから」
「米軍にか…?」
「いえ、同じ村の人間です」
俺は空いた口が塞がらなかった。
柳原少尉も少し寂しそうな顔をしているような気がした。
彼は一つ、タバコの匂いのするため息をついて話しだした。
「この国が敗戦してから、すぐに私の家族は米国相手に商売を始めました。こんな所でへこたれていられるかと言って居たのですが、その姿が、周りの人間には売国奴に見えたのでしょう。結果的にレジスタンスの一員に殺されましたよ。父も、母も、まだ幼い妹も」
「それは……大変だったな」
「しかし、あなたもレジスタンスと同じ立場の人間なら、私を恨むでしょう。当然ですよ。えぇ」
これ以上この件について話していたら、こっちが先に精神的に参りそうだ。
一度道路に目をやり、フォードの車が砂塵を巻き上げながら走っているのをじっくりと見て話を区切り、話を仕事に戻して、彼に内容を聞いた。
彼はすぐに普通の表情に戻った。いや、今思えば笑っていたのかもしれない。
「罪の確定したレジスタンスの刑罰の執行ですよ。まあ殆どが銃殺刑なので楽な仕事です」
人の命を奪う仕事を"楽な仕事"だという彼に、俺は少なからずの嫌悪感を抱いた。
もしかしたら、この人間もここで死刑執行官を続けている生粋の米国軍人――自分と同じ様に、家族を日本軍によって殺された軍人と一緒の人間なのではないか、と。
「正直、俺は気が進まねえ」
「辞めますか?それなら、私一人でも行きますから」
「いや、俺も行く。一応俺は少尉の部下だからな。それに、俺のほうが慣れてる」
「そうですか。では、行きましょうか。車はもう寄越してあります」
俺は柳原少尉の後を歩いた。
傍から見れば、日本人の後ろを歩くアメリカ人など、滑稽で仕方のないものに映ったか、少尉が祖国を裏切った反逆者として見えているのだろう。
左ハンドル仕様のフォード社の車に乗り込むなり、少尉は俺に一つの封筒を渡した。
『List Of Eliminate(排除リスト)』と書かれたファイルの封を開けて中を見た俺は絶句した。
少なくとも、百人以上の日本人の名前がそこには連なっていたのだ。
先月全て元上司と俺で射殺したはずなのに、まだこれだけ出てくるのかと、少し不安に駆られた。
流行りの陽気なアメリカン・ポップスが車のラジオから流れる中、俺は柳原少尉に聞いた。
「本当にやるのか?キリがねえぞ」
「米国軍人の軍曹が怯えてどうするのですか。私よりかは引き金は軽いはずですよ」
「……そうだな」
暫く車に揺られ、東京の街を少し外れると、堅牢で大きなコンクリート製の建物が見えてきた。
今までは別の小型の処刑場を担当していたから、日本州最大の処刑場に来るのは初めてだった。
門の看板には『反逆者収容及び処罰施設』と刻まれていて、敷地内に入った途端、そこはまるで別世界のように空気が重くなり、息が詰まるような空間になった。
流石、日本州一番の処刑場だ。火葬場も、共同墓地も用意されている。
昔、アウシュヴィッツを解放したと言って、暗い顔をしていた同期の気持ちがわかった気がした。
当時こそ、何故たかが一収容所を解放しただけでそんなに暗い顔になるんだと思っていたが―――
確かに、無音だが、既に地獄の様相だ。
しかし柳原少尉はこんな状況でもケロッとした表情をしているどころか、どこかワクワクしているような素振りさえ見せていた。
「少尉。もう着くから、ファイルを返しておくぞ」
「ありがとうございます」
彼はファイルをケースの中に入れて、一つ深呼吸をした。やけに肺が重たい気がした。
停車するなり、扉を開けて砂利の上に軍靴を落とした。
ジャリッという音と感触が人間の骨を砕くようなものに似ていた。
その時突然、嫌な戦場の記憶が蘇ったのだ。
―――俺が三発目の原爆投下地点の千葉県に上陸したときのものと酷似していた。
あれは地獄だった、今も、恐らくこれから先も胸を張ってそう言える。
上陸一週間前に核兵器と焼夷弾で海岸部を焼き払い、完全に人の居ない海岸に上陸した時、砂浜の近くのトーチカや塹壕で聞こえた、あのジャリッという音と感触は今も足の裏にこびりついている。
「軍曹?大丈夫ですか?」
「ああ、すまん。思い出に浸っていた」
「……」
コンクリートの箱に入ると、受付があった。身分証など必要書類を提示した後、俺達は指定の部屋まで通された。
道中の廊下では、あちこちの鉄格子のついた部屋からパン、パンという乾いた銃声が鳴り響いていた。
01、02、03、04、05……一体此処でどれだけのレジスタンスが殺されているのかなど、考えたくもない。
「ここです。少尉、軍曹。会話は最小限に。彼らに"汚染"されてはなりませんから」
案内人の米国人も彼らを人間として扱っていない様子だった。
そう。これが本来の正しい扱い方だ。反逆者には平等に死がもたらされるのみ。同情は一切必要ない。
扉には『29』と書かれていた。
少尉が扉を開けると、そこには椅子にくくりつけられ、目隠しと猿轡を噛まされた見窄らしいほどに細い体躯の中年の男が一人、そして近くの台には一発の金色に輝く弾丸とM1911拳銃が置いてあった。
「ほう…これは……」
柳原少尉が、眉間にシワを寄せて言った。
彼は何も言わずに拳銃を取り、弾薬を装填し、そして射殺する。
そう思っていたが、彼は予想に反して男の目隠しと猿轡と取り、男と目を合わせて言った。
「お久しぶりですね。中佐」
俺は彼の言葉に目を丸くした。
中佐だと……!?この、痩せこけて目元も窪んでいる男がか?
「あぁ、久しぶりだね。龍藏君。やはり、最後は君か。少尉になったんだね、おめでとう。それで…そっちの軍曹の君は?」
「第一海兵師団所属、ダニエル・パーカーだ。それであんたは……」
俺はファイルの名前に目を落とし、名前を確認した後、いつもの決まり文句を言った。
「原口 三矢、元陸軍中佐ですか。これより、あなたの死刑執行をします。何か言い残すことは?」
「言い残した所で、どうせ外部には出ないんだ。それより、そこの龍藏君と話しても良いかい?」
この期に及んで、まだ微笑みを見せる原口を気味悪く思いながらも、俺は柳原少尉の判断を仰いだ。
少尉が俺の前に出て、台の上に腰掛けて原口と話し始めた。
その姿はまるで師弟のようで、鉄格子から漏れる陽の光を受ける原口と太陽光から避けられ、暗い影に体を沈ませる柳原少尉が対極の存在のように見えた。
「どうして…あなたともあろう人がレジスタンスに?理性的に行動できるとだと思っていたのですが」
ため息をつきながら、柳原少尉は聞いた。
原口は馬鹿者めと言わんばかりに鼻で笑い、端的に答えた。
「責務だよ。上に立つ者の。特務機関出身の君には分からないことだろうけど、数百人の命を背負えば、分かるはずだ」
「......最後に、ご教授してもらうことは可能ですか?」
「ああ、もちろん。そこの軍曹も聞いておきなさい」
俺は遠くから頷くだけで、返事はしなかった。
原口は、処刑部屋の鉄格子の隙間から覗く空を見ながら話し始めた。
「終戦後、この国が徹底的に潰されるのは目に見えていた。アレだけ徹底的に殲滅されたんだ。それ相応の覚悟はしていた。しかし、私の覚悟が決まっていようとも、君の同僚だった下士官や一般兵卒はアメリカを憎み、恐れ、そして凶行に走った。彼らはまだ若い。これからの日本を背負っていく人間が、戦時中の悪霊となって人を殺して、何の意味があるか!!」
原口の顔が一気に強ばった。その顔は、どこか淋しげげ、泣き出しそうな顔でもあった。
彼は続けた。
「だから、私は言ったのだ。我々は戦争の敗残兵として日本人の『記憶』となるのだ、そうでなければ我々の記憶を語り継ぐのだ、と」
「『記憶』ですか?『記録』ではなく?」
柳原少尉が原口に聞いた。柳原少尉の眉間には皺が寄っていて、いかにも不満そうな態度を露わにしていた。一体何が気に食わないのか、当時の俺には分からなかった。
だが、今なら分かる。きっと、彼は今際の際に至っても未だ自分の非合理的な選択によって失ったものに誇りを持っていることが不可解で、不満だったのだろう。
彼らしい、合理主義者らしい考えだ。
「きっと軍曹には分かっているだろう」
俺は返事ができなかった。
一応自分の中で考えはあったが、これで合っているのか、いや……まずこんなことを考えてよいのかが分からず、自分の中に生まれたその勝手な解釈だけが息苦しそうに縮こまっていた。(勿論、今でも自分の答えに確信は持てていない)
「以上ですか。中佐」
「ああ、もう撃ちなさい。私は君を呪うことはない」
柳原少尉は、マガジンに弾薬を装填することはせず、M1911のスライドを引いて、わざわざチャンバーに直接弾丸を差し込んだ。
一種の敬意の様なものなのだろう。
スライドを戻した。
カチャンッ、という音がいつもより幾分か大きく聞こえた。一息ついた後、柳原少尉は引き金にそっと指をおいた。
「ああ、そうだ。忘れていた。君たちにこの言葉を授けよう」
中佐は空に吸い込まれるような、遠く悲しくも、どこか強さを内包しているような目をして言った。
「空は誰のものでもない。陸軍航空隊の私が言うのだから、間違いない」
数秒後、一発の黄金は陽の光を反射ながら回転し、中佐の頭を撃ち抜いた。
「ご苦労さまです。では、次の方がおりますので、こちらへ」
いつの間にか部屋の中に入ってきていた案内人の無機質な声に、さっきの中佐の言葉が薄まるような気がした。
俺は彼の声を聞かないように足元に広がる赤い血液をじっと見た。
「行きますよ。軍曹」
「了解」
次の部屋は扉に30と書かれていた。さっきと同じ様に案内人が決まり文句を垂れ流した。
「あまり長く―――」
「分かってるさ。手早く済ませる」
案内人の話を強引に打ち切り、俺と柳原少尉は扉を開けて中に入った。
さっきと同じように椅子には人がくくりつけられており、猿轡を噛ませ、目隠しをされていたのは―――
ただの少年だった。まあこのご時世、そこまで驚くようなことでもない。大抵は親の仇討ちか、戦前教育のせいで悲惨な末路を辿るのだ。
ファイルを開いて中の名前を確認した。
木村勝利、まだ十五歳だ。
この少年も、きっと周りの大人達や、在りし日の帝国像に乗せられたのだろう。
でなければ、自ら銃や爆薬を取って、アメリカ人やそれに同調する日本人を殺すなんてことはできない。
この少年が諸悪の根源ではないことは自明だ。
しかし、勝者のみが美酒を味わうことのできるこの世界では、そこに彼の人情や彼の道理は存在しない。
罪は罪としてただ勝者によって裁かれる運命にあるのだ。
深呼吸してから、俺は少年に言った。
「木村 勝利、レジスタンスだな。君の死刑を執行する。最後に言いたいことは?」
俺は少年の猿轡を取ろうとした時、急に柳原少尉が俺の腕をものすごい力で掴んだ。
驚いて彼の顔を見ると、彼は真顔、いや、若干の私怨が混じったような顔をしていて、俺の腕を掴む手も震えていた。
「少尉、どうした?」
「いえ、この少年に、最後の言葉を残させる価値はあるのかと思いまして……」
「……犯人なのか?」
「ええ。私の両親と妹を、家ごと燃やした挙げ句に、金品を盗んでレジスタンスの運動に使用した少年です」
彼の鼻息が少し荒くなった。俺がいなければ、いつもの決まり文句を言う前に射殺していただろう。
俺だって彼の気持ちがわからないことはない。だが―――
「少尉。ここは米軍だ。すまない。俺も少尉の立場なら、きっとこうしている」
「ええ、あなたは正しい。すいませんね。動揺してしまって」
俺はM1911と一発の弾丸を持って、少年の猿轡と目隠しを取った。
ひどく怯えている様子はなく、こちらを睨みつけていた。これから死ぬのを、まだ頭では理解しているが、本能では理解していないのだろう。
何も言わない少年を前に、俺は拳銃に弾丸を装填しようとした所で、少年は柳原少尉を見て話しだした。
「今更オラは謝らねえ。ただ、一つ聞かせろ。どうして日本を捨ててアメリカに縋り付くんだ?神武天皇から続いたこの皇国の威信がよそ者に完全に打ち砕かれても良いのか?」
少尉はため息をついて、タバコを一本取り出し、火を付けて吸った。その口元は強張っていた。
煙を吐き出すと、処刑部屋に降り注ぐ太陽光が綺麗に筋となって姿を表した。
その光の筋は少尉の胸元の階級照らしていた。
少年がそれに目を取られている内に、少尉は小さく舌打ちをした後、日本語で捲し立てるように言った。
「君は、過去と未来、どっちが大切かね?いや、愚問か。君は過去を重んじ、未来は過去に倣うべきと言うのだろう。しかしだね、この大戦で世界は大きく変わったのだよ。それに適応するためには、たとえ泥臭くとも、最前線に出向かなければ生きている意味がなくなってしまう。君は未来に教訓を残そうとした中佐とは違うんだ。君がやったのはそう、ひとえに喧嘩に負けた子供が喚いて地団駄を踏むようなものだね」
「違う!オラは、死んだ親父の仇を取るために―――」
「ならどうして年端も行かぬ少女を焼き殺した!!」
彼が初めて見せる鬼気迫る表情に、少年だけでなく、俺も少したじろいでしまった。
少尉は俺から拳銃を奪い、今度は使い古されたマガジンから弾丸を装填して、スライドを引いた。
チャンバーに弾丸が滑り込むとほぼ同時に、少尉は少年の頭に照準を合わせた。
俺は、何かが喉の奥に詰まって、呼吸ができないような感触を覚えた。
何もできずに、ただ、彼の指先を見た。
―――微かに震えている。
止めなければならない。そうでなければ、彼はここにいられなくなってしまう。なぜか、自分が叫んでいる気がした。
頭で言葉を組み立てるより先に、俺は少尉に向かって叫んだ。
「少尉!」
「何だ今更?」
少尉は少し安堵したような表情を交えて俺に言った。やはり、無理をしているのだ。
どう合理的に判断しても、彼には家族の仇となった少年を、他のレジスタンスと同じ様に平常心で殺す事ができない。彼もそれを分かっているはずだ。
彼がここで引き金を引けば、彼は少尉ではいられなくなるだろう。
「貸せ、俺がやる。震えてちゃ、当たらないぞ」
「だが、この少年は私が殺す責務がある!」
少尉が初めて怒鳴った。しかし、その声は確かに震えていた。
「それはただの私怨だ!あんたは最前線に行って中佐の『記憶』を残す人間だろう!?」
俺も怒鳴り返した。少尉の照準が少年から外れた。
「それがどうした!これは私の仕事だ!」
「いや!俺達米軍の仕事だ!お前がここで感情的になってこいつを殺した所で何も進展しない!」
自分の中で、何かが震える感触があった。
「部下は黙って上官に従え!」
「何のために米軍の司令官はお前達旧軍の人間を雇ったんだ!」
少尉の目が一瞬泳いだ。
そこで、柳原少尉の指は引き金から離れた。俺は久しぶりにこの部屋で呼吸を許されたような気がした。
「米軍も、一枚岩じゃねえ。一番上がそういう思想なだけで、軍の中にも日本の文化を可能な限り残そうとするグループもある。そいつらの命を賭けた思いを……理解してやってくれないか?頼む……」
暫くして、少尉は何も言わずに俺に銃を渡した。
拳銃を見ると、安全装置がかかっていた。
俺は、鼻で笑って、ため息をついた。
どう転んでも、少尉が少年を殺すことはなかったのだろう。きっと、死んだ家族がそれを望んでいなかったのだ。そう思った。
安全装置を外し、トリガーに触れた。
少年の顔を見ると、過呼吸になって震えていた。
自分のやったことと、今から行われることが、今になってその感触がじわじわと湧いてきたのだろう。
これ以上は、誰にとっても無意味だ。
「じゃあな、少年。地獄で会おうぜ」
「ひぃっ......!」
パァンッ!
金色の薬莢が地面に落ちて、奇妙なほどに心地の悪い澄んだ金属音が響き渡った。
銃を台の上に戻して、俺は少尉に言った。
「さ、帰るぞ、少尉。これ以上はもうボーナスも出ねえ」
「……はい、そうですね」
案内人が扉を開けて死亡確認をしてから言った。
「お疲れ様です。これが、本日の特別手当、お二人で百ドルです」
五十ドル紙幣が二枚、それぞれに渡された。一人あたり、五十ドルという計算なのだろう。
命の価値は、どうやら平等らしい。
そこからは、来た道を戻り、車に乗り込んだ。
まだまだ途切れることのないアメリカン・ポップスに耳を澄ませ、俺達は窓を開けて最後にこのコンクリート製の建物の空気を肺に溜め込んだ。
タバコの煙のように、息を吐いて、窓を閉めた。
アクセルの駆動音が音楽を一瞬かき消したタイミングで、柳原少尉は言った。
「あとで、何か奢りますよ」
「じゃあ、今日は寿司でも食いてえな。いい店を知ってるんだ。田舎だが、細々と繁盛してる。運が良けりゃ、現地司令官も来てるぜ」
「それは面白いですね。私も、ちょうど日本食が食べたいと思っていた頃です」
それから、東京郊外で下ろしてもらい、田舎の住宅街を進んだ。
道中、やはり先程と同じように冷ややかな視線が俺と柳原少尉に注がれたが、俺も、彼も気にしてはいなかった。
「そうだ、少尉」
ふと、俺は思い出したことを彼に聞いた。
「なんですか?」
「ちゃんと『記憶』を持った米兵になれたかい?」
彼は一寸だけ考えた後、ほんの少し口角を上げて言った。
「さあ、分かりません。しかし、米兵にはなれていると思いますよ。少なくとも、上官に楯突くダニエル軍曹よりかは」
「ハハッ、言ってくれるぜ。ま、これから長えが、よろしく頼むぜ。柳原少尉」
「もちろん、こちらこそ」
そう言って、二人同時にタバコを取り出し、火を付けて咥えた。
ふと空を見ると、眩しい太陽が蒼く、誰のものでもない自由な空から覗いていた。
どうやら太陽はまだ沈まならしい。
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