ファリスの為の牛肉の赤ワイン煮
広いデスクの上へ書類がかさばるように乗っている。そんな積み上げられた書類を手に取ると、ファリスが徐に顔を顰めた。
「誰だ? この案を通したのは?」
ファリスの声に場が凍り付く。せわしなく動いているギルド職員が動きを止め、息を飲みファリス・メルクという技術ギルド事務次官を見る。
端正で面長な顔にあるのは、鋭い凍えるようなブルーの瞳。整った高い鼻梁が尚のこと彼を格好良く見せる。灰色の三揃えのスーツと白磁のカフスがゆらりと揺れる。
なにも言葉を発さず、仕事を黙ってやっていれば色男という事で済むだろうが内面的な物はそうはいかない。
何故なら、彼は完璧主義な人間だからである。過去にこんな事があった。それはトレビの泉のように優雅な泉を建設する事を許可した。
何故か、このルイーダでも、観光客やカップル、そして夫婦がコインを投げる事が流行った。その案を通したのはファリスだったが、それがこんな事態を起こしてしまった。
それは貧民層における泉の金の泥棒であった。この時に彼は後悔した。何故なら、放り込まれたお金は国のために使われるが、それ以上にその付近に監視役の兵士を置かなければならなくなったからだ。
「それだけではない」
と、ファリスは過去を思い出した。自分がその案を通した事で、生まなくても良い犯罪が生まれた事だ。
この国は犯罪には実に厳しい国だ。王がいながら、民主主義であり議会制を用いているこの国は陪審員という制度がある。
この陪審員の印象により、かなり刑罰が厳しくなる事がある。盗みで死罪にはならないが、国有の牢獄にかなりの時間入る事になる。
彼にとって、なによりその事が嫌なことだった。犯罪者が元より悪人で行うのならまだ分かる。しかし、自分がそんな物を作った結果、起きるはずのない犯罪が横行した。
そんな事は気持ち的に許せないファリスは、即座にその泉を取り壊す案を出し、議会でその案は即可決する事になる。
これ以前の彼は、まだ技術や開発に甘い人間だったが、これ以降、彼は技術や開発に私情を入れる事はなくなった。
だからこそみんな怖いのだ。ファリスの本当の内面を知らない者はこう言う。
「冷たい人」
「もう少し甘くなって欲しい」
「寛容にするべきだ」
と。でも彼は冷たい人間ではない。自分が過去に私情で動いた結果、そんな事が起きた事に苦しむ人の一人なのだ。
そう、これこそエマじゃないけど、国民目線過ぎて冷たく取られるようになった、というそんな役割を演じる波目になったという事だ。
「そ、それは、多分ラーフルだと思います」
「直ぐにここへ呼べ」
「え?」
「聞こえなかったのか?」
「は、はい……」
凍えるファリスの声と目線に職員はびくりと体を震わせ、ラーフルという職員を呼びに行くのだった。暫く時間が経って、ラーフルがファリスの前へ来ていた。
女性の若いギルド員だ。つい最近このギルドに入社もとい、入会した新米技術鑑定士だ。何個かのギルドの面接を受けて、こけにこけてなんとかこのギルドへ入れた不運、いや強運の持ち主なのだ。
技術員らしい、作業服を身に纏ったラーフル。肩まで伸ばした金色のセミロングの髪がふんわりとカールを巻き、サイドの髪が胸元へ垂れる。
ぷっくりとした幼さを残す顔に、少し垂れ目がちとも言える柔和なブラウンの瞳。整った鼻梁と小さなピンクの唇からは、恐縮する程の震える吐息が漏れている。
ファリスは書類を手で叩きながら、ラーフルに聴いた。
「どういう経緯で、これを認可できると考えた?」
「この世界にはない、建築様式で、です」
作成者、ヘンリー・アゴスティーノ。とても綺麗なアーチを描いた建物だ。ステンドグラスを天蓋へつける事によって、日光の恩恵と芸術を楽しませる感じになっている。
「場所は、商店街となっているが、安全性の事は考えたか?」
「はい、この建築方式だと、多分天蓋のステンドグラスを支えるには十分かと思いました」
「多分、十分、思いました。なぜ、完全に大丈夫といえますと言えない」
「あ、あう」
「あ、あうではない。公共の施設は安全ではないといけないのだ。今の建物の普通に出来たわけではない。度重なる危険なことを乗り越えて、今の様式がある。計算で、全てが成り立つものではない。特に技術は。全ての危険性がないと、過去に立証できたものを取り入れる事が有意義だとは思わないのかね」
ファールの言葉にたじろぐラーフル。斬新な物が好きなラーフルは、建築学と構造力学を自分なりに計算し、これは多分大丈夫だろうと思い審査パスをした訳なのだが、やはり多分、と大丈夫だろうという曖昧な事が出てしまう事は否定できなかった。
「で、でも事務次官、素敵な街にする事にチャレンジする事も必要ではないないでしょうか?」
「ほほう」
久方ぶりに自分に噛みついた奴がいると思い、ファリスはにやりと顔に笑みを浮かべた。
「ば、馬鹿」
「え?」
同僚がラーフルの肩に手を置き、発言の撤回をするように、すみません、この子はまだここの事を良く分かっていないもので、と言うがファリスは一度目を閉じ、ラーフルに聴いた。
「その通りなのか?」
その試すような物言いに、ラーフルは胸の前に手を置くと、一度目を瞑り覚悟を決めたように言った。
「いいえ違います。私はこの設計は大丈夫と確信して通しました。魅力的なアイデアでしたし、問題はないと判断しました」
「ほう、それを押し通す場合、私が君を首にすると言ってもその意見を通すか?」
「え?」
「だから、首だ? どうなんだ」
技術屋として熱い気持ちをぶつけたラーフルだが、その言葉に目を丸く開いた。自分に逆らって危険な物を取り込むとする気持ちはあまりファリスにとって面白くない。
「言う事を聴けば首ではないということですか?」
「そうだ。自分の理想だけで物を決め、言うのであれば辞めて貰うしかない」
ラーフルはぐっと奥歯を噛むと、テーブルに手をバンと乗せ、大口を叩いてしまった。
「そ、そんな横暴な事はありません。新しい意見も取り入れて進むのが技術ではないでしょうか?」
「では、新しい技術は自分の力で取り入れて、自分のお金でやってくれたまえ。以上言う事が聞けないのであれば君は首だ」
「……」
あんまりだとラーフルは思い、ファリスを睨むと踵を返し室内から退出していく。ラーフルは自分の言っている事は正しいと思っている。
そして、ファリスの安全性の重視の考えも間違いではない。どこの時代も技術畑はぶつかるのは常だ。
さて、と午後からはある技術の話を聴きにラ・ラファエルに行くことになる。正直料理が楽しみだとファリスは心の中で少し嬉しそうにはにかんだ。
しかし、そんな心の中を決して見せずに鉄面皮を被り続けるファリスがここに居た。
――――
ファリスがラ・ラファエル来店する一日前の早朝、霧島は仕込みをしていた。明日ファリスに出す料理なんどか試行錯誤し、牛肉の赤ワイン煮ヌイユ添えにする事に決めた。
この時間、店内にいるのは霧島だけだ。この料理はかなり前に仕込まないとお昼の営業に支障が出る。
「ふう……」
霧島は、牛肉を取り出すと包丁を滑らせる。赤の隙間に白の脂身が華麗に浮かんでおり、この牛肉の新鮮さを感じさせる。包丁を入れる事によって、若干の肉汁と油が浮かび、霧島は満足げな表情をする。
ぷるんとした感じで、しっかりとした張りのある弾力が感じられる。霧島はその牛肉を6㎝角のブロック状に切ると、たこ糸で縛りボールの中へ入れた。
そして野菜置き場から取ってきたタマネギ、ニンジン、セロリ、ニンニク、パセリの茎をまな板の隅へとやると、まずはタマネギの調理から開始する。
タマネギの皮を剥き、素早く冷水で洗うと、タマネギを細かく切り始める。切る事によって、タマネギの酸気のある香りが溢れ、ザクザクという小気味のいい音を立てながら素早く解体されていくタマネギ。細かく切り刻むほど、その深い香りが増し、霧島は、よしこんな物かと思い、タマネギをボールへ入れた。
次の行程は、ニンジンだ。綺麗なオレンジ色をした皮を素早く剥くと、ニンジンを薄くスライスしていく。僅かな甘さを感じる香りがしつつ、霧島は素早くスライスを進めていく。
取り出した草原を感じさせるパセリを薄くスライスにして切っていくと、深く、草をすり潰した時のフレーバーな香りが漂う。
緑と白の色彩で彩られているパセリをスライスすると、霧島はよく洗ったパセリも同時にボールへ入れた。
今調理した全ての具材を同じボールへ入れると、その中にたっぷりと赤ワインを入れて漬け込んだ。硫酸紙と言いたい所だが、あいにくそういう物はこの世界にはないので、その上へ紙を乗せ、保存庫へ保管した
それから5時間が経過した辺りか、既にこの店にはルクソワール、モモ フランカが着ており、フランカは店内の清掃に励み、モモはお菓子の試作品作り、ルクソワールは花壇の手入れをしていた。
「よし、それじゃ続きやるか」
その中で霧島は黙々と次の作業をする。先ほど仕込みをしておいたボールを保管庫から取り出すと、中身を確認する。
赤く染まったボールの中身。よい具合に赤ワインが染み込んだのを確認すると、漬け込んでいる牛肉を取り出し、良く水気を切った。
水を切ると、霧島は牛肉の上へ塩とコショウをまぶす。更に漬け込んでいた漬け汁をシノワで漉しボールの中へと移した。芳しい香りと共にボールの中へ流れていく漬け汁。
素早くフライパンを取り出し、竈へ火を入れるとフライパンを熱し、その中へ油を張った。
軽く気泡を浮かばせて、油がはじけ始めたのを見て、その中へ牛肉の表面に焼き色をつける。
じゅわ、じゅわあ、という音が軽く木霊し、その軽快な音と共に肉から肉汁が溢れ、その脂と身から洗練された芳しいなんとも言い難い濃厚な香りを放つ。
その香りは、厨房からレストラン内へと流れ、作業をしているフランカが息を飲み、霧島の隣で作業をしているモモもごくりと息を飲んだぐらいだ。
焼き色が付くと、霧島は、しゅわじゅわと音を立てている牛肉をフライパンへ残し、焼くために使用した油は捨てた。湯気の残滓が残る牛肉に目をやり、霧島は鍋に火をかけて作業の続きをする。
「ふう……」
鍋に火をかけてから、休む暇もなくその中へ油を張り、そしてバターを入れた。バターが僅かな泡沫を上げて溶けていくのを見てから、霧島は先ほど漬け込んだ漬け込みようの野菜を焼き始める。
鍋へ具材を入れると、油と反発し具材が小躍りし始めた。火を通す事によって、タマネギの酸気のある香りから、まろやかで甘みのある香りに変化する。そんなタマネギの隣ではニンジン、そしてセロリなどが香ばしい香りを放って跳ねる。
更に炒める事によって、にんにくの甘みのあるコク深い優美な香りが溢れ、全ての具材を包み込むような錯覚を覚える。
そして炒めている最中に、霧島は牛肉を焼いたフライパンに少量の水を入れ、鍋底に溜まった旨味をこそげとると、野菜を炒めている鍋へと入れた。
じゅわああという、音と共に芳しい香りを放つ具材達。そしてその中へ、漬け汁とトマト、ルクソワール達が来る前に造っておいたトマトペーストを加えた。
深紅のアート感じさせる色彩と、とろりとしたペーストが鍋へ加わる事によって、更に鍋が音を上げ、蒸気を上げる。もったりとした鍋の中を霧島は監視しながら煮始めた。
優美な香りを放つ具材の香りを嗅ぎながら、霧島はアク取りながら、じっくりと煮込んだ。
暫く煮込むと、霧島は牛肉の赤ワイン煮ヌイユ添えと同時に作り始めたフォン・ドゥ・ヴォを鍋の中へ入れた。
フォン・ドゥ・ヴォはロースト用の仔肉の骨をよく調理し、オーブンで焼き、焼いた物だ。
更にフライパンへ仔牛の肉に入れて焼き色を付けた後に、肉を取り出し、にんじんとタマネギ、そしてセロリと皮付きにんにくを入れて色づくまで炒めた。
その後、鍋に焼いた骨と焼き汁、仔牛肉と野菜を加え、トマト、トマトペースト、ポロネギとブーケ・ガルニ、そして塩コショウを入れ、材料が隠れるぐらいに水を張って、良く煮込む。
強火にかけ、そして沸騰してから弱火にし、アクや油を取りながら6時間は煮込んだ。
途中で水が少なくなるために、目を離さず、湯を適量に加えて更に煮るという手間がいる。
そうして出来上がったスープを霧島は、ルーベンス特製シワノで漉したスープが、このフォン・ドゥ・ヴォだ。そのフォン・ドゥ・ヴォに、香草であるタイムとローリエを加え、更に塩とコショウで下味を付けた。
煮えたのを、霧島は長年の勘で感じ取ると、鍋に蓋をして、180℃から200℃のオーブンでしっかりと焼いた。
「すごい手間がかかる料理なんですね。師匠」
「まあ、フランス料理はそんな物だから」
「でも、これお値段高そうに見えます」
「あー、少し高いかもね。流石にこれは、ははっ。ただ、相手方の事務次官さんが、自分がお金を持つから最高の出してくれと言う物だから、やっぱり今回は大事なお話だし、自分の専門で行こうかと思いまして、ははっ」
「なるほどです。ところで師匠」
「うん?」
モモはスプーンでケーキを掬うと、あーんと言う。イチゴが乗ったプリンセスのようなケーキだ。それを見て霧島は微笑んだ。
「ああ、試作品が出来たんだね」
「あ、はい。で、師匠は両手がふさがっているようなので」
「それでは、失礼をして」
霧島は口を開けると、スプーンを口の中へ入れてもらって味見をする。よく咀嚼し、味わうように食べてから、霧島は少し首を傾げながらこう助言をする。
「うーん、甘さが少し足りないかな、フルーツが自己主張しすぎて、折角のケーキの素材が駄目になっているね」
「あう……」
霧島は、こと料理の事に関して妥協はしない。イチゴの香りと味が強すぎて、本来は包み込むようなまろやかさを感じさせなければならないケーキの味が感じられないのだ。
「難しいです」
「いや、でもね、パティシエールはみんな最高の味とアートを出すために、本当に苦労してらっしゃいます。モモ君も含めてね」
「いそがしい時に、味見をして下さって本当にありがとうございます。こうして造らせて頂いて、味見もしてもらって苦労とは思いません」
「モモ君はメンタルが強いよね。俺はそんなにメンタルが強くないので」
「めんたる?」
「い、いえ、その、まあ精神力が強いというのはいいことですね」
「は、はあー、なるほどです。セイシンリョクですね」
やばい、なんか危ない人に思われもおかしくない程に独語を作り始めたと思われるぞ、と霧島は思うと、なんとか話題を逸らす。
フランカはそんな霧島を横目で見ながら
「なにやってんだか、ほんと面倒を見ないと危ないわ」
と、今後も霧島を温かく見守ろうと心に決めるのだった。これで大方の事はすませたと霧島は思うと、午後からの会談に思いを馳せる。
「とにかく、最高の料理を楽しんでいただこう」
そう言うと霧島はまだ来ぬお客様に思いを馳せるのだった。
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