第10話 研究室の子供部屋

 内部はきっと病室のような無機質な部屋なんだろうとイメージしていたのだが、目の前にはごく普通の子供部屋が広がっていた。

 壁は可愛らしい花柄の壁紙が張られ、明るい色合いのフローリングに毛足の長い柔らかなラグ。

 2人にとって広過ぎないくらいのベビーベッドが部屋の中央に置かれている。

動けない美雪と、まだ小さなミューキーに危険が無いよう、遊具がきちんと整理された明るく楽しい雰囲気ではあるが、大人の考える理想の子供部屋。


「驚かれましたか?」


「えぇ。あまりにも普通過ぎてびっくりしました」


 もう1度部屋をぐるっと見回した。

奥にある黄色いカーテンをしつらえた大きな窓からは明るい陽の光が差し込み、窓外に広がる森、草原、小川と山頂に雪を頂いた山並みといった自然豊かな風景が見渡せる。

 現代の子供にとって、自然と直に触れ合う機会なんて、ほぼゼロに等しいこともあり、ここは本当に理想の子供部屋だと思う。

たとえ、それがディスプレイに映し出された虚像の景色であったとしてもだ。


 俺は察してしまった。

きっとこの窓の向こう側はナースステーションのような部屋で、問題が無いか常に監視している保育担当がいるんだろう。

でなければ、誰もいない部屋に2人きりで寝かせておくことなんてないはずだ。


「この窓の向こう側から2人の様子を見てるんですね」


「やはり気付かれましたか。人が常時動き回ってる環境は、ミューキーにとってストレスになってしまいますから」


「たしかにそうですね。部屋に入った瞬間から、ずっとこちらを見てますもんね」


 美雪は以前と変わらず目で俺を追うだけで、無表情だし、身体を動かそうともしない。

それに対しミューキーは以前より少しフレンドリーな気さえする。

この部屋が安全だと知っていて、利根川が一緒だというのも理由の1つだろうが、好奇心からこちらを見ているのがよく分かる。


「坂崎様。1つお話しておきたいことがございます」

利根川は真正面から俺の目を見つめ、唐突に話を始めた。


「美雪は所長の1人娘なのです」


「えっ。所長さんの? だから今日、お会いしてすぐに謝られてたんですか。 どうして絵1枚の納品なのに、所長さんが立ち会う必要があるんだろうって、少し不思議に思ったんですよ」


「公園でお会いした時に立場をご説明出来なかったのも、応接室で私だけで応対したのも、いざという時に所長と美雪の安全を確保するためですが、決して坂崎様を疑っていたわたけではありません。大変失礼なのにも関わらず、快く申し出を受け入れて頂いたことに感謝しております」


 先ほどの謝罪には、そういう意味も含まれていたのか。

こうもはっきり言われてしまうと不快になるどころか、真摯な姿勢で対応してもらえたことにかえって好感が持てるというものだ。


「何度も言いますが、ほんと、お気になさらずに。かえって私が恐縮してしまいますから」

笑いながら返すと、利根川も少し緊張がほぐれたのかもしれない。


「分かりました。この話はこれっきりとします。ところで質問させて頂いてよろしいですか?」


「はい。何なりと」


「タイトルが『姉妹』なのは、どんな理由からでしょう?」


「笑わないで聞いて下さいよ。 以前、ミューキーちゃんを森で保護した時の話です。森の中で震えるミューキーちゃんを見つけて抱き上げた時、私の顔を見上げながら言ったんですよ。『ミューキー、怖かった』って。鳴き声がたまたまそう聞こえただけなんですが、その後、美雪ちゃんを見た時に何故か姉妹のように感じたんです。おかしな話ですよね。でも、その時の印象を元に書いたのが、この作品なんです。だからタイトルは姉妹なんですよ」


「そんなことがあったんですね……」

そう言いながら、利根川は耳に指を当てると、眉間に皺を寄せた。


「坂崎様、申し訳ありません。トラブルです。今日はお引き取り下さい。所長に感想を頂いておきます」


言い終わらないうちに扉が開き、警備員が入って来た。


「利根川様、お客様を施設外までご案内します」


「よろしくお願いします。坂崎様、また後ほどご連絡いたします」


「では坂崎様、急いでこちらへ」


「あ、はい」


 緊急事態というわりに、来た時と同様、ベンチでコーヒーを飲む者、討論する者はそのままだった。

当然、受付も普通に座っているし、どの辺りが緊急なのだろう?


「警備員さん、他の方たちは緊急事態でも大丈夫なんですか?」

警備員に声をかけたが無反応だった。

まぁ、外部の者と話をするなと指示されているんだろうから気にしてもしょうがないのだが、いろいろと違和感がある。


 結局、ひと言も言葉を交わすこと無く警備員に連れられて通用門から外に出ると、背後で重厚な音がして研究所から閉め出されたことに気が付いた。

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