2章③ その侍従は……

 アリムのアルバスに着いたところで、ようやく乱暴に腕を離された。

 キシュワールは、きつく眉根を寄せる。

「勝手な事をされては困ります。私の側から離れないでください。」

 苛立ちを吐き出すにため息をつく。

 キシュワールは床を見つめていた。

 彼とはラシードとの謁見が終わってから、一度も視線を合わせていない。

 アリムは痛む腕をさすりながら、憮然とした。

「……親衛隊長様と、城下の商人とでは、歩く速さが違いましたので。」

「はい?」

 キシュワールは訝るように、声を低くした。

 アリムの言葉を嘲るような響きが、僅かだが含まれている。

 挑むような声色に、アリムは乱暴な言葉を選ばざるを得ない。

「ドラニア閣下に追いつけなかったので、着いて行くことを諦めました。申し訳ないのですが、アルバスでお待ちいただければ良いと思いまして。」

 剣呑に目を細めて、まっすぐに従者を見据える。

「どの辺りで、私が付いてきていないことに気がついたんでしょうか。」

 挑み返され、キシュワールはようやく顔を上げた。

 眼の奥が、カッと燃え上がっている。

 面布から僅かに覗いている、浅黒い目元が、赤く染まっていた。

 ここでアリムは理解する。

 ーーこいつも俺のことを蔑んでいるって訳か。

 そう心の中で言葉にすると、何かがストンと落ちた気がした。

 途端に今まで苛立っていた気持ちがスゥッと冷める。

 アリムは息苦しくなり、タラーレンの前釦を外した。

 それをみたキシュワールは、更に眉間の皺を深くする。

「人前で無闇に衣服を着崩すのはおやめください。あらぬ疑いの元となります。」

「なら、今日の所はお下がりください。」

 アリムは更に釦に指を掛け、上着を脱ぎ捨てる。

 そして正面からキシュワールを見据えた。

「下がりなさい、キシュワール。僕はもう休みます。」

 アリムは力を込めて、従者の名を呼んだ。

 キシュワールの耳が赤くなり。こめかみがピクリと痙攣する。

 ほんの僅な肌色の変化に、彼のプライドの高さを知る。

 怒りと共に唾を飲み込んだのだろう。

 口元を覆っている覆面の布が、ゆっくりと上下した。

 アリムは寝台に腰を下ろすと、足を投げ出した。

 何の気なしに投げ捨てられた上着。

 揃わずに散らばった靴。

 城下の人間の粗野な脱ぎ方に、キシュワールは目を背けた。

「失礼いたします。」

 キシュワールは慇懃な礼を残して、アルバスから立ち去ろうとした。

 しかし扉を開ける前に立ち止まり、アリムを振り返る。

「しかし、あの立ち回りはお見事でした。」

「……?」

 キシュワールはフッと目を細め、嘲るような笑みを浮かべる。

「どうぞご遠慮なく。誹りはわたくしが全てお引き受けいたします。」

 何を言われたのか分からずに、アリムはポカンとキシュワールを見つめる。

 そんな間抜けなアリムの表情を嘲るように、キシュワールが目元を歪ませた。

「それと、そちらのエメラルドは、国宝でございます。そちらだけは、粗雑に扱いませんよう。」

 キシュワールは型だけ礼をすると、今度こそ退室する。

 アリムは打たれたように言葉を失った。

 国宝と聞かされたエメラルドに視線を落とす。

「……この価値がわからないわけないだろう……!」

 アリムは男娼ではない。呉服屋の番頭だった。エメラルドの価値など、すぐに理解出来る。

 アリムは忌々しげに、タラーレンの結び目を引っ張った。しかし腫れ上がった手首に絹が食い込むだけで、痛みばかりが増していく。

「くそっ!」

 味方がいない事に総毛立つ。

 キシュワール、マルグリットの話し振りからすると、城内の人間のほとんどは、アリムを男娼だと蔑んでいるらしい。

 誰も近寄ってこないのはいい証拠だ。

 絶え間なく浴びせかけられる悪意に、思考がドロドロと溶かされていくようだった。

「……くそ……っ!」

 枕に頭を投げ出し、天井を仰ぐ。

 ふと視線をずらすと、ぐしゃぐしゃに丸まった上着が目に入った。

 上質なハージーだ。

 粗雑に扱えば、すぐに皺になる。

「良い仕立てだな……。」

 店の中に整然の並んだ反物を思い浮かべる。

 胸の奥にガラス片が刺さった事に気がつき、アリムはきつく目を閉じた。


 ***


 王はこの国の法であり、法は王である。

 そう定めたのは、初代国王バーリーズであった。

 星に選ばれた王は天命そのものであり、天命は国の運命だ。

 王の発する言葉1つ、罷り通らない事などない。

 その代わり、道を違えれば、王は命で贖わなければならない。

 政治の道を踏み外した者は病に伏し、愚かな侵略を犯した者は、敵将にその首を刎ねられる。

 先代国王も、度が過ぎた侵略戦争で命を落としている。

 ラシードは今まで道を違わずに、この国を治めてきた。

「……今も生きているということは、そういうことなんだろう。」

 あの男を妃として迎え入れた事は、天も認めた事なのだ。


 ーー例えそれが、汚らわしい男娼だとしても。


 先程のマルグリットとのやりとりを思い出し、苦々しい気持ちが込み上げてくる。

 あの時、マルグリットがアリムの右腕に気がつかなくて本当に良かった。

 エメラルドはラシードの守護石だ。

 それをアリムの利き腕に、王のスカーフで解けない様に結ぶ。

 気まぐれでここまで整える訳がない。


 ーー首輪をつけるようなものだ。


 マルグリットにあんなものを見られていたら、大きな騒ぎになっていただろう。

 キシュワールは右肩を掴み、きつく眉根を寄せる。

 打たれた肩はもう痛まないが、その代わりに腹の内がずしりと重い。

 あの不愉快な青い瞳が、生意気に自分を見下している。

 それを思い出すと、耳が燃えるように熱くなる。


 あの色は、西の夷狄が持つ目の色だ。

 正統なアレジャブルの民が有する瞳ではない。

 彼らは独自の文化を持つ騎馬民族だ。

 アレジャブルの国教ではない、異なる信仰を持っている。

 その血を引いている妃など、到底許されない。

 そもそもアリムは貴族とは縁のない庶民の出だ。

 城下で呉服屋の番頭をしていたアリムを、ラシードが見初めたとなっているが、誰も信じるものなどいなかった。

 おおよそ色街の男娼が、ラシードに取り入って後宮に潜り込んだのだろうーーというのが、大まかな噂だった。


 マルグリットのアルバスの前に差し掛かると、待ち伏せていたのだろう。

 マルグリットがバルコニーの手摺に寄りかかっていた。

 先程やり返された事に、まだ腹を立てているのか、目つきが鋭い。

 避けようにも、庭を出るにはここを通らなければならない。

「キシュワール。」

 キシュワールは膝を折って拳を頭上に掲げ、視線が合わないように地面を見つめた。

「あれが初夜をしていないと聞いたんだけど、本当かしら?」

 あけすけな問いかけだった。

 キシュワールは妃らしからぬ質問に面食らう。

 平伏していてよかった、とすら思った。

「……本当なのね?」

 流石にキシュワールは答えられなかった。

 確かに2人は今まで寝室を共にしたことはない。

 最近ラシードは執務室に籠りっぱなしで、そこで寝泊まりをしているらしい。

 答えに窮していると、マルグリットが赤い唇をにやりと歪めた。

「ふふっそうよね。星神様がお怒りになっているのだもの!初夜なんて過ごせる訳がないわ。」

 マルグリットが肩を狭めて愛らしく笑う。

 ゴロゴロ……。

 城の敷地内。端の尖塔から雷鳴が轟いてきた。

 マルグリットもそれに気がついたのだろう。バルコニーから身を乗り出して「聞いた?雷よ!星神様ね!」とはしゃいだ声をあげた。


 突然冷えた風が吹いた。


 一瞬なんだろう、と訝る。

 ただの風だと済ませるには、季節に合わない冷たさだった。

 しかしマルグリットの恨み言は止まず、すぐにそちらに意識を引き戻される。

「親衛隊長様は本当にお可哀想。私が王妃になったら、あんな男娼からすぐに解放してさしあげるのに。」

 マルグリットは自分が王妃になる事を信じて疑わない。

 マルグリットの故郷である南領は、アレジャブル国内で最大の資源を保有している。

 食料、燃料、資源。

 生活に必要なものはほぼ南領でまかなうことができた。

 彼女はその領主の娘だ。

 末永い忠誠を求めた前王と、南領の地位を確固たるものにしたい領主との間で婚姻の盟約が結ばれた。

 輝くような愛らしさを持っていた少女は、今ではすっかり王妃面をしていばり散らしている。

「貴方もそう思うでしょ?キシュワール。」

 マルグリットの猫を撫でるような声。

 自分の元に引き込もうという、媚びた響きだった。

 キシュワールは見えないことをいい事に、思い切り眉を顰める。

 また一筋、冷えた風が吹いた。

 今度は先程のものよりも一際強く。

 スカートの裾が大きく舞い、マルグリットが悲鳴をあげる。

 その悲鳴に、キシュワールは思わず顔を上げた。

「ひどい風っ!」

 舞う髪の毛とスカートの裾を押さえると、今度は突風が吹く。

 風が巻き込んだ木の葉が、マルグリットのバルコニーに一斉に入り込んだ。

 マルグリットは悲鳴をあげながら、逃げる様にアルバスの中へと避難していく。

 まるで風が、マルグリットを襲ったようだった。

 マルグリットがバルコニーから逃げ出すと、風はピタリと止んだ。

 僅かの間、呆気にとられて立ち竦む。

「どうなさいましたか、妃殿下!」

 アルバスから、侍従の慌てた声が漏れ聞こえてきた。

 キシュワールは慌てて立ち上がり、この場を後にする。

 マルグリットの悲鳴を、あらぬ方向に取り違えられてはたまらない。

『なんでもないわっ!風よっ!』

 扉の向こうから、癇癪を起こしたマルグリットの金切り声が聞こえてくる。

 マルグリットも、キシュワールと話していた事がバレるのは都合が悪いのだろう。

 足を止めて耳をそばだてるが、バルコニーの向こうからは荒だった音は聞こえない。

 キシュワールは肩の力を抜く。

「……風……?」

 今は僅かな梢の音は聞こえるが、突風が吹くには違和感があった。

 キシュワールは詮無いことを考えるのをやめる。

 また遠くから雷鳴。

 今度は更に大きい。


『星神様がお怒りなのよ!』


 マルグリットの嬉々とした声が鼓膜にこびりついている。

 空を見上げればーー

 今度ははっきりと稲光が見えた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る