星を戴く王と後宮の商人【BL】
ソウヤミナセ
序章 西の炎 春の戴冠式
少年は立ち尽くす。
風が渦巻くその場所は、灰が舞い上がり、焦げた臭いが体中にまとわりついた。
目に灰が入り込み、咄嗟に瞼を閉じる。
隣に立つ叔父が、厳しい表情で少年の肩を掴んだ。
「目を開け。この状況を目に焼き付けろ。」
アヤンテは「ゴミが……。」と言いかけ、口を閉ざす。
民族を率いる叔父の顔が、燃えるように真っ赤に染まっていた。自分とよく似た複雑な色の虹彩が、憤怒の為か細くなっている。
「ヤービル様!」
何処からか悲鳴が上がる。ハッと振り返ると、崩れかかった家屋の下から、女性が助けを求めていた。叔父は燃える家の中に体を突っ込み、女性を引っ張り出す。
アヤンテは慌ててバケツを持って2人に駆け寄り、頭から水をかけた。
アヤンテは咳き込む2人を見て、呆然とする。
少年には、この状況がわからなかった。
焼かれた村はここだけではない。こんな状態が長く続いている。
戦火は外からじわじわと村を焼き、この西の地を飲み込もうとしている。
「ヤービル様!アルリーシャの独立を!」
村人が大声を上げた。それに呼応し、次々と人々が声を張り上げる。
「王国の無体に屈するわけにはいきません!独立を!」
「我々の王に!ヤービル様!」
アヤンテは目を丸くする。
異民族の首長である叔父が、国を率いる王になる?もしそれが叶ったならば、このような弾圧も征服も、しまいとなるのだろうか?
ヤービルは厳しい顔をし、チラリとアヤンテを眇めた。
何かを慮るような影がちらつく。
ヤービルはダンっと杖を打ち鳴らし、周りの声を一蹴する。
「全てはアリルスタンの意思だ。我々が決めることではない。」
叔父はここ最近になり、杖をつき始めた。立っていられる時間が少なくなり、背中を丸めて何かに耐える時間が増えた。
体調がわるいのだろうか。
王国の侵略から広大な西の地を守る為、前線に出る日々が続いているのだ。アルリーシャは騎馬民族であり、村の男は武器を扱う。その最たるヤービルは、一族で1番の戦士だ。
だが……。
静まり返り焼け爛れた村を背景に、彼の土気色の頬を見つめる。
何故だろうか。
一族と叔父の行く末が重なる気がするのは……。
***
春の日差しが柔らかな日だった。
まだ空気は冷たいが、それも爽やかに感じるほどの暖かな光。
空は薄く青く澄み渡り、祝いの国鳥が騒々しく飛んでいく。
羽音と交わし合う鳴き声が、耳に優しい。
「ラシード様。」
斜め後ろに控えた侍従が、腰を低くして呼びかけてくる。
幼い頃から共に育った、誰よりも信頼できる友。
それが今、臣下として側に控えている。
「我が王。ラシード・アレン・アレジャブル陛下。今日より、貴殿を唯一の王として、一生の忠誠をお誓い致します。」
そう言うと、初めての忠臣は跪き、深く頭を垂れた。
「私の心身は全て王の為に。どうぞ、我が王としてバーリとお呼びする事をお許しください。」
バーリ。
初代王バーリーズから取った王の敬称だ。
2代目国王ロマヌスが、崩御したバーリーズを悼み、己をバーリと呼ばせたのが始まりだという。
ラシードは、無防備に晒されている男のつむじを、なんともなしに見つめた。
寡黙なこの男には似つかわしくない、綺麗なブロンズの癖っ毛。
太陽が強く当たると、ゴールドにも見える。
初めてつむじが二つあることに気がつく。
友であるうちは、このように跪く事を許さなかった。
「……キシュワール・ドラニア。我に永遠の忠誠を誓え。我が一番の騎士、一番の忠臣よ。我が国、我が国民の為に身を粉にせよ。」
教え込まれた口上を諳んじ、ラシードは静かに腕を上げた。
重たいマントが腕に絡らみ、宝玉の装飾が、澄んだ音を立てる。
そうして重たくなった掌を、ゆっくりとキシュワールの肩に置いた。
「……キース、頼む。」
「はい。バーリ。」
緞帳の向こうで、ファンファーレが鳴り響いた。
城を揺らすほどの大歓声が湧き上がる。
「陛下。」
父王の代から仕えている、白髪頭の大臣が、ラシードを呼んだ。
ーー名前はなんだったろうか。長いこと父王に仕えてくれているはずなのに
軽く記憶を辿ってみるが、王子の頃に会話をした記憶すら出てこなかった。
「陛下。お早く。」
この男は37代国王を、バーリとは呼ばない。
それでようやく名前を知らない理由に思い至る。
ーーそうか。王子の時から、俺を軽んじていたからだ。
ラシードは薄く笑みを浮かべた。
「……ああ。」
「これより、我らがアレジャブル国第37代国王、ラシード・アレン・アレジャブルの戴冠式を執りおこなう。」
バルコニーに立つと、広々とした空と、どこまでも果ての見えない人々の波が目に飛び込んできた。
ラシードは咄嗟に目を閉じて、先日まで床に臥していた父の姿を思い浮かべる。
この地平線の遥か向こうまで、大地は全て父の国だった。
それがどうだ。
この小さなバルコニーに立つ己が、父の頭上に掲げられていた王冠を戴く時が来たのだ。
肩を押さえつける重力に従い、膝を折る。
大聖堂の老司祭が、厳かに戴冠の宣誓を読み上げた。
「星教の光り輝く星の下、この国を照らす王となられますように。」
「国は常に平らけく、安らけくあれ。」
ラシードは深く頭を垂れ、バーリーズの誓いを誦じる。
豪奢な王冠がラシードの頭上に掲げられた。
一際光を放つ王冠は、始まりの星を彷彿とさせた。
ラシードはゆっくりと立ち上がり、眼下に広がる人の波を見下ろした。
その瞬間、人々が声とも雄叫びともつかない声をあげた。
国をも揺るがす、地鳴りのような観衆の声。
文字通り、城が震える。
ラシードは重厚なマントがたなびいたような気がした。
華美で大袈裟な装飾が、突然軽いものに感じる。
ーーこんなもの、比じゃない…。
熱を持って押し寄せる国民の声に、喉が震える。
空気が鉛のように重たく、今にも押しつぶされそうだ。
それでもラシードは大きく手を上げ、重圧を払うようにゆっくりと振った。
国民の一層大きな歓声が、バルコニーを突き上げる。
遥かに遠いはずの群衆の声が、痛いほどに空気を震わせている。
一人一人の瞳。
期待と高揚感に満ちた輝き。
立ち上ってくる熱気。
じわりと額が汗ばんだ。
ーー誰が俺を王にしたのか。
そんな疑問が脳裏をかすめる。
それは間違いなくこの国を守護する星神だ。
玉座は、星神の承認のもとに決定されるものなのだから。
しかしーー
「ならば、俺はどのようにして、この国の王となろうか…?」
そんな小さな逡巡の呟きは、当然のように国民の喜びの声に飲まれていった……。
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