第2章 TOO MUCH PAIN
あらすじ
昭和から平成へと移りゆく時代の狭間…マンガ家を目指す若者たち
登場人物
コンドウシゲオ(22) 主人公
ニシダ(19) 劇画塾時代のシゲオの友人
イワタアキ(22) おなじく劇画塾時代の友人の女性
海津無頼 劇画塾出身のマンガ原作者。常にサングラスを着用
ーーーーー
「第2章 TOO MUCH PAIN」
コンドウシゲオが毎日の日課である晩酌をしていると、アパートの玄関先にあるピンク電話が鳴った。いつもなら、一階に住んでいる曙に似た外国人のチャド君(シゲオがつけたニックネーム)が出るはずだが、電話のベルは一向に止む気配がなかった。仕方なく、渋々立ち上がり軋む階段を下りて受話器を取る。
「もしもし…」
「コンちゃん?」
それは劇画塾時代の友人・ニシダの声だった。
「おおニシダか…久しぶりだなあ」
「コンちゃん、海津無頼と会う勇気…あるか?」
海津無頼…
198×年6月…。あの“LIVE!”のような講義から一年が過ぎていた。
劇画塾の講義が終わるか終わらないかの頃…居酒屋で働いていたシゲオは、結婚まで意識した女性との別れ、さらにお調子者ではあるもののホントは人付き合いが苦手で客商売…特に夜の仕事には向いていないことを痛感し、長州力が新日Uターンを強行突破したように、その街を離れ勤めていた居酒屋から飛んだ。
もっと遠くへ…
シゲオに帰る場所はなかった。母と義父が暮らす家はもはや帰るべき場所ではなく、たまに行く場所に過ぎなかった。シゲオは高校時代の友人、眼鏡屋の御曹司…新宿区落合に住むヒロキを頼った。再び居候生活に逆戻りだが、それでも少しは成長したシゲオは自立を目指し、すぐに日払いの肉体労働を探して必死に汗を流した。
深夜の宅配便の仕分け、建築現場の資材搬入…どれも長続きはしなかったが、それでも金木犀の香りが漂う頃に始めた建築関係…型枠解体のバイトは何とか続き、冬になる前にはヒロキのアパートでの居候生活から脱却して世田谷・祖師谷大蔵の風呂なしトイレ共同1K家賃3.2万築40年のアパートに移ることが出来た。
その地を選んだことに特に理由はなく、アパートがいずれ取り壊す予定ということから敷金礼金なし、前家賃と不動産屋への手数料のみの格安の初期費用で借りることが出来たからに過ぎない。
やがて趣味であるプロレス観戦を再開出来るほど生活は安定してきた。
そして
年が明けるとすぐに
時代は
“昭和”から“平成”へと移り変わった
その頃、ニシダに懇願され型枠解体のバイトを紹介して、しばらく一緒に働いていたものの、ニシダのその甘ったるい、子分肌とでもいうのか…つねに誰かの取り巻きの太鼓持ちで、まるでコバンザメのような依存体質が鬱陶しくなり距離を置きたくなったのと、マンガ原作を忘れ職場の環境に馴染みそのまま落ち着いてしまうのがイヤで型枠解体のバイトを辞めた。もちろん、得意の…バックレである。
ニシダと会話するのは、それ以来だった。
二シダはその後、元々バイトをしていた東急・都立大学駅近くのチェーン店のラーメン屋に戻り、シゲオは同じ区内にある、引越しを中心とする名も知れない個人経営の運送会社でのバイトを始めた。引越しシーズンのみの2週間の短期募集ではあったが、とりあえず建築関係は避けたかった。
そういえばその運送会社でバイトしている最中、偶然にもあの海津作品にまつわる意外な話を耳にすることが出来た。その頃、まるで“殿”の『オールナイト』で“殿”の不在が続いたように、『漫画アクション』の連載マンガも、謎の休載が続いていた。
ある時行った家には、妙齢の女性がいて大きな本棚がありマンガばかりずらりと並んでいた。もう一人それより若い女性がいて、どうやらその若い女性がお客さんでこの家から出ていくようだ。若い女性は妙齢の女性を「先生」と呼んでいた。シゲオはその言葉と荷物から二人の職業がすぐにわかった。
おそらく、女性マンガ家だろう。どうやらアシスタントが念願のデビューを果たして独り立ち…といったところか。
若い女性が決して読むはずもない、海津マンガ…“B-ダー”も、それまで発刊された全巻揃っている。
「ボクもこのマンガ好きなんですよ…今、休載してるんですよね」
シゲオは“劇画塾”出身だとは言わなかった。今のシゲオはただの…日雇いの引越作業員に過ぎない。
「編集さんの話だと…」
編集…?シゲオの推測はどうやら図星だったようだ。
「作画の方が…お財布と免許証だけ持って姿を消しちゃったらしいですよ」
え!?まるで…『H&ルーズ』のエピソード“漫画家逃亡”のような出来事がホントに起こっていたとは…。
その後『漫画アクション』の“B-ダー”は再開したが、それからしばらくして最終話を迎え連載を終了した。
ーーーーー
「おい、コンちゃん…聞いてるのか?」
「あ、ああ…聞いてる」
運送会社の後シゲオは、建築関係のバイトを転々としていた。折しも東京新都庁を象徴とする建築ラッシュ…どこも人手不足のようで、かつてのアルバイトニュースの“an”や“フロムA”などの求人誌で八千円から一万円程度の日払い仕事がすぐにでも見つけられた。だが、そのテの職場にはどこにでもミュージシャン志望だの役者志望が必ずいた。以前“塾”に入る前に知り合ったサワキさんのように…“殿”もいた芸能プロダクションに所属していたという過去を自慢気に語るわけでもなく、その栄光にすがらずその道をあっさり捨ててストイックに、イチから役者として劇団を目指した“本物”を見てきたシゲオは、自称〇〇連中の、流行りのカルチャーを語りブンカを漂わせるものの、クチだけのその軽薄さに嫌悪感さえ抱いていた。
そこにも、居場所はなかった
それでもシゲオは一度足を踏み入れたらなかなか脱け出せない…アリ地獄のような“日払い”という底無しの泥沼にすでに浸かり始めていた。ごくフツーの月給生活に戻ることが出来なかったのだ。
「御大のスタジオの新雑誌の話、知ってるよな?」
「ああ…去年言っていた、商業誌を目指すってやつか」
「イワタさん…それでデビューした」
「え…もう発売されたのか!?」
「オレも…海津さんと組むことになった」
「はあっ…!?」
元々“塾”の優等生だった二人と落ちこぼれのシゲオとの差が、“日払い”の底無し沼の生活にもがいている間にさらに開いてしまった。“塾”の講義が終わった昨年の秋、二人と競馬評論家の娘・サカモトさんも入れた4人で上野動物園に行ったのがつい昨日のことのようだ。それでも一応はマンガ原作を書くのを忘れず、『ビッグコミック原作賞』に応募してみたが、1次選考通過が精一杯だった。
しょせんは一発勝負とは名ばかりの…その場しのぎの、付け焼刃のやっつけ仕事では、人の心に響くはずがない。
「海津さんにコンちゃんのことを話したら、そいつと会ってみて―な…だって」
「え…?」
「イワタさんも誘ったから3人で会いに行こう…日にちが決まったら、また連絡するから」
シゲオはまだ信じられなかった。前途洋々の二人のことではなく、再び海津さんと…今度はプライベートで会えることがだ。
ニシダから電話があったのはそれからすぐのことだった。
「コンちゃん、海津さんと会う日が決まった…」
「………」
「6月×日…大丈夫か?」
大丈夫も何も、シゲオは死んでたとしても行くであろう。
「小田急線K駅の改札口、18:00に待ち合わせで」
「K駅…」
意外にもそこは、シゲオが住む祖師谷大蔵からわずか数駅だったのだ。
ご多分に漏れず、自称〇〇連中が吹き溜まる…日給8500円日払い可の“床補修”のバイトも飽きてきて、そろそろ見切りを付けよう…と思いながら、夢うつつの中で数日間を過ごした。
そして、ついにその日がやって来た
6月×日小田急線K駅改札口。
バイト帰りに途中下車したその場所には、すでにイワタさんが立っていた。
「おお久しぶりイワタさん、デビューおめでとう…さっそく読んだ」
イワタさんのデビュー作は、4コママンガだった。
「ペンネームですぐにわかったよ」
それはイワタさんの本名を、文字の順番を入れ替えたペンネームだったのだ。シゲオはニシダとイワタさんに感じている“引け目”をなるだけ見せないようにフツーに振舞った。
「コンちゃん!イワタさん…!!」
改札口からニシダが出てきた。
「おお…ニシダ」
「ニシダくん…!!」
「喫茶店に行こ…そこから電話することになってる」
三人は地下にある改札口を後にして地上に出ると、K駅近くにある喫茶店に入った。
「待ってて、電話して来る」
ニシダが店内にあるピンク電話に向かった。
「まさか海津さんが、こんな近くに住んでいるとは思わなかったぜ…イワタさんは大変だったでしょう」
「でも…1時間ぐらいかな」
一度ニシダと二人でお邪魔したことがあるイワタさんの自宅は、天神様がある総武線沿線の下町だった。
「海津さん…5分ぐらいで来るってさ」
電話を終えたニシダが戻ってきた。
オレの方がファン歴が長いのに…自宅の電話番号を知っているニシダに、シゲオは軽い嫉妬を憶えた。だが、その繋がりのお陰で海津さんに会えるのだ。ウザいと思いつつも世話を焼いたのは決して無駄ではなかった。
「やっぱり、何か緊張するな…なに話していいのか、わかんねえ」
「コンちゃん、前から海津さんのファンだもんな」
「“自然体”でいいんじゃないの…コンちゃんらしく」
イワタさんが微笑む。
そうか
何もカッコつけることはない
カッコ悪い
オレのままで良い
サングラスを掛けたスーツ姿のコワモテの中年男がやってくる…一目でわかる。
海津さんだ…!
「よお…ニシダ」
海津さんが椅子に腰を掛けた。
「海津さん、こちらがイワタさん」
「ああイワタさん…デビュー作、読みましたよ」
「ありがとうございまーす。実は…先週もお会いしたんですよ」
(えっ…聞いてないよー)
シゲオは思わず、そう口にするところだった。
「スタジオにネームを入れに行ったら…ちょうどゲスト講師をされていて、教室に潜り込んでお話聴いてました」
「ああ…」
海津さんもココロアタリがあるのか、納得したように頷いた。
「これが…コンちゃんです」
「コ、コンドウです」
シゲオがペコリと頭を下げる。
「おお…キミがコンちゃんか?」
海津さんは、ニシダと同じ言い方でシゲオを呼んだ。すでにニシダが何かしら、シゲオの“キャラ立て”をしているようだった。
「コンちゃんは…たかし軍団だったのか」
ん?ニシダには16才の頃の話をしたが、軍団に居たとは言ってないはずだ。ニシダが大袈裟に言ったのか…海津さんが間違った解釈をしているのか…いずれにしても誤った情報である。シゲオは、余計な事を言ったな…とでも言いたげに、ニシダをギロリと睨み付け訂正する。
「い、いえ…勝手に押しかけて弟子入りをお願いしただけで、軍団ではないです」
「…」
「“殿”には会えたんですけど…断られました」
「ああ…そうなのか」
シゲオがウソやハッタリを良しとする人間であれば、海津さんと会う以前に、その縁すらなかったことだろう。
「まあ入っていたとしても…“浅草キッド”のようにはなれませんでしたね」
「アイツら…おもしれーよな」
「面白いですね…」
浅草キッドは、木曜深夜の“殿”のオールナイトニッポンの漫才勝ち抜き戦のコーナーに突然現れ、“殿”ゆずりの毒でギリギリのネタを披露していた。
「アハハハハ」
シゲオがそのネタを思い出し笑い出すと、海津さんもつられて笑う。
「フフフ…たかしもよお、やっと漫才をやる弟子が現れて嬉しいんじゃねえのかな」
「そうかも知れませんね」
「オレは“ケーシー高峰”とか“チン〇・ブラリーノ”コーナーとか好きなんだよな…くっだらなくてよ」
くっだらねー…は、“殿”もよく口にする、ある意味のホメ言葉でもある。
「ハガキ職人たちがよ…一生懸命たかしを笑わせようとしてな」
海津さんは、さすが木曜深夜の“殿”のオールナイトニッポンをスタートした頃から聴いていたという、シゲオ以上の筋金入りのリスナーだった。
オールナイト話で盛り上がり、ようやく緊張も解きほぐれしばらく経った頃。
「よし…この後、寿司を食べに行くぞ」
喫茶店を出ると、用事があると言って帰宅するイワタさんと別れ、シゲオとニシダは海津さんについて、やはり駅近くのお寿司屋さんに入りテーブル席に着く。
「ビールでいいよな?」
「はい」
「ハイ…」
いよいよアルコールの出番だ。海津さんが店員さんを呼び生ビールと三人前の寿司を注文する。
生ビールで乾杯、アルコールが注入されるとシゲオはますますリラックスする。
「海津先生は…」
「先生じゃねーって言ってるだろ、オレは…先生と呼ばれるほど偉くねーんだ」
「海津さんは…」
シゲオはテーブルに並べられた寿司にあまり手を付けることなく、ビールで口を潤しひたすら話し続けた。もちろんシゲオも寿司は好きだが、それ以上に聞きたいこと話したいことがあったのだ。以前、耳にした“ウワサ”の真偽を確かめる。
「海津さん…“塾”のツカモトさんに、以前スナックをやっていたって聞いたんですけど、ホントですか?」
「スナックというか…いちおうJAZZ喫茶のつもりだったんだけどなあ」
“ウワサ”はホントだった。
「客が入らなくてよ…金がねーから、その日の仕入れのために肉体労働やったりな」
しかも何かの作品で読んだようなエピソードまで話してくれた。そしてプロレス話…プロレス嫌いを公言している海津さんもシゲオのプロレス話に付き合ってくれる。海津さんはそのイメージとは違い、意外と人を笑わせたり喜ばせるのが好きなサービス精神が旺盛なヒトなのだろう。
「力道山と木村の試合と猪木・アリ戦。そのふたつだけは、間違いなく真剣勝負だった…ホントの真剣勝負は、ああいう試合になるんだろうな」
「…」
「でも、オレは“馬場派”だぞ…最初からプロレスはプロレスだって言ってるんだから、全部真剣勝負と言って人を騙している猪木より、よっぽど誠実じゃねーか」
プロレス話にひと区切りついた頃。
「よし…そろそろ引き揚げて、部屋で飲み直すか」
シゲオは慌てて残っている寿司を頬張り、ビールで流し込む。
「…ごちそうさまでした」
海津さんが会計を済まして寿司屋を出る。
「酒を買って行こう」
酒屋でビールとつまみの乾き物を買い、夕闇が迫るK駅の商店街を3人で歩く。セクシーでふくよかな…恰幅の良い女性とすれ違う、遠く離れた頃に海津さんが呟いた。
「まるで…“B-ダー”に出てきそうな女のヒトだな」
「あはは」
シゲオとニシダが決して愛想笑いではなく腹の底から笑う、海津さんもニヤニヤしている。海津さんのギャグセンスの片鱗を垣間見た…その女性に対しては大変失礼ではあるが、まさに絵に描いたような“B-ダー”に出てきそうなヒトだった。
少し歩くと海津さんがマンションの中に入っていく。よく目にするマンション名のファミリー向け分譲タイプのマンションだ。
「…ここだ」
海津さんがエントランスにある集合ポストを開ける。
「○○さん…」
ニシダがポストに表記されている苗字を読み上げた。もっとも、以前御大から海津さんの本名を聞いていたので特に驚くことはなかった。海津さんは平然としたまま郵便物を取り出す。
「オレは別に、何も隠しちゃいねーよ…」
3人でエレベーターに乗り込み上階へと上がる。シゲオは一瞬、“殿”のマンションを訪ねた時のことを思い出した。その時は反則気味だったとはいえ、思えば憧れのヒトに何らかのカタチで会うことが出来ている…ロクなことしかないシゲオの人生ではあるが、もしかしたらそれだけでもツイているのかもしれない。
停止したエレベーターを出て進むと、海津さんが部屋の前で立ち止まる。カギを差し込み、玄関ドアを開けた。
「入れ…」
海津さんに続いてシゲオとニシダも部屋に入る。
「お、お邪魔します」
「失礼します」
脱いだ靴を揃えて廊下を行くと、リビングルーム…いや、仕事部屋だった。
そこには…大きな机、書棚、TV、電子ピアノ、そしてステレオセット、探偵マンガの主人公・土岐の部屋のようにサンドバッグこそぶら下がってないが、そこは海津さんの隠れ家…秘密基地といった雰囲気だ。
「ニシダ、イスを運んでくれ…コンちゃんはテーブルだ」
海津さんの指示に従い、二人でイスとテーブルを設置する。海津さんが自分用のソファーをその前に置き、買ってきたビールや乾き物のツマミがテーブルの上に置かれる。
「よし、準備OK…飲み直そう」
“酒は原価が一番”…というセリフを思い出した。
「海津さん…ピアノ弾くんですか?」
ニシダが尋ねる。
「いや…始めるのが、まだ少し早かったな」
練習中…といったところか。ニシダがそうであるように、シゲオも興味津々で部屋を見回す。ステレオセット…これには見覚えがある。多重録音可能なダブルカセットデッキ、ギターを繋げられるアンプ、ミキサー、イコライザーがセットになった、音楽を聴くというより演奏やその録音に特化した…シゲオが高校生の頃に発売されたYAMAHAの製品だ。高校一年生の頃…地元の駅の前のデパート“アカイ”でいつも羨望の眼差しで見ていたステレオセットだ。もっとも、仮にそれを手に入れたとて…その頃に母と住んでいたボロアパートに置いたところで近所迷惑にしかならなかったであろうが。
机の方に視線を移す、机の棚には何枚かのCDアルバム…“殿”の『浅草キッド』があった、もちろん“ブルーハーツ”もだ。机の前には、『B-ダー』の主人公・ハチスカらしき人物を描いたイラストが貼ってある。作画家さんの絵とまったく同じというワケではないが、それでも感情をぶつけたかのような荒々しくも印象に残るイラストだ。
「あれは、ハチスカですか?」
「うん…今、絵を練習してるんだ…今度は、オレひとりで描こうと思ってな」
『B-ダー』の話だろう。
「最終回の原稿に、”3部はオレが描く”ってセリフを入れようと思ったもん」
一年前の講義の際、ライフワークとまで言っていた『B-ダー』の唐突の終焉は、海津さんにとってもやはり消化不良で、不本意だったのかもしれない。
「『B-ダー』が休載していたのは、『H&ルーズ』の“漫画家逃亡”みたいなことがあったらしいですね」
「…」
シゲオが尋ねると、海津さんが静かに頷いた。
「アイツは何度もあーゆうことをしていてよ…」
「…」
「あれは…漫画家なら、それぐらい自分を追い詰めてみろ…ってつもりで書いたんだ」
そう言ってビールを流し込む海津さんは、どこか寂し気だった。
ニシダが別の質問をする。
「海津さんは、どんなマンガを読んでるんですか?」
海津さんが、机の上に無造作に置かれた郵便物を指差す。
「ああやって、仕事したところから献本が送られてくるからよ…仕事柄、新人の作品は必ず目を通すけど、以前読んだ…紡木たくの“ホットロード”は良かったな」
“ホットロード”…シゲオの胸が締め付けられる。
「この作者は、本気で“恋”が出来るヒトなんだろうな…と、思ってよ」
「…」
(“ホットロード”とか読んでみたら、面白いよ…)
とっくに忘れていたはずの一人の女性の面影が浮かんで消えた。あの頃のシゲオは、夢見るだけの何ら生活力のない、ただのガキだった…日払いのその日暮らしの今もなお、生活力はない。
「あとは『H&ルーズ』でも書いたけどよ…“COMICばく”のつげ義春なんか絶品だったな。オレもあれぐらいの境地にまで辿り着けたらな」
つげ義春…シゲオは脳内にメモった。
「キミらは、どんなの読んでるんだ?」
「最近は海津さんばかりですけど…昔はセンセイカジワラとか読んでました」
「センセイカジワラか…コンちゃんみたいな熱狂的なプロレス者は、読んでないと困るだろうな。まあ…オレはあーゆう必殺技の応酬とかには、全く興味ねーけどな。あ、そういえば…」
海津さんは、センセイカジワラとの遭遇を語ってくれた。
「一度、どこかのパーティーで見掛けたことがあってよ…オレもサングラス掛けてこんな感じだろ?」
コワモテ…という意味であろう。
「ずっとこっちを睨んでてさあ」
いわゆる“ガンを飛ばされた”らしい。
「結局、何もなかったけどよ」
まあ仮に何かあったとしても…海津さんが、兄弟分のようなコイケ門下の弟子筋とわかれば、ステゴロ対決にはならなかっただろうが。とはいえ、たとえそれがセンセイカジワラといえども、海津さんが媚びを売る姿はとても想像できず、やはり“すれ違い”のままで終わって良かったのだろう。
「ニシダ…お前との作品のタイトルは」
「ハイ…」
「『Poo』でどうだ」
「『Poo』…?」
「プー太郎の…『Poo』」
「結局よ…」
夜は更け、アルコールが全身に染み渡りシゲオの意識も朦朧とし始めた。
「…」
「花だとしたら…」
花…。
「オレは…“狂い咲き”だな」
泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か
花を咲かそうよ
海津さんのマンションを出た頃にはすでに日付が変わり、小田急線の終電もとっくに出たあとだ。月明かりの下、シゲオとニシダは小田急線の線路脇の道路を歩いてシゲオのアパートを目指した。
ーーーーー
「キミは…オレとツルもうとしているだろ?」
いきなり冷や水を浴びせられた…。
「…」
あの、ハミダシ者たちの遠い夏の伝説からひと月が経った…。
その後、「作品を読んでみたい」という海津さんの要望に従い、すぐにマンガ原作一本を書き上げ、最初に会った喫茶店で作品を読んでもらった。
「オレはよく、“馬”にたとえた話をするよな」
“暴れ馬”…とか。
「キミの“馬”を見たいだけなんだ…出版社を紹介するとかそんな話じゃないから、そこは勘違いするなよ」
「はい…」
お笑い芸人を目指すマヌケな男…というキャラを書いた作品を海津さんは読み始めた。
「…」
シゲオは所在無げにコーヒーをすするだけだった。最後まで読み終えた海津さんから原稿用紙を返される。
「オレたちはよ…」
「…」
「…カッコよく生きようじゃねーか」
サブカル雑誌に海津さんとブルーハーツの対談が掲載された頃、海津さんが「アイツ…何で自分の言葉で書かないだろうな」との感想を言っていたことをニシダから聞いた。たしかに…その作品は、海津さん好みに擦り寄ろうとしたブルーハーツ経由のセリフばかりで、決してシゲオ自身の言葉ではなかった。
「海津さん…今日、一杯吞みませんか?」
ある夜、相変わらずバイトを転々としてどこにも居場所がないシゲオは、どうにもやり切れない気持ちで、海津さんならわかってくれるに違いないと勝手に思い込み、アパート近くの公衆電話から海津さんに電話した。シゲオも海津さんから名刺をもらっていた。
「キミは…オレとツルもうとしているだろ?」
「…」
「オレは…誰ともツルむことが、出来ねーんだ」
シゲオはやはり甘かった。たった一、二度会ったぐらいで、海津さんとすっかりオトモダチになったつもりで浮かれていたのだ。シゲオはまだ…何者でもない。
「自分に、作品を書く資格はあるんでしょうか?」
シゲオの悪い癖だ…最短で答えを求めてしまう。
「………」
受話器の向こうで、沈黙が続く。
「…ホントはなあ」
「…」
「キミのような…複雑な家庭環境であったり血であったり」
あの夜、“家庭”や“母”の話をした記憶がうっすらとある。
「そんなヤツが、何かを“表現”することを許されているんだ…」
「…」
求めていた“答え”を見つけたような気がした。
「いいか、“作者”ってのは…孤独なもんなんだ」
「…」
「…もう、電話してくるなよ」
「わかりました…」
静かに受話器を置いた。
僕はまた一歩踏み出そうとしてる
少しこわいけれど
あなたの言葉は遠く
もう聞きとれない
何かがはじけ飛び散った
TOO MUCH PAIN
シゲオは夜の帳のなかをたった一人歩き出した。
ハミダシ者ならハミダシ者らしく…
『カリブソング~カリブの風が吹いている』
「第2章 TOO MUCH PAIN」END
【小説】『カリブソング~カリブの風が吹いている』テーマ曲
『カリブSONG(New Remix)』
https://note.com/gondo_ukon/n/nbdef003d53ed
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