孤独の棚は静かに蠢く
【読んで応援❗カクヨムコン】亘理ちょき
ただいま、と言える場所
「ただいまー」
返事は、ない。
築二十年、3LDKの中古マンション。
四十手前にしてようやく手に入れた、自分だけの城だ。
一人で住むにはちょっと広いのだが――それにはそれなりの訳がある。
「ふぃー、今日も疲れたなあ……」
靴を脱ぎ、まっすぐに奥の部屋へと向かう。
扉を開けてリモコンを操作すると、白い光が部屋を満たした。
――ここは俺の“聖域”だ。
壁面を覆うのは、天井まで届く特注のガラス棚。
その中には、フィギュアとぬいぐるみが整然と並んでいる。
「ただいま、みんな」
中央のソファに身を沈め、棚を見つめる。
静寂の中、胸の奥からじんわりと満たされていく感覚が心地いい。
「……ふぅ」
うだつの上がらないサラリーマン生活だ。
与えられた仕事を淡々とこなし、定時を待って帰るだけの毎日。
そんな俺に、生きる意味を与えてくれたのが――彼女たちだった。
中でも、特にお気に入りなのが『ミコさん』。
初めて買ったフィギュアで、アニメは繰り返し何度も見た。
記念すべきアニメ第1期の衣装。元気いっぱいの笑顔と可憐な立ち姿に心を奪われ、気付けばブラウザの注文ボタンを押していた。
その後もコレクションは増え続け、今では軽く三桁を超える。
実家ではスペースが足りず、全部を飾るなんて到底無理だった。
だからこそ俺には、この空間が必要だったのだ。
火気厳禁。紫外線NG。湿気対策も万全。
完璧な保存環境を追求し、日々の手入れも欠かさない。
俺はこの部屋を、そしてこの生活を、心から気に入っていた。
「――ん?」
ひとつだけ、位置がずれている気がする。
ミコさんのフィギュアだ。
いつもと微妙に向きが違っている。
掃除の時にでも触れたのか?
いや、それならさすがに気付くはずだが……
ケースを開け、そっと元の位置へ戻す。
僅かな違和感は残るものの、その日はそのまま眠りについた。
次の日。
またしてもミコさんの位置が変わっている。
今度は、棚のガラスに顔を近づけるように前のめりになっていた。
おかしい。絶対におかしい。
昨晩位置を直してから、俺は一切触っていない。
他のフィギュアは微動だにしていないのに、なんでこれだけ――
誰かが入った、なんてことはないと思うが……念のため、写真を撮ってからベッドに入る。
翌朝。
目覚めた瞬間、違和感に気づく。
……布団の中に、何かいる。
「――ええっ!?」
布団をめくるとそこには――ミコさんがいた。
何度も位置の変わっていた、あのフィギュアのミコさんだ。
それが、まるで添い寝をするように――俺の隣でちんまりと横たわっている。
「えっ? えっ?」
驚いて身体を引くと、ミコさんはもぞもぞと近寄ってくる。
目が合うと、彼女は安心したようにこちらの胸元へ顔をうずめてきた。
動いている。俺のミコさんが――動いている。
体温も息遣いも感じない。けれど確かに、彼女は明らかな意思を持って動いている。
夢かと疑ったが、そうではなかった。
俺とミコさんの“夢のような生活”は、こうして始まった。
「ミコさん、行ってきます」
「ただいまー、ミコさん」
退屈だった人生に、突然現れた小さな同居人。
言葉は話さないが、こちらの言うことは何となく理解しているようだ。
食事もトイレも必要とせず、ただ、そこに“在る”。俺のそばにいる。
毎日の手入れも今まで通り。
ブラシで埃を払い、ウェットシートで汚れを拭き取り、柔らかい布で全身を磨き上げる。
表情は変わらないが、ミコさんは気持ちよさそうに身を任せているように見えた。
「話ができたら嬉しいんだけど、それは無理なのか……」
そんな呟きにも、彼女はじっとこちらを見つめるだけ。
それでも、俺は十分に――幸せだった。
それから数日。さらに“奇跡”が起きた。
今度はぬいぐるみミコさんだ。
仕事から帰った俺を、彼女は玄関で出迎えてくれた。
俺が移動するたびに、小さな足でよちよちと後ろをついてくる。
風呂やトイレまで一緒に入ってこようとするのには参ったが、そのストレートな好意が嬉しくて、天にも昇るような気持ちだった。
就寝時。ベッドに入るとすぐにぬいぐるみミコさんが布団の中に滑り込んできた。
ちょこんと横に並び、表情は柔らかな微笑みのまま。
声を発することもなく、ただ、そばにいてくれる。
「……天使かよ……」
フィギュアミコさんも今日は定位置を譲り、少し離れた場所で静かに見守っている。
フィギュアミコさんとぬいぐるみミコさん。
二人の愛を全身で感じながら、照明を落とす。
幸せすぎて、眠るのが惜しかった。
――しかしその幸せは、長くは続かなかった。
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