第21話 奈落の底
時は少し遡り、額は逃走した弟子とその仲間を追跡していた。
――どこに行くつもりなの。
疑心を抱きつつも、額は駆けたまま氷矢を番える。
「〈
狙いは佳弥と桐南が走っている少し先。弓の角度をわずかに上げて矢羽根を離すと、凍てついた一矢が佳弥たちの頭上を通り越して目前の地面に突き刺さった。するとたちまち〈氷〉の神力が波紋のように伝播して、地面を氷漬けにしていく。
鏡のように透明な薄氷が敷かれ、佳弥は反射的に足を止める。
「わっ、ちょっと! 急に立ち止まらないでよ」
後ろをついていた桐南が佳弥の背にぶつかりそうになり、体勢が崩れる。
敵方が立ち止まった今が好機だと、額は渾身の射を放った。
「〈一射・氷柱〉」
佳弥は振り返って、師の一射を迎撃すべく弓弦を引く。
「桐南さん。今のうちに〈氷面鏡〉の無効化を。額様からの追撃はわたしが相殺します」
「わかった!」
桐南が槌を振り下ろすのと、佳弥が白銀の矢を射るのは同時だった。
「よいしょお!」「〈一射・
灰黒の槌は鏡に亀裂を入れて吸収し、六花舞い散る一矢は氷結した一矢と衝突し、雪氷が吹き荒れる。
「皇宮への入り口はすぐそこです。行きましょう」
佳弥は再度、先導し皇宮へと繋がる『ねじれ』へと直進する。桐南の手を掴み、黄金を渦輪に飛びこんだ佳弥に額は目を剥いた。
「まさか、狙いは寧子様……⁉」
額は歯噛みし、自身も皇宮へと急ぐ。
慣れきった浮遊感の後、『ねじれ』に押し出されて裏門の前に降り立つ。
門を潜り、周囲を見渡すと巡回していた親兵が倒れていた。すると、少し離れたところで親兵の呻き声や地響きがした。
音のする方角は北紫殿ではなく、東青殿。どうやら寧子が狙いではないらしい。
「なぜ東青殿に。あそこには皇家の宝物しか収められていないはず……」
駆けながら熟考していると、彼女たちの目的をようやく理解した。
「狙いは〈緑爪〉……!」
初代将軍、花川吉久の愛刀にして〈木〉を司る神器。吉久が将軍となる前、かの神器は代々花川家に継承され、必ず血筋の者が所有者になっていたと聞く。
強大な神器が嵐慶の手元に渡ってしまったら、沈丁花はさらに力をつけることになる。
「何としてでも阻止しなければ!」
額が走力を上げた時――
「兎月副長!」
後方から聞き慣れた青年の声がして、即座に振り返った。
「雑賀隊長」
「良かった。やっと追いついた」
増長は第三部隊の面々を引き連れて敬礼する。
「どうしてここが」
「伊織から事情を聞いて、額さんの行った方向を辿ってきたんです。『ねじれ』がある場所に氷の破片が落ちていたものですから、もしかしてと思って来てみたら、案の定です」
「そうでしたか。心強い増援が来てくれて助かりました」
額はわずかに口元を綻ばせた。
「それで、佳弥さんと沈丁花の幹部は」
「おそらく東青殿に向かっているはずです」
「東青殿? 寧子様がいらっしゃる北紫殿ではなく?」
「はい。彼らを見ればわかるでしょう」
周辺には、東青殿に続くように伏した親兵たちが。
増長は眉間に皺を寄せて「なるほど」と声を落とす。
「でも、なぜ東青殿に」
肩を並べて走りながら、増長は額と同じ疑問を口にした。
「〈緑爪〉を奪取するためでしょう。あれはかつて初代将軍が輪皇の勅令に従って奉納したものですから」
「で、それを将軍の血を引く嵐慶に譲渡し、奴を神器所有者にするってわけですか」
「ええ」
言葉を交えていると、勢いよく開かれた東青殿の扉が見えてきた。
額たちは〈緑爪〉が収められている地下へと急ぎ、長い階段を下りていく。
地下最奥の間に辿り着くなり、三本の雪矢が急襲した。
「〈
すかさず増長が〈赤翎〉を構え、引き金を引く。
〈炎〉の神鳥を模した炎弾が銃口から飛び出し、雪矢を呑みこんでは溶解した。
「ありがとうございます」
「いえ、お安い御用です」
額たちが睨み据える先には、翠緑の神刀を手にした桐南と、次なる矢を番えている佳弥がいた。
「ここ以外、出口はありません。袋の鼠同然のあなたたちが切り抜けられる術はない。大人しくその神器を置いて投降しなさい」
額が声を張り上げるも、桐南はやれやれと言わんばかりに肩を竦めた。
「しぶとい連中だね。いいじゃないか、たかが神器の一本や二本くらい。どうせ使ってないんだから」
「佳弥。あなたも神器を置いて縄につけば、私が寧子様に罪を軽くしていただくよう取り計らいます。大丈夫、まだ間に合いますから」
「兎月副長……」
諦めきれずに切願する額の横顔は痛々しく、増長は一抹の悲哀を帯びた。
「だってさ、佳弥」
桐南の一瞥を受け、佳弥は冷えきった無感情の面差しで額の説得を一蹴する。
「この期に及んでまだ師匠面をするのですか。さっきはわたしの手を取らなかったくせに、都合のいい時にだけわたしを丸めこもうとしないでください。反吐が出る」
「佳弥……!」
「
「ちが――」
「違いません。もうあなたとわたしは師弟でも何でもない」
ただの敵です。
冷酷に吐き捨てた佳弥は番えた神矢を広間の中心めがけて射る。
「〈
雪華舞い注ぐ一射が命中し石畳の床に突き刺さると、吹き荒ぶ雪風巻が起こっては広間のなかを白銀に染める。しかしそれだけではなく、狂乱する雪が集まって数多の雪の精を作り出し、額たちに襲いかかった。
「ここは俺が!」
増長は速射し、次々に雪娘を溶かしていく。その的確な射撃能力は見事なものだが、依然、雪娘は新たに増え続け、白魔の手を差し向ける。
「雑賀隊長、中心の矢を狙ってください!」
額の助言を受け、増長は神技の根源である雪矢に照準を定める。
「〈烈炎飛翔〉」
炎鳥が飛び出し、矢を穿とうとするも数体の雪娘が寄り集まって盾となる。
「くそ!」
それに、雪娘だけでなく広間を支配する雪風巻も増長たちの体力を奪う。長居はできなかった。
「佳弥ー。あとは僕に任せて、君は先に外へ出なよ」
「え? ですが……」
「だーいじょうぶ。僕には神の天敵がついてるからさ」
桐南は灰黒の槌を掲げて、皓歯を覗かせる。そのまま持っていた〈緑爪〉を佳弥に預け、雪娘に翻弄されている額たちに視線を移した。
「紅葉は先に千萩たちの救出に向かってるだろうから、佳弥は蓮夜のほうを頼むよ。後でまた『ねじれ』で落ち合おう」
「わかりました」
「援護するから、そのまま出口まで突っ走って」
桐南に言われた通り、佳弥は雪娘の舞踏に紛れて額たちがいるほうへと猛進した。
「逃がさない!」
額を始め、増長や親兵たちが包囲しようとするも雪娘がそれを阻む。だが、辛うじて妨害を回避した額が佳弥に一矢報いようと氷の鏃を向けた。
「おやおや、かわいい弟子を殺すつもりかい?」
耳元で幼子のような高い声がした途端、手元が震えて狙いが定まらなくなった。転瞬、手元に重い衝撃が走り〈白飛〉が宙を舞う。次いであばら骨が砕ける不吉な音が腹の底から響いて、同時に感じたことのない激痛が襲った。
「ああ、でも、もう弟子じゃないか」
桐南の鉄槌が額を弾き飛ばす。
額は石壁に強く叩きつけられ、口元から鮮血を繁吹かせてはうつ伏せになって倒れた。
「兎月副長っ!」
増長の叫びがかすかに聞こえ、額は辛くも頭を持ち上げる。
「佳……弥……」
求める手と虫の息で紡がれた最後の呼声が届くことはなく。額の瞳から愛する者が消え去ると同時に、彼女は闇に落ちた。
「兎月副長!」
すぐに額のもとへ駆け寄りたかったが、凄まじい雪風巻と雪娘が防壁となって足を動かせない。それに自身の肌も凍傷し始めていた。
「正直言って、僕は寒いの苦手なんだよね。いっつも熱いところに居座ってるから耐性がないのさ」
そこで桐南が〈雪娘〉の親たる雪矢を遠慮なく打ち潰した。その瞬間、雪風巻と雪娘が霧散し白銀の園庭が消失する。
敵自ら防壁を崩してくれたおかげで、ようやく射撃に集中できる。増長は桐南に照準を合わせ、瞋恚の炎を放った。
「〈
二羽の炎鳥が神籟を轟かせながら空を焼き裂く。
だが、烈々とした熱波を前にしても火に慣れている鍛冶師は綽然と仁王立ちしている。
「だから、それは僕の前では無意味なんだよ」
己が作った愛槌を大きく振りかざし、桐南は瞬く間に炎鳥を叩き潰した。
呆気なく散った火炎の羽が舞い落ちては鉄槌に喰われる様を、増長は茫然と見ることしかできなかった。
「じゃ、僕もそろそろ戻らないと」
桐南は「よいしょお!」とお決まりの掛け声を発して鉄槌を石畳に打ちつけた。
濃密な神力を多く喰い、自身の硬度に昇華した鉄槌は石畳に大きな亀裂を入れ、やがて奈落の底へと通じる大穴を開けた。
足元が崩壊したことで刹那の浮遊感が襲い、増長たちは落下する。その際、桐南が大きく跳躍して大穴を跨ぐ姿が視界を横切った。
「待て!」
「待たない♪」
別れの挨拶代わりに桐南は片目を閉じて、軽やかに入口前で着地する。駆けだせば後悔と義憤に苛む喚声が背を打ち、やがて崩落の轟音にかき消されていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます