第7話 急襲

 人知れず目的地を目指して数十分。

 翠緑の天蓋に覆われた山麓を歩いていると、ふと先頭を行く増長が立ち止まって片手をあげた。制止の合図に一行はその場で立ち止まる。


「あそこだ」


 小声で囁いて、増長が指し示した先には小さな廃城があった。

 ところどころ瓦が剥げ落ち、白壁も黒く汚れて崩れている。その廃城を呑みこむように蔦が幾重にも絡まり、木漏れ日から差し込む一筋の陽光に照らし出される様はまるで自然の一部であるかのように神秘的でさえあった。


 その昔、この廃城には周辺を治める士族が住んでいた。だが、領土争いに破れて一族が途絶えて以降、廃城になってしまったという。


 ――どういうことだ……?


 ふと、気づいた違和感に桜夜は眉を顰める。


「どうしたん? 桜夜ちゃん」


 伊織に次いで、雑賀兄妹や他の親兵たちの視線も桜夜に集中した。


「……気配がない」

「え?」

「城から足音や会話が一切聞こえないんだ」


 潜伏している山麓から城までは少し距離があるが、桜夜は人並外れた五感を持っているため、ある程度距離が離れていても鋭敏な聴覚で微かな音を拾い、気配を察知することができる。しかし、先ほどからずっと耳を澄ませていても、人の発する音が何一つ耳に入ってこなかった。

 伊織と増長、それから増美たち三人は互いを見合わせて頷き合う。そのまま一目散に城へと駆け出した。桜夜と親兵たちは急いで彼らの後を追う。


 崩壊しかけた城門を抜け、伊織が閂で閉じられた木製扉を〈黒翼〉で薙ぎ払う。

 木片が散らばり、入口が開いたところで桜夜たちが入城すると、つんと黴臭い匂いが鼻腔をついた。嗅覚が優れている桜夜は思わず眉根を寄せるも、すぐにその不快感を振り払って眼前にある階段に足を乗せた。

 階段を登りきり、一階の広間に躍り出る。そこには静謐で澱んだ空気が滞る無人の空間が広がっていた。あるのは、火が灯されていない燭台や端々に山積みされた木箱のみ。


「確かに誰もいないな」


 増長は怪訝な面持ちで辺りを注意深く観察する。

 腐って脆弱になってしまった床板と木柱。ところどころ折れたり欠けたりしている格子窓からは陽光が差し込んでいるが、陽の当たる場所以外は薄暗い。


「一応、二階も確認する? 兄貴」


 二階へと繋がる階段を指さしながら問いかける妹に対し、兄は頷く。


「そうだな。頼む」

「了解」


 増美は何人かの親兵を引き連れて、上層へと向かった。


「侠客が嘘の場所を吐いた……ってゆうわけでもないか」

「ああ。木箱の中身も武器や食糧ばかりだ。燭台もつい最近まで使われていたみたいだ」


 伊織が顎に手を添えて言うと、増長は木箱のなかを覗き込みながら相槌を打つ。


「ということは――」


 私たちが来ることを、沈丁花は知っていた?


 全員が辿り着いた憶測を桜夜が代弁する。そして、そこからさらに導き出される最悪の憶測が全員の頭に思い浮かんだ。


「これはこれは由々しき事態。局のなかに裏切り者がおるな」


 切れ長の紫瞳が眇められ、冷然とした声音が冴え渡る。


「沈丁花の分拠地が割れてからまだ一日も経ってないし、このことは桜夜ちゃんらに局寮を案内してた時におった人間と親兵局の上層部しか知らん。それに、ボクらがこっちに来るって決まってからまだ二時間ちょっとしか経ってない」

「短時間かつ俺たちの目を掻い潜って奴らに情報を伝達するとは、裏切り者は相当な諜報能力をお持ちのようだ」


 増長の視線が、桜夜のほうへと投げられる。

 疑念がありありと見てとれる琥珀色の双眸に、桜夜はかぶりを振った。


「私では――」

「いやいや、桜夜ちゃんは白やろ」


 桜夜が否定する前に、伊織の弁護が割って入る。


「蓮夜くん最優先の桜夜ちゃんが、わざわざあんな虐待者のとこに帰って手ぇ組むはずないわ。ていうか、桜夜ちゃんはずっとボクらとおったし、敵さんに情報渡す暇なんかあるはずない」

「……それもそうだな。疑ってしまって申し訳ない」

「いえ。気にしていませんから」

「兄貴。やっぱり上のほうにもいなかったよ」


 そこで増美たちが戻ってきた。

 階段を下りながら増美はしかめっ面になって言う。


「あんまり考えたくはないけど、これ、局内の誰かが密告した可能性大だね」

「ああ。ちょうど俺たちもそう話していたところだ」

「でも、ここにいたはずの沈丁花はどこに……」


 桜夜の疑問に全員が唸る。


「まあ、考えたってしょうがないわ。多分そう遠くへは逃げてないはずやから、一旦周辺だけでも探してみよ」


 伊織の指示を受け、一行は階段を下りて元来た道を戻っていく。

 一行が廃城を後にしようとしたその時――突如、廃れた床板の隙間から鋭利な刃が突き出してきた。


「うわっ!」

「何だ⁉」


 それも一本や二本ではなく何本も。

 親兵たちの驚愕の声が飛び交うなか、不意の急襲に負傷を許してしまう者もいて、何人かがその場でうずくまる。


「お前らは負傷したやつと一緒にここを出ろ!」

『はっ!』


 無事だった親兵たち数人に負傷者を預け、増長はそれ以外の者たちに指示を下した。


「全員、迎撃態勢!」


 親兵たちは各々武器を構え、未だ生え続ける刀剣や槍をかわしていく。


「ふーん。おらんと見せかけて油断したボクらを仕留めようってことか」


 伊織は面白くなってきたと言わんばかりに、意気揚々と抜刀して神力を放出する。


「〈風切羽かざきりば〉」


 苦無の如き鋭利な漆黒の羽が無数に繰り出され、地を穿つ剣山をすべて薙ぎ払う。

 辺り一面に折れた刀身が、がちゃがちゃと音を立てて散らばったのも束の間、伊織は床板に狙いを定めて〈黒翼〉を大きく振りかざした。


「よっしゃ、下行くで。〈銀旋風〉」


 伊織が白銀の旋風を繰り出して床板に穴を開ける。すると、剣山を作った張本人である沈丁花の武士たちが姿を現わし、〈銀旋風〉を受けて苦悶の声をあげながら地に伏した。

 桜夜たちは刹那の浮遊感が全身を包んだ後、勢いよく落下するも何とか無事に着地した。幸い高低差がそれほどなかったので、大事には至らなかった。


 ――なるほど。どおりで気配を感じなかったわけだ。


 地下となると、かすかな呼吸音や足音が遮断されてその存在を感知しにくくなる。


 ――これは偶然か? それとも……。


 もし、察知能力を――ひいては自分自身の生存を知っている者がいたとしたら。花顔が自然と険を帯びる。

 地下空間だけあって、背の高い者なら手が届きそうなほど天井がすぐそこにあった。しかし、横幅と奥行きは思いのほか広く、地下道の両端には何本もの篝火が周囲を仄かに照らしている。


「おい、あいつって……」

「水色の髪に青白い刀……。間違いない、あの女は御庭番の!」

「そんなまさか、蛇女は央都決戦で死んだはずだろう⁉」

「生きていたというのは本当だったのか!」


 何人かの武士たちが、桜夜を視認するや否や愕然とする。おそらく彼らは央都決戦で桜夜を垣間見た者たちだろう。あるいは、御庭番の面々に関する噂や情報を把握していた者たちか。

 だがそれよりも、やはり彼らはなぜか桜夜の生存を知っていた。


「早く千萩せんしゅうさんたちに知らせないとっ……!」

「千萩……」


 聞いたことのある名前に桜夜は片眉を持ち上げ、すぐに身を翻した男を追跡する。


「〈水蛇みずち〉」


 〈水牙〉で空を横一閃すると、神力によって生み出された水がやがて蛇を形作り、男を襲った。彼は為す術なく蛇に巻きつかれて地面に倒れこむ。


「シャーッ」

「ひっ……!」


 水蛇の威嚇に、捕らえられた男は恐怖で顔を歪ませる。それは周囲にいた他の武士たちも同じだった。

 敵を逃がす隙を与えまいと、桜夜は畳みかけるように神技を放つ。


「〈早瀬〉」


 武士たちは〈水牙〉に急所を打ちつけられ、次々に意識を失っていく。

 その流麗な体捌きと剣技は、まさに急流の河川の如し。水で刀身を覆うことで殺傷力を弱め、打撃によって相手を戦闘不能にしていた。


「おお、やるなあ桜夜ちゃん」

「呑気に感心してねえで、お前も早く行け」


 俺たちも桜夜さんに続くぞ!

 増長の号令に伴い、親兵たちも雄叫びをあげながら敵陣に身を投じていく。増長と増美はそれぞれ射撃体勢をとり、後方支援に徹した。


 兄妹が持つ神器は、一柱の神が生み出した二つの分身。

 〈炎〉の神力を有する狙撃銃〈赤翎せきれい〉と二丁拳銃〈赤羽せきう〉。彼らが放つ神炎は変幻自在。温度を変えたり、燃やす対象を選別したりすることができる。ただしそれは、相応の神力操作能力と神器との強い絆があるうえでの話だが。


「〈光炎天こうえんてん〉」


 増長が天井めがけて一射すると、赫灼の軌道を描いて炎火が弾ける。すると、眩い閃光が瞬く間に周囲を呑み込み、沈丁花の武士たちの視界を奪った。


「〈炎獄えんごく〉」


 武士たちがひるんだ隙に、増美が彼らの周りを囲うように銃弾を何発も地面に撃ち込む。たちまち撃ち込まれた地面から猛々しい火柱が立ち昇り、やがて先端同士が繋ぎ合わさって炎の檻が完成した。


「くそっ、何だこれ!」

「こいつらも神器所有者か!」


 武士たちが動揺するのも束の間、彼らが手にしていた武器はあっさりと炎熱で溶かされてしまった。

 対抗手段を失ったことで武士たちの士気が急激に下がっていく。このまま自分たちもあっけなく焼け死んでしまうのかと覚悟したが、灼熱の檻のなかであっても一つも汗をかくことはなかった。


「……どういうことだ。刀は熱で溶けたというのに」

「なぜ我々は死なない?」

「それは増美の腕がいいからや」


 当惑する武士たちに、伊織が檻に近づいて言う。


「感謝せえよ。その気になれば、あんたらなんか一瞬で骨も残らず灰にできるんやから」


 あったかもしれない無惨な最期が脳裏に描かれ、武士たちは慄く。その様子が滑稽に思えたのか、伊織は嫌みったらしく口角をあげて彼らに尋ねる。


「さて、答えてもらおか」


 ここ仕切ってるお偉いさん、どこ?

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