12章 宣戦布告
第34話「黒曜の暗殺計画」
夕刻の陰りが迎賓館の石畳に、長い影を落としていた。廊下を急ぐ足音が、静寂を破って響く。
「鈴音、すぐに黒曜皇子殿下の執務室に来てくれ」
山崎の声には、いつもの余裕がない。鈴音は振り返った瞬間、上司の表情に刻まれた深刻さを読み取った。
「重大な報告がある。急げ」
彼の言葉に込められた重みが、鈴音の胸を締めつける。――何かが起きている。それも、想像以上に深刻な何かが。
執務室の扉が開かれると、張りつめた空気が鈴音を迎えた。黒曜が窓辺に立ち、夕陽に照らされた横顔は彫像のように動かない。焔は壁際に控え、金の瞳に警戒の色を宿していた。
鈴音が入室すると、黒曜がゆっくりと振り返る。紫の瞳が一瞬、鈴音の上で止まった。しかし、すぐに視線をそらし机の前に歩む。
「……皆さまには、覚悟してお聞きいただきたい」
「中務省の調査が、進展しました」
山崎の声が、静寂を切り裂く。重要書類を机に広げながら語る言葉に、鈴音は無意識に息を止める。室内の緊張感が、肌を刺すほどに高まっていた。
「先日の襲撃者と、捉えた姉小路の双方の取り調べから、重大な事実が判明いたしました」
鈴音の心臓が早鐘を打った。姉小路――あの同僚の陰陽師の名前が出ると、胸に苦い思いが広がる。
「当初は、頑なに口を閉ざしていましたが……説得を続けた結果、ついに自白しました」
「姉小路の動機は、鈴音への嫉妬と鬼族との和平条約への反対でした」
鈴音は唇を噛んだ。自分のせいで姉小路が道を踏み外したのだという思いが、心を重くする。
山崎の表情に、苦渋の色が浮かんでいる。どんな恐ろしい『説得』が行われたのか、鈴音は想像したくなかった。
「しかし、姉小路は単独犯ではありませんでした」
山崎が先を続けた。その場に居合わせた黒曜、焔、鈴音一同に緊張が走る。
「彼女の背後には、組織的な反対勢力が存在します。人間界と鬼族、双方に和平条約反対派がいることが判明したのです」
証拠書類の文字が、電灯の光に踊って見えた。鈴音は目を凝らしたが、その内容の重大さに眩暈を覚える。
「人間側の中心人物は……華族の高雪浩二。帝の侍従長です」
衝撃が室内を駆け抜けた。
――帝の侍従長、まさかそんな。鈴音は先日の宮中晩餐会での光景を思い出す。帝のそばに控えていた初老の男性。
威厳があり、長年宮中に仕えてきた風格を漂わせていた人物。その人が裏で陰謀を企てていたなど、信じられない。
焔が小さく息を呑む音が聞こえる。鬼族の側近である彼女も、人間の最高権力者に最も近い人物が敵だったという事実に動揺を隠せないようだった。
「長年、帝に仕えながら裏では鬼族との和平に反対していました。彼の目的は、黒曜皇子を殺害し交渉を破綻させることのようです」
鈴音の血の気が引いた。
暗殺――その言葉が頭の中で響く。黒曜が狙われている。
無意識に彼の方を見つめた。黒曜は相変わらず冷静な表情を保っているが、その手がわずかに震えているのを、鈴音は目の端に止めた。
「そして……」
「鬼族側の協力者についてですが」
山崎が躊躇いがちに口を開く。その様子に、焔の表情が険しくなった。彼女の金色の瞳に警戒の光が宿る。
「まさか……」
焔の声には、予感していた最悪の事態への確信が込められていた。
「第二皇子・碧玉殿下の関与が強く疑われます」
静寂が室内を支配した。重い沈黙の中で、時計の針の音だけが響いている。鈴音は黒曜の横顔を見つめる。彼の美しい顔に、痛みの表情が浮かんだ。
血を分けた弟からの裏切り——それは権力争いを超えた、深い心の傷だった。
「この計画の最終目的は……私の暗殺か」
黒曜の声は平静だったが、その奥に深い悲しみが宿っているのを鈴音は感じ取った。
「弟が皇位を狙っているのは知っていたが、ここまでとは」
焔が悔しそうに拳を握りしめる。
「ただし、決定的な証拠はまだ不十分です」
山崎が現実的な問題を口にする。
「捕らえた者たちの証言だけでは、侍従長や第二皇子を取り調べることができずにおります。――特に鬼族の皇子となれば、外交問題にも発展しかねません」
もどかしさが、室内の空気をさらに重くした。政治的な制約という見えない壁が、真実への道を阻んでいる。
報告が終わった、まさにその時だった。
「失礼いたします」
扉が開いた瞬間、鈴音の心臓が止まりそうになった。
そこに立っているのは――黒曜を殺そうとしている張本人。碧玉が鬼族の護衛を連れて、涼しい顔で入室してきたのだ。
黒曜と碧玉が対峙した宮中晩餐会の時に、
まるで彼らの会話を盗み聞きしていたかのような、――あまりにも無気味すぎるタイミング。鈴音の背筋に悪寒が走った。
そもそもどうやって、この厳重な警備の迎賓館の中に入館が出来たのか。
山崎の顔が蒼白になる。彼も同じことを考えたに違いない。焔の手が剣の柄に向かうのを、鈴音は視界の端で捉えた。黒曜だけが、石像のように動かない。
室内の空気が、氷点下まで冷え込んだような錯覚に陥る。鈴音の手が震えながら袴の懐に忍ばせた符に触れた。汗ばんだ手のひらに、紙の感触が妙にリアルに感じられる。
「おや、皆さまお揃いで、何か重要なお話でしたか?」
碧玉の声は蜜のように甘く、午後の茶会にでも招かれたかのような軽やかさだった。しかし、その笑顔は氷の仮面そのもの。
目元には一片の温かみもない。
金の髪が灯火に照らされ、美しいが底知れぬ恐怖を感じさせる光を放っていた。
「……何の用だ」
黒曜の声が低く響く。感情を押し殺した、いつもの冷静沈着な口調だった。
「私の話題をしていたようですね」
その一言に、鈴音の血管をこおり水が流れた。私たちの会話をどれほど前から聞いていたのか。
それとも……最初から全てを知っていたのか。
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