7章 鈴音と黒曜、二人きりの戦い

第20話「迫る残り時間、命がけの禁呪の解除」


 会場の東の角で、鈴音は金屏風の裏側に、小さな符が貼り付けられているのを発見した。それは一見、装飾の一部に見えるよう巧妙に隠されていたが、黒曜の妖力が、符に残った強い悪意の存在を見抜いていた。


「東は木の属性……生命力を司る力を逆転させています」


 鈴音の分析に、黒曜は無言で頷いた。彼の妖力でも、術式の危険性を感じ取ることができる。


 鈴音は深く息を吸い、複雑な印を結び始めた。一つでも間違えば、術式からの反撃で大きな呪術返しを受ける可能性がある。


 ――危険な禁呪きんじゅの解除。それは、解除者の命を奪う危険性を含んでいる。


 鈴音の指先の震えが止まらなかった。これほど高度で危険な術を解くのは初めてだった。父の教えを思い出し、心を落ち着けようとする。胸の奥で不安が渦巻いているが、それを押し殺して集中する。


「落ち着け、君なら出来る」


 黒曜の低い声が、鈴音の緊張を和らげた。彼の言葉に強く励まされ、鈴音の震える心が落ち着いていく。


 木の気を司る呪文を唱えながら、鈴音は符に込められた術式を慎重に解析していく。一つ一つの文字に込められた意味を読み取り、安全な解除手順を見つけ出す。


 術式の解除中、鈴音の全身に緊張が走った。符から微かな殺気が立ち上り、解除を妨害しようとしてくる。汗が額を伝い落ちる。息を殺し、精神を集中させながら最後の印を結んだ。


 符から薄い緑の光が立ち上がり、やがて消失した。第一の核が無力化される。


「解除……成功しました」


 鈴音の声は安堵に震えていた。しかし、まだ四つも残っている。倒れた人々の呼吸は、依然として浅いままだった。安堵と同時に、さらなる重圧が鈴音の肩にのしかかってくる。


「よくやった。次に行くぞ」


 黒曜の声に促され、二人は南へと向かった。南の呪は、より強力な護りに守られていた。火の属性を持つ核からは、殺気立った熱気が立ち上っている。近づくだけで、肌が焼けるような痛みを感じた。


「火の属性……怒りと憎しみの感情を増幅させて、生命力を燃やし尽くそうとしています」


 鈴音の顔に、恐怖の色が浮かんだ。この核は明らかに悪意に満ちている。空気そのものが重く、邪悪な気配が肌を刺すように感じられた


 鈴音は自分の身体が震えているのに気づいた。しかし、それを止めることはできなかった。今度の核は、より強力な護りに守られている。冷や汗が背中を伝い落ち、心臓の鼓動が耳に響く。


 解除を試みると、術式からの猛烈な反撃が襲いかかった。突然、会場の温度が急上昇した。灼熱の炎が彼女を包み込む。髪の毛が焼ける匂いが鼻を突いた。


「きゃっ!」


 炎に触れた瞬間、激痛が走った。袖の一部が焦げ、肌に熱が伝わってくる。呼吸するたびに肺が焼けるような痛み。この炎に包まれれば、一瞬で燃え尽きてしまう。

 その恐れが鈴音の心を支配しそうになる。


「下がれ、私が道を開く」


 黒曜の声が、鈴音の耳元で雷鳴のように響いた。彼の妖力が展開され、炎を打ち消した。冷たい風が一瞬で熱気を払い、鈴音は息を取り戻した。その圧倒的な力で、鈴音が近づけるよう道を切り開く。


「ありがとうございます」


 鈴音は感謝を込めて振り返った。黒曜がいなければ、確実に命を落としていた。その事実が、胸に重くのしかかる。

 身体はまだ震えているが、前に進むしかない。自分の無力さを痛感しながらも、諦めるわけにはいかなかった。


 再び南の術式の解除に取り掛かる。今度は黒曜の妖力に守られながら、慎重に呪を唱えていく。


 黒曜の存在を背後に感じながら、鈴音は集中力を高めた。彼が守ってくれているという安心感が、恐怖を和らげてくれる。


 二つ目の核が無力化された時、倒れた人々の呼吸が少し安定した。かすかな希望の光が見えた瞬間だった。


 ――しかし、まだ安心はできない。残りは三つ。まだ道のりは長い。






 西の角に向かう頃には、鈴音の体力が大きく奪われていた。高度な陰陽術を連続で使うことで、体力と霊力が大幅に消耗している。頭痛がひどく、視界の端がぼやけ始めている。


 足取りがふらつき、膝がガクガクと震えた。黒曜が支えるように手を差し伸べた。その腕にすがりつかなければ、その場で倒れてしまいそうだった。


「大丈夫か」


「はい……まだ、やれます」


 黒曜の声に、鈴音への心配の色が込められていた。鈴音は必死に答えたが、その声は明らかに弱々しくなっていた。――だが、彼女の黒曜を見るその瞳には、諦めの色は微塵もなかった。


「皆さんの呼吸が……まだ浅いままです」


 鈴音の声に焦りが滲んだ。時間が経つにつれ、術の威力は強くなっていく。


「君なら、必ずできる」


 黒曜がそっと鈴音の身体を支える腕にちからを込めた。その冷たい指先から、鈴音の身体に不思議な安心感が伝わってくる。彼に触れられた部分から、温かな力が流れ込んでくるような感覚があった。


「はい……黒曜さまが、一緒にいてくれて心強いです」


 鈴音は心を落ち着け、再び集中力を取り戻した。自分を励ましてくれる黒曜の存在がどれほど心強いか。

 この瞬間、それを深く実感していた。

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