第五話 小野聖也
小野聖也は負けたことがなかった。
勉強も運動も人よりできたし、友達にも恋人にも困らなかった。だから、常に周りには人がいた。いつも誰かが聖也のことを褒めていた。
だがそのせいで、いつしか自分に挑む者はいなくなり、代わり映えのしなくなった毎日に、聖也は飽き飽きしていた。
高校に入ってもそれは同じだった。だから聖也は、最小限の行動を共にする仲間だけ作り、それ以外はこちらからお断りすることにした。それは、日々を少しでも楽しく過ごす為の、聖也なりの抵抗だった。
一年生の時点で、卒業まで行動を共にできそうな弘樹という脳筋馬鹿を見つけ、あとは自分に好意を抱かない女子二人をメンバーに入れようと考えた。それも見つけた。一人は、自分のことで精一杯の女子。もう一人は、多分その彼女のことが好きな女子。
こちらから話しかける必要はなかった。必ず相手は聖也に近づいてくるから。しかし、最初に聖也へ近づいてきたのは、おかしな男だった。
彼は自らを荷物持ち志望と名乗った。聖也の傘下に加わりたいと。挑みもせずに負けを認めることなんて、聖也は考えたこともなかった。だから新鮮だった。
聖也は彼の生態が気になった。彼を観察し、負けを学ぶ為に、自分のグループに迎え入れることにした。彼が一人目の友達だった。少なくとも、聖也は友達だと思っていた。
それから、想像した通りに弘樹と穂波と衣咲をメンバーへ入れて、このグループは完成した。なるべく万能で壊れにくいグループ。このグループを維持することと、彼から負けの流儀を吸収することが、聖也の当面の目標になった。
が、現在、グループは壊れかけていた。よりによって彼――凌介が、独立を宣言したのだ。グループは外側からの破壊には強かったが内側からの破壊には脆かった。どうにかしようと思い、とりあえず断ることにした。
「断る!」
「……え?」
聖也は勢いよく立ち上がった。
「今更、荷物持ちを卒業できるとでも? 自分の居場所は、自分で勝ち取ってみなよ」
聖也は声を大きくして続ける。教室の外にも見物人ができていた。
「凌介と俺! 勝負しよう! テストの点数とバスケの得点対決だ! 勝った方が負けた方に命令できる! そういうルールで! どう、皆!」
皆に聖也が訊ねると、生徒たちは「うぇーい!」と声を荒げた。凌介ではなく、皆に訊ねたのがポイントだった。
衣咲が「審判はあたしたちがやる!」と名乗りを上げた。彼女はなぜかやる気満々だった。
「うぇーい! いいじゃん! 俺も審判するし!」
弘樹もノリノリになっていた。穂波も「う、うぇーい!」と照れながら声を出した。衣咲も「うぇーい!」と叫んだ。
「ルールは後々伝える。覚悟しとけ」
聖也は凌介の肩にぽん、と手を置いて、それから教室を出て一人で購買へ向かった。
噂は一瞬にして広まった。聖也をちらちら見ながら、二人の後輩がひそひそ話をしている。
「聞いたか? 媚沼凌介が下剋上しようとしてるらしいぜ」
「今更? しかも世話になった上司の聖也先輩に挑むとか、怖い物知らずの恩知らずだね」
この勝負は勝たなければならない。そしてふと、勝ちにこだわるのは初めてのことだと思った。それから、誰かに挑まれるのも久しぶりのことだと思った。
「……いい度胸だ」
残念ながら、運動においても勉強においても、実力の差は明らかだった。だからハンデをつけてやることにした。
バスケでは、聖也が十点決めるまでに一点でも決めたら凌介の勝ち。
テストでは、一教科でも聖也より点数が高ければ凌介の勝ち。
どちらか一つの勝利で凌介の勝ち。
ルールも皆に広めた。生徒たちが証人だった。
その日はあっという間にやって来た。
テスト明け。ある日の昼休み。早弁をした両者は体育館の半分、バスケットコートにて向かい合う。テストはもう終わった。あとは点数を確認するだけだから、心置きなくバスケができる。
聖也は、緊張した様子の凌介を見据えて口を開いた。
「ルールの確認だ。俺が十点入れる間に、一点でも取れたら凌介の勝ち。いいな?」
バスケの審判は弘樹が、テストの審判は穂波と衣咲が担当していた。笛とボールを携えた弘樹が、本物の審判のような動作でコートに入ってきた。
「先行どうする? じゃんけんでいい?」
「いや、凌介先制でいいよ」
「あ、あざっす……いや、ありがとう」
聖也が凌介にパスを出して試合開始。オフェンスは凌介。だが、聖也は速攻ボールを奪い、レイアップシュートでゴールを入れてしまった。
「よーし、一点!」
「くっ……今のは、始まったばかりで動けなかっただけ……」
凌介は言い訳を呟いて、自分を励ましていた。
ゴールを入れたので次は聖也のボールだ。聖也は少し遊んでやろうと思い、得意のドリブルで凌介を混乱させ置き去りにする。
「ゴォォォォール! 聖也選手! 強い! 凌介選手、手も足も出ない!」
いつの間にかマイクを手にした弘樹が、実況も担当していた。
聖也は、こんなものかと少し落ち込んだ。威勢だけでは実力差は埋められない。そもそも俺は、負けたことがないんだ。凌介は聖也の半分も動けてないにも関わらず、もう疲労が見え始めていた。聖也はもう終わらせてやろうと思った。
だから、見落としていた。凌介の目がまだ死んでいないことを。聖也は情けで凌介にパスを出すと、彼は今までと違うフォームで構えた。というか、これは。
「あーっと! 凌介選手! やけになった! それは、もう砲丸投げだぁーっ!」
凌介はボールを適当にぶん投げた。いや、適当では、ないのか。何か、狙いがあるのか。
「あ、あのあの! 凌介は疲れていない状態だと、ボールを投げた時に飛ばし過ぎちゃうから、今がベストタイミングなんです!」
凌介の練習に付き合っていた穂波が、弘樹のマイクを横から奪い、解説を担当し始めた。だからって、それはどうなんだよ。
投げられたボールに目がいく。神様は俺を負かしたいのか、それとも今回も勝たせたいのか。俺は勝ちたいのか、負けてみたいのか。
入ればいいな、と思った。そして、そう思った自分に、聖也は驚いていた。俺は勝ちたいけど、彼になら負けてもいいやと、そう思っていた。聖也はとっくの昔から、凌介のことを一人の人間として、きちんと認めていたのだ。
が、ボールは外れた。
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