第7話 すれ違う視線

目が覚める直前――誰かに見られている感覚があった。


教室のような空間。


窓の向こうから、じっと刺さるような視線。夢のはずなのに、やけに温度があって、肌の上をぬめった感覚が妙に残っている。


「…あれ、やっぱり…そうだよな…?」


制服のシャツを着ながら、ユウはひとりごちた。

脳裏に残っているのは、昨夜の配信。ノイズにかき消されたリゼの声。


あれは夢じゃない――そんな直感だけが、今も胸の奥に燻っている。


階段を下りる足取りは、どこか重かった。


コンビニの袋を片手に、口の中で甘くもないパンを無意識に噛み潰す。腹が満たされるだけの味。


駅までの道、信号のない交差点、通り過ぎる自転車の車輪音。ただ、何かに背中を押されるように、駅へと向かっていた。


ホームに着くと、人に流れに任せて列に並ぶ。

スマホを取り出し、EWSの画面に触れる。


まず目に入ったのは、グリムのチャンネルだった。朝の配信なのに相変わらずの視聴数。

けれど、本来確認したいチャンネルは特に情報の更新はなかった。


“Rize_channel_042”——

アーカイブのリストを何度スクロールしても、昨日の配信は影も形も残っていない。


「……昨日の、消えてる……?」


喉の奥がひどく渇く。パンの味も、記憶の温度も、急速に現実から遠ざかっていく気がした。


「…やっぱり消えてる」


ただ訳がわからずスマホを見つめる。

何かがおかしい。消えた、いやまるで最初からなかったみたいに消されている。


電車の揺れが、思考を濁らせる。

吊り革につかまりながら、昨夜の記憶を辿っていた。リゼの目が、確かにこちらを見ていた。


そして、口が動いた。ノイズの奥から、はっきりと問いかける声が聞こえた。


「誰か、見てるの?」


配信アプリEWSのシステム上、視聴者の存在が伝わるはずがない。声なんて、まして干渉なんて、できるはずがない。それでも、確かにリゼはこちらに反応していた。


ホームのスピーカーが次の停車駅を告げる。

ユウはスマホの画面を伏せ、ゆっくりとポケットにしまった。



午前の授業は、ほとんど頭に入らなかった。

視線は黒板の向こうを漂い、ノートには意味不明なイラストが並んでいた。


「おまえ、最近なんか変じゃね? 夢でまで配信見てるってどうなのよ?」


昼休み、隣の席の春川が笑いながら話しかけてくる。ユウは一瞬間を置いて、曖昧に笑い返した。


「夢だったのかな、アレ」


言葉とは裏腹に、心は否定できなかった。

あれは“夢”なんかじゃない――感覚がそう訴えている。



放課後。


ユウはまっすぐ帰宅せず、電車を数駅乗り過ごした。降りた先は、どこにでもある住宅街の外れにある、静かな公園。


周囲に人の気配はなく、木々がさわさわと風に揺れている。ベンチに腰を下ろし、スマホを取り出す。


アプリを開く。

画面の中央に、白い文字が浮かんでいた。


“Rize_channel_042——ライブ配信中”


思わず息をのむ。

それは、まるでユウがここへ来るのを見越していたかのようなタイミングだった。


ユウは何も考えず、画面に親指をそっと重ねる。

瞬間、画面の中に草原の風景が広がった。


高く澄んだ空、照り返す陽光、揺れる草の香りすら漂ってきそうな映像。


リゼがひとり、丘を越えて歩いていた。

風に揺れる帽子を押さえながら、まるで誰かの気配を探すように、周囲を見渡す。


そのとき――彼女は空を見上げた。


「…なにを…探しているのか?」


ユウの喉が乾いたように鳴る。

画面の中でリゼが足を止め、こちらを見つめた。


「……誰かの“視線”が…」


「違う、“声”かな」


「……ねぇ、あなた、誰?」


その瞬間、スマホの画面が激しく揺れた。

映像が乱れ、ノイズが走る。

そして、アプリそのものが落ちた。


「…嘘だろ!? なんで…ッ!」


慌てて再起動する。

しかし、ログイン後の画面には何も表示されていなかった。


リゼの配信は。履歴も残っていない。

まるで、すべてが幻だったかのように。


ユウはスマホを握ったまま、動けなかった。

肌の奥がじわじわと焼けるような感覚。

ただの配信のはずなのに――これは何かが違う。


理屈じゃない。


証拠もない。


けれど、確かに感覚があった。


それが始まりだった。

何かが、確かに始まってしまったのだ。

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