婚約者を盗られ、幼馴染を獲る話。そして・・・(仮)

尾裂狐さん

一章 婚約者を盗られ、幼馴染を獲る話。そして・・・

第01話 不意打ち

「ん……あ……。ライル……」


 目の前にあるのは少し古いものの、丁寧に磨かれた見慣れた宿の扉。

 その向こうから聞こえるはずの無い会話と、よく知る彼女の艶のある声が聞こえる。

 この街へ戻って来てから定宿にしている俺たちの部屋。

 俺と、俺の婚約者であり、この艶のある声の主であるフレア、二人の部屋。


 俺は、目まぐるしく色々なことを考えている頭とは別に、扉を開けることも、その場を離れることもできず、唯々、立ち尽くしていた。


 早鐘を打ち暴れまわる心臓と、今にも叫び出して暴れたくなる心を落ち着けるため、俺は静かに目を閉じた。


「私ね、夢があるの……」


 始めは彼女が酔って二人きりだった時、関係が変わってからは二人でのベッドでの時間。彼女がいつも語る、彼女の変わらない夢。

 その夢を語る時の彼女は、甘えるように首筋に顔を寄せて、普段の彼女からは想像出来ないほど小さく、そして弱々しかった。


「安心できる街の中で、小さくてもいいから暖かくて凍えない、できれば可愛い家。元気に走り回る子供たち、子供や私を殴らない旦那、そんな家族が囲む食卓に腕をふるった料理を並べる私……」


 そして、それは叶わないものだと諦めているように、俯いて少し寂し気な瞳をする彼女。

 そんな時には必ず、俺は彼女の細い肩を抱き寄せて、慰めるようにそっと唇を落としていた。


 出会った頃は明るく勝気で男勝りな面ばかりが目立っていた彼女も、プライベートな話をする程度に仲が深まるにつれてお互いの距離感はあっさりと変わった。そんな関係をしばらく続けた後、今からおよそ一年前、俺はこの故郷の街への帰還を決めて彼女に婚約を申し込んだ。


 あの時の彼女の狼狽ぶりはよく憶えている。

 出会ってから一度も、どんな苦境や痛みでも見せたことのなかった涙を浮かべ、顔に掛かった綺麗な深紅の髪を払ってやれば、潤んだエメラルドの瞳はランプの光を反射して息をのむほど美しかった。

 挙句には、酒に酔って都合の良い夢を見ているのではないかと一人で疑い始めると、キスする振りをして俺の唇に噛みつくという暴挙に出た。俺の悲鳴と肩を叩く手に驚いた彼女はキョトンとした顔をしていて、その形の良い唇には俺の血が栄えていた。

 ……未だに俺の唇の内側にはその時の傷痕が残っている。

 そして、やっと現実を飲み込めた後は、何度も何度も「自分なんかで良いのか」と繰り返す彼女を宥めるのに一晩中掛かったのを憶えている。

 それからゆっくり一年をかけて、俺たちは拠点にしていたあの街から、俺の故郷のこの街へ旅をして戻ってきた。

 冒険者生活の仕上げとして、後輩を育てつつ旅路を楽しむ、そんな余裕のある良い日々だったと思う。

 そしてようやく帰ってきたのが少し前のこと。


 街に戻ると、俺は実家に連絡を取りながら昔付き合いのあった宿に部屋を取り、旅の疲れを癒していた。

 そんな折に旅の仲間であった冒険者ギルドの専属受付嬢から呼び出しがかかり、内々の依頼を頼まれた。

 それは、できれば大っぴらにせずに、神聖術の使い手である俺に依頼を頼みたいというものだった。

 神聖術は神に授けられる奇蹟であり、基本的に神殿関係者しか行使できない。

 実家の返事待ちだったため、神殿へ頼めと断りたいところだったが、傲慢な者や足元を見る者の多い神殿に彼女を行かせるのは気が引けたため、やむをえず受けた。


 予定では六日掛かるはずの依頼を四日でこなした俺は、冒険者ギルドへの報告の前に荷物を置き、埃を落とそうと宿へ寄ったところだった。


 気づかないうちに強く拳を握りしめ過ぎ、手のひらに爪が食い込んでいた。そこから滴る血が、認め難い現実を突きつけた。

 そっと小さく息を吐くと、心の中で神への奇跡を祈り、手の平の傷を癒した。恩寵はいつもと変わらず、傷を癒したが、傷口からこぼれる奇跡の光の残滓は今日は酷く冷たいものに見えた。

 旅装のベルトポーチからハンカチを取り出して血を拭うと、先ほど挨拶をして通り過ぎた宿の受付へと俺は一人、静かに引き返した。


 今考えると、あの時受付に座っていた男が、何か物言いたげだったのはこのことだったのかもしれない。


「これは、ユーリ様」

「責任者と、あとは事情が分かりそうな人に話をお聞きしたい」


 俺の顔を見て事情を察したらしい、受付に座っていた壮年の男は、奥の応接室へと俺を案内した。

 案内した男が出ていくと入れ替わりにきた女性がお茶を用意する。

 それに口をつけず待つこと数分、すぐに先ほどの男と、青い顔をした身形の良い若い男がやってきた。


「単刀直入に聞きたい。いつからですか?」

「私どもが把握している限りで四日前の夜からです」


 主語など必要ないだろうと切り出せば、責任者らしい若い男が更に顔を青ざめさせて答えた。

 俺が依頼に出たその日の夜からということになる。


「なぜ、部外者の出入りを許したんです?」

「お連れ様が同伴されていたとのこと、仕事仲間とも聞いたそうです」


 ここは、中堅商人などが主に使うセキュリティ面で信用の出来る宿だ。

 宿泊客以外が単独で入ろうとすれば止めるだろうが、同伴で仕事仲間となると確かに止める必要もないだろう。

 俺は片手を顔に当て片目を覆うと、ため息を吐く。


 多少話したことのあった壮年の男が気遣って声をかけてくる。


「事情を知っている私が担当していればお声掛けをすることができたかもしれませんが、生憎とその日は私の担当外でした。お気持ちお察し致します」


 そう言って頭を下げる男に俺は、手を振って止めるように頼む。


「いや、そこまで要求するのは筋違いでしょう。個人的な問題ですし、話しを聞けただけでも助かりました」


 そう言って今度はこちらが頭を下げる。


「迷惑ついでではないですが、後のことでお願いがあります」


 そう切り出すと、俺はこの後のことについて話した。

 部屋はフレアがライルを連れ込むまでの分は俺が払い、以降は本人たちに請求して貰うこと。

 部屋にある俺の服や日用品などの私物は後ほど処分してほしいこと。

 別で信用の出来る宿を紹介してほしいこと。

 どれも快諾してくれて、私物に関しては回収して問題無いと判断したものは移動先の宿か冒険者ギルドへ預けてくれるそうだ。

 依頼から戻ったばかりで手持ちがなかったので、支払いは冒険者ギルドへ請求書を回して貰うように頼むと、俺は彼女の居るはずの部屋の方を一度振り返ったが、誰にも気づかれないように小さくため息を吐くと、宿の入口の重たい扉をゆっくりと押し開けた。

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