2
食事が終わり、皆が腹を満足させて帰った夜。室内にいるのはオーリウス一人だった。
失敗ながらもこの世界の食材を上手く使えば、キャメロットのように結構おいしい料理を作れる事がオーリウスには分かった。
なぜあの腕で落第点を取るのか分からなくて、オーリウスは少し訝しむ。試験という重圧が彼女をおかしくしてしまうのではないかと。
もっともあくまで推測でしかないので、この答えが正解とは言えない。
人の事を考えている場合じゃねーなと、頭に手をやり掻いた瞬間に、コンコンとノックの音が室内に響き渡る。
この夜分に誰だろうと思いつつ、それでも突然の来客を無碍に帰すような性格ではないオーリウスはどうぞと扉に向かって言った。
「夜分遅くにごめんねー」
そう言いながら入って来たのはカンタレラであった。なんの用だろうとオーリウスは小首を傾げてしまうが、オーリウスの疑問など無視するかのようにカンタレラはオーリウスの前に座る。
綺麗な正座だ。カンタレラは黒を基調としたワンピースを着ており、その上にベージュのカーディガンを羽織っていた。
服の名前は恐らくは同じではないのだろうが、それでも服飾で行き着く先は、どこの世界もでも同じなのかなとオーリウスは思ってしまう。
じっと見定めるようにオーリウスの顔を見るカンタレラ。でもカンタレラは少し口元を緩めてにっと笑うとこう言った。
「十二使のプライドを傷つける事なんてなかなか出来ないわよ」
「いえ、多分俺が料理をまずった事にたいして怒られたのだと思います。きっとそれしか」
でもカンタレラはそこで髪を指先で弄くると、ふっと色っぽい溜息を付き、オーリウスの顔を覗き込む。
目線を合わせられるようにされたオーリウスは、その視線から逃れるように顔を逸らすが、カンタレラは肩を竦めながら話の先を続ける。
「十二使はまずった料理になど目はくれないわ。いえそれどころかオーリにも興味はなくて完全スルーが定石なのよねー」
しかしその完全スルーはされなかった。それどころかアメノは完全に敵意をむき出しにして噛みついてきたのだ。
まるで子犬に襲いかかる牙を剥いた狼のように。そうあれは言葉でいうならそんな感じだ。
「幻滅されたんですよ、俺はね」
「いやー、それはないと思うよ。私としてはね」
どういう事ですか? と聞こうとして口を開こうとした瞬間、まるでそれを遮るようにしてカンタレラはテーブルをこつこつと指先で跳ねるように叩く。
「アメノはあなたの料理をどこかの時点で食べたい! と思ったんじゃないかしら? あの子は昔から自分の思い通りにいかないと牙を剥いてくる子。体よく言えば我が儘な子なのよねー」
まるで指先でリズムを奏でるようにしてありえない言葉を言ってくる。
逆にその事がありえなくて、苦笑じみた笑いをオーリウスは漏らしてしまう。そして口から出た言葉、それはないでしょうだった。
オーリウスの言葉を聞いて、アメノは指先でリズムを奏でるのを止めるとこう言い切った。
「将来の食の高官になる十二使が一人の凡人に構うことなどないわ。それは私が断言する」
「……」
カンタレラの言葉に黙ってしまうオーリウス。静寂が室内を満たし始めた頃にカンタレラはオーリウスへ言葉を振った。
「そういえばさー」
「はい」
「なんで、ハッシュドポテトの産地を言い当てられなかったの? それとかなり味覚が変わったようだし」
「い、いえ熱の影響で混乱しているのかしれません……」
カンタレラの疑問、いや胸に刺さるような、ど直球的な質問にオーリウスはぞくっと寒気が走り、再度カンタレラから目線を逸らしてしまう。
でも露骨に目線を逸らしたオーリウスにカンタレラはにっと笑うと、逃さないわよと言った感じで聞いてくる。
「オーリはさなんで落第生だったか知ってる」
「……」
知らない、答えられる訳もない。何故なら自分はこの少年の事などなにも知らないから。どういう子供時代で、そしてどんな青春を送り、なぜこの学校に入学したのかさえ分からない。
「オーリはさ、味覚と嗅覚が凄かった訳よ、人の1.5倍はあった訳。だから必ずオーリが作る料理の味付けは失敗するの。嗅覚だって凄い物よ。私に並ぶぐらいだからね。これでお姉さんがなにが言いたいのか分かったかしら」
カンタレラはそこで真面目な顔をオーリウスへと向ける。そうカンタレラの言いたいことがはっきりと分かっただけに、オーリウスの身にいる折原はしまったと思った。
なにか不始末をしてしまったどころの騒ぎじゃない。自分はオーリウスとしてはあってはならない事をしてしまったのだ、と他人の振りをした後悔が胸中を満たす。
「あのじゃがいもの産地を食べる前に言い当てられなければおかしいし、ましてやあんな濃い味付けよ。オーリであれば、辛いとか、牛の味がしすぎるとか言うはず」
「……」
「そこでおねーさんは不自然に思った訳よ。喋り口調うんぬん以前にね、そしておねーさまは、ついでにこうも思いました、それは!」
ずいっとテーブルから身を乗り出すようにしてオーリウスの顔を覗き込んでくるカンタレラ。カンタレラのオーラに圧倒されるようにオーリウスは身動ぎし、後方へと下がっていく。でもテーブルに手を乗せたまま、カンタレラは決定的な言葉を言った。
「君はオーリじゃない」
「あ……うぐっ……」
カンタレラの断言するかの様な言葉に、オーリウスは言葉に詰まってしまい、呼吸すらできなくなってしまう。
やばい、このままではばれる――! このままばれたらどうなるんだ俺の運命は。
止めどない恐怖が脳裏を染め上げていく。
いや、ばれても、何事もないように過ごすとこも可能じゃないのか……。
邪な考えが胸中を満たし始める。これが人間の生きる本能というものなのか、そんな本能がでた自分に反吐が出そうになる。
怖い、ただただその思いからついつい口から出てしまった言葉はこんな苦しい言い訳だった。
「ね、熱で俺はおかしくなっているのかもしれません……」
「ふーん。本当にそう?」
「……」
その言葉を聞いてカンタレラの瞳から色が失われる。見るものが見れば侮蔑の瞳に見えるだろう。
熱でおかしくなっている事を自分で自覚している人間。それはおかしい事だと思う。熱でおかしくなった人間は、おかしくなった事自体に気がつかない物だ。
そう考えると子供の様な言い訳なのだ。だから本当にそう? と聞かれてもはい、と答えられない自分がいる。
「ねーオーリ、私はこう思う訳よ」
「な、なんですか」
「もしあなたが本当にオーリだったら、オーリらしい料理の一品ぐらい作れるんじゃないかって。だって自分が熱でおかしくなっている事に気がつくほど、あなたはまともなんだから」
痛いところを突いてくる。この先輩は優しいようで、実は鬼のように厳しく意地悪なんじゃないかとオーリウスは思った。
いやこの人の内面は……。温かそうに見えて、心の中に隠れる本質はいじめっ子なのだろう。瞳に色を無くしているのにも関わらず、その口から笑みが浮かんでいるのだから。
「昔、私はオーリに料理で相談された事があるの、タマネギとベーコンのパウンドケーキという物だったけど、オーリにアドバイスしたら私を納得させるほどの物を作ったわ」
「……」
黙るオーリウスから視線を外すと、カンタレラはゆっくりとした動作で立ち上がり、書棚ラックへと歩んで行く。
手を伸ばし、カンタレラは書棚の中を漁った。何冊かの本を書き分け、カンタレラが手に取ったのは三冊のノートだった。
ノートを取ると、テーブルに戻ってきて、ばさりと置いた。赤、黄色、青のカラフルなノート。
そのノートがなんなのか分からなくて、じっと見てしまうオーリウスだったが、カンタレラはノートに手を置きながら静かに目を瞑る。
「これは、オーリのレシピ本。彼が今まで扱ってきた食材や、仲間と共に研究してきた食材への対処方法が載っているわ」
ノートに手を置いて静かに語るカンタレラ。この瞬間オーリウスの身に宿る折原に一筋の光明が見え始めた。
それは邪な考えなのかもしれない。でも、そのレシピ帳で研究し、次に挑まないと自分に未来はない。
自身の身の保身。追い詰められたオーリウスいや折原はそこへと走って行ってしまう。ノートに手を伸ばそうとした瞬間、さっとカンタレラはノートを自分の手前に持って行き、オーリウスに渡さないようにする。
「な、なにをするんですか」
「これが欲しい?」
喉から手が出るほど欲しい。それがあれば自分は……。ごくりと生唾を飲み込むオーリウスとは思えないオーリウスに、カンタレラは無情にもこう言い放つ。
「これは寮長権限でオーリから私が預かっているのよ。暫くオーリは退院できそうもなかったから。部屋の掃除から諸々ね」
カンタレラの言葉を聞いてオーリウスは、はっと気がついて周りを見渡した。確かに入院していた部屋の割にはテーブルやラックなどに埃などが乗っていない。
自分が来た時から潔癖な程にまで保全されていた室内を見ると、きっとカンタレラが責任をもって掃除をしていたのだろう。
そして寮長権限とカンタレラは言うが、実際のところ、このレシピ帳の保全は入院しているオーリウスから頼まれたものなのだろうと容易に想像できた。
だから……そのノートを自分に受け渡す権限があるのは、カンタレラ以外に他ならない。
「一つ私の言う事を聞いたら、このノートをあなたにあげるわ」
「ほ、本当ですか」
「ええ、本当よ」
「あなた、今から私を納得させるタマネギとベーコンのパウンドケーキを作りなさい。私が少しでも納得できたらあげるわ」
「で、でも俺は特殊料理材料の扱い方が……」
「その点は大丈夫よ、使う特殊料理食材は一つ、ホロメルスベーコンよ。扱い方を私が教えるからいける筈よ」
特殊料理食材の調理の仕方を教えて貰えるのか……。そう思うと心強さが増し、手をぐっと握りしめ、覚悟が決まった。どうせこの体に居る以上逃げられない話だ。やるだけやってやる、とオーリウスにしては目をほっそりと細めて、一流の職人のオーラを醸し出す。
そのビリッとした空気を感じ、カンタレラは背筋に寒気を感じ、おおっと思った。凄いオーラすぎて、これはとてもじゃないがオーリじゃないと再度確認するに十分だった。
「でもやられっぱしも、俺の性格じゃないな……まあ、今は良いか」
「なに?」
「いえ、なんでもないです。先輩」
「うん?」
「俺流で作ろうにも教えて頂くベーコン以外分からないので、ご助言を。どれが特殊で普通なのかさっぱりなので」
「あー、分かった分かった、勝負は公平じゃないとね」
「そーです」
「じゃあ下のキッチンへGO―」
先に立つカンタレラは立ち上がろうとしたオーリウスに背を向ける。影に隠れてよく見えないが、カンタレラの口元が三日月になっているシルエットが浮かんでいた。
「さてと、ここまでは思った通りに進んでいるわね……後はアメノを嫉妬させた能力を出せるかどうか……」
「はい?」
ぶつりと聞こえないような声をだしてそう言ったカンタレラの背中にオーリウスは声を掛けると、カンタレラは何事もないように
「なんでもないわ、さあ行きましょう」
と、女神のような優しい笑みをオーリウスへ向けるのだった。
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