E07-02 下の城

エルはレイヴを伴い、普段は誰も立ち入らぬ廊下に足を踏み入れた。


さらに奥へと進み、何度も折れながら続く石の階段を下りてゆく。


どれほどの時が経っただろうか。


やがて、階段の突き当たりに分厚い石の扉が現れた。


堅牢な扉は魔術によって封じられており、時おり脈打つように淡く光を放っている。


フィロが耳をぴんと立てた。


「主、ここだよぉ……この城の、本当の中心」


「ここか……。ノーラの城には何かあると思ってたが……これは、ただ事じゃねぇな」


初めて訪れたときから感じていた違和感が、目の前にある。


この先に何があるのか、想像が及ばない。


エルがそっと手をかざすと、手の甲に小さな紋が浮かび上がった。


それに呼応するように、封印された扉が低く唸りながら開かれる。


瞬間、風が、吹き抜けた。


地下にあるはずの空間の向こうには、――一面の草原が広がっていた。


「――――なんだ、ここは……!?」


レイヴはぽかんと口を開けた。


石造りの地下の果てに、眩いほどの『外』があったのだから無理もない。


眼前には陽光が降り注ぐ丘があり、草花が風にそよいでいる。


あまりに現実離れした風景に、幻でも見せられているようだった。


「うわっ、なんだこの草……!動くぞ……!」


『ひゃぁあ、生きてるみたい!』


そろそろと足を踏み入れたレイヴは、思わず声を上げた。


踏んだ場所から、まるで波紋のように草が動き、呼吸するように大地が反応するのだ。


「おいおい、冗談きついぜ。なんなんだよ、ここは……!?」


「ようこそ、『下の城』へ。もう察してるみたいだけど、ノーラの城の中核はここなの。上の城は対外的な政務用。魔自動機械オートマタの新技術はここで生まれてる。……魔術師さん、身体は大丈夫?フィロも平気?」


「……?身体はなんともないぜ。頭の方はどうにもついていってないがな。フィロは……」


『ぜんぜん、だいじょーぶだよぉ!』


「……いつもより調子いいみたいだな」


言霊獣のフィロは尻尾をぶんぶんと振って喜んでいる。


エルはほっとしたように言った。


「よかったぁ。この空間はわたしのマナで満ちてるから。普通のひとだと、長時間は耐えられないみたいなの」


「おまえのマナ?」


本物と見紛う青空の下、エルは躊躇いがちに言った。


「わたしたち婚姻契約で……その、魔力を交換したでしょう?だからあなたの中には、わたしのマナが一部入り込んでる。それでこの空間でも耐性があるんだよ」


「そういえば、口吻キスによるマナの通達は、相互の魔力の経路を一時的に重ねる効果があるって聞いたことがあるが……」


言いながらエルの小さな唇が視界に入り、レイヴは小さく咳払いをした。


「いや、それよりだ。この空間はいったい、どういう理屈で成り立ってる?」


「焦らないで。ここまで見せたんだもの、順を追って説明していくから。実はね、これまでこの空間に入れたのは、アドリアンと師団長さんくらいなの」


「ってことは……アドリアンとゼノとも、口吻キスを……」


「してないよ!」


エルは慌てて両手を振った。


頬に朱が差し、耳まで赤くなっている。


「アドリアンとは、結婚のときに指先でマナを交換しただけ。その……口吻キスしたのは、あなたが初めてだよ」


頬を朱色に染めながら視線を彷徨わせるエルは年相応の少女の表情だ。


風と光に包まれた草原で、レイヴは髪をかき上げた。


「そうか。仮とはいえ、俺はおまえの婚約者だからな。一応訊いておくが、ゼノとは?」


「そんなに根掘り葉掘り聞かれると、なんだか恥ずかしいんだけど……」


「いいから答えろ」


追撃するレイヴだが、なぜそんなことを気にするのか自分でもわからなかった。


「もう、なんなの?口吻キスしたのは、あなただけだってば。師団長さんとは、魔法陣を介してだよ。だからかな、あのひとはほんの入口までしか来れなかった。アドリアンは城まで行けたけど」


「城?」


「うん。『下の城』って地下って意味だけじゃなくて、本当にお城があるの。ここはまだ入り口だよ。さ、もう少し進もう」


そう言って、エルはレイヴの手を取った。


「念のため、わたしに触れていてね」


自然な仕草だった。


それなのに、繋いだ手の熱が妙に胸をざわつかせる。


「……この空間は、わたしが作ったんだ。参考にしたのは、カストゥールに伝わっていた古い魔術理論だけど」


「おまえが……?」


「うん。もちろん最初はぜんぜんうまくいかなかったけどね。作って、壊して、また作って……それで、今のかたちになったの」


「…………」


ほどなくして、空に変化が訪れた。


陽が傾き、草原は青紫の帳に包まれてゆく。


やがて薄闇が降り、夜の星々が天に瞬き始めた。


「ここの魔力が時間を回してるんだよ。……この説明でわかる?」


魔術の知識に長けたレイヴである。


エルの説明からは大事な情報がごっそり抜け落ちていたが、状況と合わせて理論構築と説明を試みる。


「だんだんわかってきたぜ。この空間は、おまえのマナを中核に構成されている、独立型の実験場ってとこか。この空はもちろん本物じゃない。だが、この『場』の魔力の循環に連動して、昼と夜が巡る仕掛けか」


すらすらと理屈を言い当てるレイヴに、エルは目を丸くした。


「魔術師さん、さすがぁ……」


「おまえなぁ、説明すると言っておいて、何も説明してないじゃないか」


「あは、ほんとだ」


屈託なく笑うエルに、レイヴは内心冷や汗をかいていた。

 

言うは易しだが、こんな空間は今の魔術体系で構築することなど到底不可能だ。


まさしく神の所業である。


「…………おまえは、一体何者だ?」


「そうなるよね、やっぱり」


悪戯っぽく笑うエルだったが、不意に挑むような目を向けてくる。


「当ててみて、魔術師さん。これまでにわたしが使った術を覚えているでしょ?ぜんぶ、この空間を構築した術と同じ系統だよ」


二人の足が止まる。


夜闇にエルの姿が冴え、薔薇色の双眸が仄かな光を帯びていた。  


少女こそ、この空間の支配者。


『場』の心臓そのものなのだ。


レイヴはこれまでの記憶を辿っていた。


初めて会ったときに自分を出し抜いた、直接マナ器官に干渉し、神経を狂わせる体術。


辺境伯ガロとの一騎打ちで見せた、相手の力を受け流す、異質な剣の構え。


そしてこの、カストゥール由来の異空間を構築する術――――。


「カストゥール……、そうか……!」


稲妻のように閃きが走る。


古代魔術アーカイア・マギアか!かつてカストゥールで振興した……! おまえ、失われたいにしえの術の使い手なんだな?」


欠けた部品ピースが嵌るように、レイヴの中ですべてが繋がっていく。


「ご明察」


エルが満足気に頷いた。


「ついでに、もっと驚くものを見せてあげる」


風が止み、夜の空気がしんと静まった。


どこからともなく光が集まり、一点に凝縮されてゆく。


そのまま、なめらかに、優雅に形をとっていく。


草原の中央に、城が現れた。


白金に近い光を帯びた壁が淡く発光している。


高く、細く、空を目指すようなその構造は、城というよりまるで――。


「塔みたいだな……。どこかで、見たことがある気がするぜ」


「そう? さ、入ろう」


エルの手が、そっとレイヴを導く。

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