[第1回GAウェブ小説コンテスト]灰京クロニクル
三毛猫丸たま
#第1話 月下に墜ちる -伝説の終わり、そして再生の夜-
#第1話 月下に墜ちる -伝説の終わり、そして再生の夜-
灰京の夜は、濁った月の光に沈んでいた。
高層ビルの谷間に、雨粒で滲むネオンと壁の落書き、監視カメラの赤い点滅が混ざる。
路地の端には、誰にも顧みられないゴミと、壊れた機械の残骸が積み上がる。
湿ったスモッグの夜風が肌をかすめ、川沿いの古い倉庫から機械油の匂いと錆びた鉄骨の軋みが漂う。
路地裏の窓に灯る明かりはほとんどなく、遠くパトカーのサイレンが掠れた音で鳴る。
時折、小動物の気配や、どこか遠くで子どもの泣き声がかすかに混じる。
この街には――“ルナティック・ラビット”という都市伝説がある。
満月の夜、どこからともなく現れ、悪党だけを音もなく狩る白いウサギの影。
企業の殺し屋か、裏社会の処刑人か、それとも月の魔物か。
誰も正体を知らない。ただ、残されるのは血の痕と、銀色の髪の目撃談。
ネットの掲示板では「血まみれの兎」が正義か悪かで言い争いが続くが、現実に信じる者はほとんどいない。
みな都市伝説を“何か不安の象徴”として消費するだけだ。
それでも夜道で自分の足音が増えた気がしたとき、人々はふとこの話を思い出す。
本当は誰も、自分が犠牲者になるとは考えないまま。
その伝説も、今夜限りかもしれない。
裏路地に倒れる少女の胸元へ、月の光が冷たく降りている。
背中を焼くような激痛。左の腕はもう、感覚がない。
唇から漏れる息は白く、冬の夜気に溶けていく。
……どうして、ここにいるのかも思い出せない。
ただ、痛みと寒さだけが自分のものだった。
金属の匂い、血の味。
――“逃げて”という、誰かの声が、遠い夢みたいに耳の奥で響いていた。
本当は、生きたかったのかもしれない。
でも、このまま誰にも見つけられず終わるなら、それも仕方がないと、どこかで思っている。
少女はただ、空に浮かぶ歪んだ満月を見上げていた。
痛みも寒さも、もう遠い。
最後の光が、ぼんやりと視界に滲む。
(……これで、終わり……)
壊れた配管から水が滲み、電子掲示板には“未解決事件”のニュースが流れ続ける。
猫型ロボットの廃材が転がり、誰もいない路地に鈍い金属音が残る。
都市は彼女の絶望にも無関心だ。
誰の助けも、訪れそうにない。
遠くでバーのドアが軋み、酔いどれた男たちの笑い声と足音が近づく。
そのうちの一人が、ふらりとこの裏道へ迷い込む。
黒いスーツにサングラス。
無精ひげの中年男が足を止め、濡れた路地の奥で少女を見下ろした。
(最初はただの酔っ払いの喧嘩かと思ったが、倒れているのが“子ども”だと気づき、心臓が小さく跳ねた。
一瞬で酔いが覚め、足元の異常な静けさと、服装や怪我の様子に警戒心がにじむ。
現場の空気。――これは普通じゃない。)
都市伝説なんて、くだらないと思っていた。
だが、目の前の光景は現実離れしている。
「……おい、大丈夫か?」
声に反応する気力も、もう残っていない。
少女はただ、夜空を見上げ続ける。
アスファルトに投げ出された少女は、
満月の光に溶けるような銀色の髪を持っていた。
その髪は夜の闇に白く際立ち、傷だらけの肌と血で汚れた服の上に広がっている。
長い睫毛の奥、赤い瞳が虚ろに揺れる。
うさぎのように小さな唇がかすかに開き、呼吸は弱々しい。
バニーガールを彷彿させる衣装は擦り切れ、片腕は不自然な角度に曲がっている。
背中の大きな裂傷からはおびただしい出血が広がり、
全身に刻まれた傷と冷たい夜気が、彼女を月夜の幻のように見せていた。
それでも、どこか人間ではない儚さ――
都市伝説の“ルナティック・ラビット”と噂される、
この都市が生み落とした孤独と絶望の化身だった。
男は、もう一度まじまじと少女を見て、傍にしゃがみ込む。
その髪に目をとめ、低くつぶやく。
「……白いうさぎ、か」
都市伝説の影が、ほんの一瞬だけ、現実と重なった。
「このままだと……ほんとに死ぬぞ。……救急車、呼ぶか?」
少女は、微かに首を振る。
それ以上の言葉も、もはや必要なかった。
夜の街に、誰もいない。
ネオンの明かりが滲むビル群の谷間で、
すべての音が、一瞬だけ遠ざかる。
伝説も、祈りも、汚れた路地に置き去りにされたまま――。
(つづく)
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