第17話 妖獣
アクセレラシオン様は、地下へと歩いて行く。
長い階段があり、壁にはランプがオレンジ色の灯りを点している。
このランプを点しているのは、アクセレラシオン様の魔力なのだという。
わたしの力でランプは点るのだろうか?
「まだ無理だな」
アクセレラシオン様は、わたしが心の中で疑問に思って考えていると、口に出して答えてくれる。
わたしの内面は、全てお見通しなのだ。
「階段から落ちるなよ」
「大丈夫よ」
アクセレラシオン様は、闇を吸い取って、暗闇を夕暮れ時の明るさまでにしてしまう。
ランプを点して、闇を吸い込む。
同時に二つの力を使っても、疲れたお顔もしていない。
わたしだったら闇を吸い取っている間に、疲れ果ててしまう。
「前より魔力の循環がよくなっている。魔力切れは起こさないだろう」
「そうなのね?」
「俺の心も読めるようになれ。万が一の時に連絡が取れる」
「万が一って、何なの?」
「妖精の申し子は、妖精王の一番大切な人だ。妖精王を従えたければ、妖精の申し子を誘拐する者も出てくる。ミルメルは賢いから、自分から『わたしは妖精の申し子です』等と言いふらすことはないと思うが、念のためだ」
「わたしは、誘拐されないように気をつければいいのね?」
「その通りだ」
「アクセレラシオン様みたいに、強くなるわ」
「それは頼もしい」
「わたし、凄く頑張り屋なのよ」
「ああ、知っている。いつか、舞を見せてくれ」
「どうして、舞のことを知っているの?」
「心の声は、10年より前から聞こえていた」
「そんなに前から?」
わたしは心拍が早くなり、顔に血が集まってくる。
恥ずかしい。
「努力する事は恥ずかしがることではない」
「そうかもしれないけれど」
ずっと姉と比べられて、泣いた夜もあった。
その全てを、アクセレラシオン様は知っているのだ。
「ずっと心配していた」
「森に住んでいた妖精に、何度も誘われていたのに、耳をかたむける事もしなかったの。それでも、妖精達は、わたしを好きでいてくれるのかしら?」
「その耳で聞いてみたら分かるであろう。妖精達は、ミルメルがこの国に来たことを喜んでおる」
「はい」
確かに、妖精達はわたしを歓迎してくれている。
階段を降りきると、広い場所に出た。
闇が吸い込まれて、オレンジの灯りが点る。
十分に周りが見えて、アクセレラシオン様のお顔もはっきり見える。
「ここは、地下神殿だ。神事を行うときに使われる」
「ここで、練習をするの?」
「妖獣を召喚する。先ずは俺が見本を見せる」
「はい」
アクセレラシオン様は、地下神殿の中央に歩いて行く。
手を繋がれているので、わたしも当然一緒だ。
神殿の中央には、魔方陣のような模様が掘られている。
少しでこぼこになっているから、描かれている模様ではない。
「見ておれ」
アクセレラシオン様は、わたしから手を離して、片手を胸に当てて、「オン」と呼んだ。
闇の中から黒くしなやかな、大きな猫のような動物が出てきた。
「オン、妖精の申し子のミルメルだ。ミルメル、オンは俺の妖獣だ。体は変幻自在だ」
「変幻自在ですか?」
「今は大きめな猫のような姿をしておるが、豹という動物に変化している。もっと大きくも小さくもなれる。俺の手足になってくれる。な、オン?」
「まあ、そういう事にしておこう」
猫のような大きな豹が、しゃべった!
わたしは驚き、目を見開く。
「ミルメル、わしの声が聞こえるか?」
「ええ、ええ、聞こえるわ。凄いわ。会話もできるのね?」
「わしはオンという。わしの伴侶を呼び出してみろ」
「え?」
わたしはアクセレラシオン様を見上げる。
「どうするの?」
「闇の中にその姿を探してみろ。姿が見えたら、その名前を聞き取れ」
「何ですって?」
わたしは努力家だと思う。けれど、地下神殿の暗闇の中にいるはずの動物の姿を探したことはない。
呆然と、アクセレラシオン様を見上げるが、アクセレラシオン様は微笑んだ。
「ミルメルならできる。まず、胸に手を当てて、心を落ち着かせて、暗闇を見てみろ」
「はい」
わたしは先ほどアクセレラシオン様がしたように、片手で胸に触れて、闇の中をじっと探す。
拍動が頭の中でする。
トントントントン……。
少し早い拍動は、わたしの拍動だ。
その拍動に合わさるように、他の拍動が重なった。
頭の中に名前が聞こえた。その名前を呼んでみた。
「アイ」
暗闇の中から、黒い仔猫が駆けてくる。
小さくて、可愛らしい。
「あなたは、アイと言うのね?」
「アイと申します。ミルメル、これからよろしくね」
アイの声は、頭の中に直接聞こえる。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
アイはわたしの前に屈んだ。
抱き上げようとして、そんなことをしていいのか迷った。
すると、アイからわたしの手の中に入ってきた。
「抱き上げてください」
「いいの?」
「ミルメルの心のままに」
「はい」
わたしは仔猫サイズの妖獣を抱き上げた。
フワフワで、モフモフで、毛並みが柔らかい。
「気持ちがいいわ」
胸に抱いて、頬を寄せると、アイもわたしにすり寄ってきている。
「アイも変幻自在なの?」
「はい、どのような姿でもミルメルが望んだ姿になります」
「わたし、ずっと仔猫を飼ってみたかったのよ。お姉様とお兄様が猫アレルギーだから、邸では飼えないと言われたの。とても残念に思っていたのよ」
「そうですか?では、ミルメルが望むときは、仔猫になっていましょう」
「ありがとう」
わたしは、もう一度、頬ずりをした。
「アイ、ミルメルに危険が迫ったら、抱き込んでも安全な場所に移動して欲しい」
「アクセレラシオンは、ミルメルに甘いわね。この子、闇魔法強いわよ」
「ああ、知っているが、まだ使いこなせていない」
「そうなのね、分かったわ。安全第一ってことで、オンが戦うのよ」
「ふん、今までもそうであった」
「うふふ、頼りにしているわ」
アイとオンが会話をしている。
仲はいいようだ。
わたしは、本当は抱いていたかったけれど、アイを地面に下ろした。
「ミルメル、契約の印を私にくださいますか?」
「はい、どのような事でしょう?」
わたしはアイの前に屈んだ。
わたしの横にアクセレラシオン様も屈んだ。
「ミルメル、少し、ミルメルの血を与えるのだ」
「はい、どうぞ」
わたしはアイの前に手を差し出した。
その手を、アクセレラシオン様が掴んだ。
「召喚獣は主を危険な目に遭わせない。手を噛んだりしない。させては駄目だ。血は」
アクセレラシオン様は、懐からナイフを取り出した。
「指先を少し切るぞ」
「はい」
わたしは怖くて、目を閉じた。
すっと人差し指に何かが触れたが、痛くはなかった。
「目を開けなさい。自分でアイと契約をするんだよ」
「はい」
人差し指から血が滴っていた。
そっとアイの前に指を差し出すと、アイは、わたしの指先を舐めている。
目を細めて舐めている姿は、美味しい物をもらったときに見せる姿のようだ。
美味しいなら、もっとたくさん飲んでもいいのよ。
いっぱい飲んでね。
そう思っていると、アイは口を離して、身震いをした。
アイの体が、熊のように大きくなり、そして、また仔猫の姿に戻った。
アクセレラシオン様は、わたしの指先をハンカチで巻いて押さえている。
止血をしてくださっているのだ。
「自分で押さえています」
「俺がしたいだけだ。痛くはないな?」
「はい、切れたのも気づきませんでした」
「そうか」
アクセレラシオン様は、指先をしっかり押さえている。
「ミルメル、これで私はミルメルに使役されます。ミルメルの匂いも覚えました。私の名を呼べば、そこに姿を現すことができます。万が一、捕らわれた時は、心の中でも『アイ』と呼んでください」
仔猫のアイは、簡潔に説明してくれた。
「アイ、よろしくお願いします」
わたしは仔猫に頭を下げた。
「お話は心の中でもできますので、呼びかけてくださいね」
「はい」
アイは優しい召喚獣のようだ。
心の中でもお話しできると言うことは、わたしの雑念もすべてお見通しなのかしら?
『そうでございます』と心の中に声が聞こえた。
ああ、アクセレラシオン様にもアイにも、わたしの感情がダダ漏れになってしまうのかしら、恥ずかしいわ。
『わしも聞こえておるが、黙っておくのも気分が悪い。教えておこうか』と、オンの声まで聞こえた。
「ミルメルは、今のままでも分かりやすいが、それが嫌なら、感情のコントロールの方法を学ぶといい」
「それを魔法を学ぶ前に教えてください」
「感情のコントロールは、自分でするものだ。教わって学ぶものではない」
「なんですって?」
「いいではないか?心の声が聞こえても、俺はミルメルを好きだよ」
「そうじゃないの。そうじゃないのよ。恥ずかしいのよ。情けないのよ」
「そう嘆くな」
頭を撫でられても、情けなかった。
感情のコントロールは、たぶん、一番苦手だと思うのよ。
どうしたら、感情のコントロールができるようになるのかしら?
「ミルメル、わたしを抱っこしていますか?少しは落ち着くかもしれないわ」
「抱っこするわ」
わたしはアイを抱きしめて、モフモフの毛に顔を埋めた。
「魔術の練習は、明日からだ。今日は疲れただろう。アイを抱いて、心を鎮めておくといい」
「そうするわ」
「では、部屋に戻ろう」
「はい」
オンの体が大きくなり、アクセレラシオン様は、オンに跨がった。
「さあ、おいで」
「どうするの?」
「オンを跨いで」
「嫌よ。淑女が跨ぐなんて、お母様に叱られてしまうわ」
「ここには、ミルメルの母上はいないよ。闇属性は、召喚獣を使役できるのだ。闇属性で召喚獣を持っていなかったのは、ミルメルと幼子くらいだ」
「何ですって?」
知らなかった。
闇属性の魔術の一つだったなんて。
「オン、失礼します」
わたしはとても恥ずかしかったけれど、オンを跨ごうとしたら、アクセレラシオン様が、わたしの体を横抱きにした。
「そんなに恥ずかしいのならば、今はしなくてもよい」
「はい」
わたしはアイを抱いたまま、アクセレラシオン様に抱きついた。
「全く、心の狭い」
オンはそう言うと、瞬時に姿を消した。
目を開けると、わたしの部屋でした。
マローとメリアは、「お帰りなさいませ」とお辞儀をしている。
驚かないのね。
普通は驚くわよね?
なのに、驚かないのね?
これは、普通の事なの?
「この国では、普通の事だ。少しずつ慣れていこうな?」
「はい」
クスンと洟をすする。
情けなさより、恥ずかしさの方が増している。
「大丈夫よ、ミルメルが跨げないのなら、私が抱いてあげるわ」
アイが慰めてくれる。
アイに抱かれるの?
どのように?
「アクセレラシオンがしたようによ」
「はい、お願いします」
わたしは仔猫に頭を下げた。
擬人化した仔猫に、横抱きにされる図を想像したら、頭がクラクラしてきた。
可愛いけれど、やっぱり情けない。
慣れよう。
この国の風習ならば、慣れていこう。
駄目だ。
体の中の熱が暴走を始める。
オーバーヒートみたいですわ。
頭が痛い。
目が回る。
クルクル回る。
わたしは仔猫を抱きしめながら、倒れていく。
仔猫がわたしの腕の中から飛び出して、アクセレラシオン様の手も伸びてきて、マローとメリアの声と手も伸びてきて、わたしは衝撃を軽減させるために目を閉じた。
誰の手がわたしを受け止めたのか見たくなくて、そのまま意識を失った。
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