第6話 恥ずかしいけど気持ちがいい

「ぷはー、温かくて、気持ちがいい」


 体を洗ってもらって、湯船に入った。


 我が家では湯船には湯は少しだけしか入れるなと言われているので、こんなにたっぷりなお湯が入ったお風呂に入ったのは初めてだ。


 わたしを洗ってくれたメイドが、微笑んでいる。


 自分で洗おうとしたが、体が痛かった。


 明日は、もしかしたらもっと痛いかもしれない。


 今でも自分で動くのが辛いので、もしかしたら動けなくなっているかもしれない。


 わたしは入ってはいけない森に入って、真っ暗な洞窟を歩いたことで病気になってしまったのかもしれない。


 でも、最後にこんなに気持ちのいいお風呂に入れさせてもらえて幸せだ。


 明日、死んでも悔いは残らないと思う。


 ああ、至福だ。


 転んだときに打ち付けた腰もお尻も痛いけれど、お風呂が気持ちいい。


 急に眠くなってきて、意識が遠くなってきた。


 顔がドボンとお湯に浸かった時、慌てたメイドが、グイッと両腕を掴んで引き上げてくれた。


「お嬢様、お寛ぎのところ申し訳ありませんが、お風呂で眠ってしまうと、溺れてしまいますので、そろそろ上がりましょう」


「いや、こんなに気持ちいいお風呂から出たくないわ」


「足首も腫れていましたから、あまり温めると痛みが増して参りますよ」


「少しぐらい痛くても我慢する」


「侍医も待っておりますので、ね?お風呂なら、明日も入れますわ」


「本当に?」


「本当ですわ」


「分かりました。明日もお風呂に入れてくださいね」


「分かりました」


 メイドは優しく微笑んだ。


 今更ながら、子供のような我が儘を言ってしまったことが恥ずかしい。


 湯船から立ち上がるのに、「うぐぐ」と悶えながら立ち上がった。けれど、最初の一歩がなかなか出ない。


「痛いですか?」


 わたしは頷いて、それから、今度こそ出ようと、足を上げた。


 メイドが手を貸してくれる。


 なんとか湯船から出ると、他のメイドが、体を拭き、バスローブを肌に掛けてくれた。


「わたし、どうしてしまったのかしら?体が痛いの、足も上がらなくて、病気かしら?」


「お嬢様、今日は朝から森に入って、洞窟を歩いてきたと聞きました」


「ええ、そうよ。誰にも見つからないように、急いで山の奥へと走っていったのよ。洞窟の中も休憩なしに歩いてきたの」


「恐れながら、お嬢様。それは筋肉痛だと思われますわ」


「筋肉痛?」


「いきなり大変な運動をすると、体や足が痛くなったり、過労で眠くなったりしてしまうのです」


「まあ、全くその通りだわ」


「念のため、お医者様に診てもらって、その後に許可が出れば、体をほぐしましょうね」


「お願いします」


 なんて素晴らしいメイド達なのでしょうか?


 我が家のメイド達とは雲泥の差ですわ。


 博識だし、何より、わたしを労ってくれます。


 今まで、こんなに親切にされたことがなかったので、感動してしまいます。


 何から何まで手伝ってもらって、やっとベッドに横になれた。


 すると、部屋の中にアクセレラシオン様と老年の男性が入ってきた。


「綺麗にしてもらったね」


「はい、鏡で見たら、顔にまで泥が跳ねていましたわ。アクセレラシオン様のお洋服も汚してしまって申し訳ございませんでした」


「洋服など、気にするなと言ったであろう」


「はい、でも、安物の洋服ではなさそうでしたもの」


 アクセレラシオン様は、クククと声を殺して笑っている。


 そんなにおかしな事を言ったかしら?


「それで、ミルメルの体の具合はどんな感じだった?」


「恐れながら、アクセレラシオン様、申し上げます」


 わたしを介助してくれていたメイドが前に出て、頭を下げた。


「体中が痛むようで、足を上げるのも大変なようです。森の中を走ったと言っておりましたし、洞窟の中を休憩もなしで歩き回ったと言っておいでですので、筋肉痛の可能性があるかと思います。体を洗うときに、お尻と腰を庇っておられました。目立った怪我は、右足首の腫れでしょうか。両膝に擦りむいた痕がありました。泥だらけでしたので、綺麗に洗浄はいたしました」


 メイドは綺麗なお辞儀をした。


 なんと素晴らしいメイドだろう。


「体中が痛むようになったのは、初めてかな?」


「はい、初めてでございます」


 今度は白衣を着た医師が質問してきた。


「それでは、腰とお尻が痛いのは、何か心当たりはありますか?」


「何度も転びました。それ以来、痛くなりました」


「これは打撲であるな?」


「はい、きっと明日には治っていると思いますわ」


「うつ伏せになれるかな?」


「どうかしら?」


 モゾモゾと動いてみるが、腰もお尻も痛いし、体が悲鳴を上げている。


「痛いです。ちょっと無理みたい。このままじっとしているわ」


「それなら、足首を見せてくれ」


「はい」


 メイドがキルトを捲って、足首を見せた。


 医師は、足を持って、少し動かしている。


 い・た・い!


 けれど淑女なるもの、声を上げてはなりません。


「痛いか?」


「痛いけれど、悲鳴を上げるほどではないわ」


「痛いはずだが、我慢強いのか?かなり腫れておるようだな?骨折しておるかもしれんぞ」


「そんな大袈裟よ」


「大袈裟か?」


 わたしは頷いた。


 大袈裟に決まっているわ。


 怖いことを、言わないで。


 そっと足を下ろされて、ホッとした。


 今度は膝までキルトを捲って、両膝を見せた。


「これは痛かろう」


「たいしたことはないわ。ちょっと滑って転んだだけですもの」


「何度、転んだのだ?」


「数は数えていなかったのですわ」


 医師は、アクセレラシオン様のお顔を見ておりますの。


 何か話しているのかしら?


 傷なら、大丈夫よ。


 横になっていれば、今まで大事になった事はなかったもの。


 今回も何日かしたら、よくなるわ。


「ミルメル、お腹は空いたか?」


「お腹は空いておりますが、何より眠いです」


「それなら、今夜は眠るか?」


「はい、眠ります」


「では、皆の者、部屋から出てくれ」


「畏まりました」


 メイド達はお辞儀をすると、部屋から出て行った。


 医師とアクセレラシオン様が残っただけだ。


 どうしたの?


 ちょっと緊張するわね。


「ミルメル、コスモス医師は光の魔術師である。我々に害のない程度の治癒魔法をかけてくれる。治癒魔法の後、直ぐに眠りに落ちるが、明日の朝には目が覚めるであろう」


「はい」


「怖くはない。治療は一人で受けなければならぬが、一人で寂しくはないか?」


「大丈夫よ」


「治療後、必ず、ここに来る。いいな?」


「はい、アクセレラシオン様」


「良い子だ」


 アクセレラシオン様は、頭を撫でてくださいました。


 なんて皆さん、優しいのでしょう。


「では、初めていいか?」


「お願いします」


 アクセレラシオン様は頭を下げると、部屋から出て行った。


「ミルメル嬢は我慢強いな?」


「はい、お姉様が光の聖魔術師なのです」


「ほう、魔法をかけられた事はあるか?」


「ありません」


「闇の属性持ちに、光の聖魔法をかけると気分が悪くなったりすることがある」


「わたしが闇の属性持ちだと分かるのですか?」


「ここにおる者は、わし以外、皆、闇の属性持ちだ。アクセレラシオンもな」


「嘘っ!」


「ここでは、ミルメル嬢に害をなす者はいない。安心しなさい」


「……わたしが闇の属性持ちだと分かっても?」


「辛い思いをしてきたのだな?」


「国で闇の属性持ちは、わたしだけだったの。危険物質だから、修道院に入れられる事になっていたの」


 わたしは、泣いていた。


 幼い頃から冷遇され続けた生活は、ひたすら我慢の連続だった。


 家族も家族ではなくて、ずっと他人だった。


 心が通い合った事など、一度もなかった。


 これ以上我慢ができなくなって、家を出てきた。


「光と闇は、相反する。闇の中に光を入れれば、闇と光は混ざり合い、どちらも浄化され、闇も光もなくなる。加減を間違えるとどちらも消滅してしまう」


「そんなこと、先生が危険だわ」


「わしは医師だ。慣れておる」


 わたしは頷いた。


 それなら、従おう。


「足首は、おそらく折れておる。放置しておけば、半年は寝込む。できればこれを治したい」


「半年も?それは大変だわ」


「だから、治療をしたい」


「はい、お願いします」


「目を閉じていなさい」


「はい」


 わたしは目を閉じた。


 強い光が閉じた瞼越しに見える。すーっと意識が吸い込まれていく。


 呪文を聞き取ることは、できなかった。



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