第12話 漆黒の舞と、怠惰な指揮官
漆黒の通路の先に現れた「シャドウズ」。その存在は、シエルの完璧なロジックをも揺るがすほどの異質さを放っていた。いくつもの人型ユニットが、かすかな駆動音と共に静かに鎮座している。彼らは、セレーナの脳内DIAが物理的に具現化したもの、まさに「テクニック」の結晶だ。それぞれのユニットの表面は、光を吸い込むような艶やかな黒に覆われ、関節部分からは微細な駆動音が聞こえる。彼らが、セレーナの思考を具現化するための、究極のツールであることは一目瞭然だった。
セレーナは、ベッドに横たわったまま、静かに呼吸を整えた。彼女の瞳は閉ざされている。その表情からは、今にも世界を揺るがすような作戦が開始されようとしているとは、想像すらできない。彼女の「働いたら負け」という哲学は、物理的な行動だけでなく、精神的な労力すらも最小限に抑えることを求めている。だからこそ、このシャドウズが、彼女の「手足」となるのだ。
「シャドウズ、起動」
セレーナの声が、寝室に静かに響いた。その声は、命令というよりも、まるで自らの思考を紡ぎ出すかのような、自然な響きだった。
「面倒な仕事が舞い込んだわ。私の脳波に完全にシンクロしなさい。最も効率の良い排除ルートを構築しなさい」
セレーナの言葉に呼応するように、シャドウズの各ユニットの胸元に、青白い光が瞬く。それは、彼女の思考とシャドウズのシステムが、完璧に同期したことを示すシグナルだった。光は徐々に強さを増し、漆黒のユニットの輪郭を際立たせる。彼らは、人間にはありえないほどの精密な動作を可能にする、自律型のシステムなのだ。
シエルは、一歩も動かずにその光景を目の当たりにしていた。彼の完璧な執事としてのロジックが、この現象を解析しようと全開で稼働している。しかし、彼の知識の範疇を超えた事象が目の前で繰り広げられていることに、わずかな混乱が生まれていた。彼の脳裏には、先ほど「シャドウズ」という単語を検索した際、表示されたであろう無数の「一致なし」のデータが、繰り返し点滅している。
「お嬢様、あの…彼らは? 一体、何をするおつもりで? まるで生命を宿しているかのように…しかし、これは…技術…?」
シエルの声には、探求心と、そして人間的な困惑が混じっていた。シャドウズの完璧な動きは、まるで生命が宿っているかのようにすら見える。だが、彼は知っている。これは「能力」ではない。セレーナの頭脳から生み出された、高度な「技術」の結晶なのだと。
セレーナは、依然として目を閉じたまま、静かに応じた。その声には、一切の感情の揺れがない。
「私の『手足』よ。面倒な仕事は彼らに任せるわ。私はベッドから一歩も動かない。世界がどうなろうと、私の身体は動かない。それが最も効率的で、私にとってストレスフリーな状態だもの」
「しかし…彼らは一体何を…その動きは、まるで…」
シエルは、その問いの答えを得ようと、さらに言葉を続けた。彼の脳内では、シャドウズが展開可能なあらゆる行動パターンがシミュレートされているが、その全てがセレーナの指示一つで制御されているという事実が、彼の理解を揺さぶっていた。
「見ていればわかるわ。あなたは私のそばにいなさい。そして、私のために最高の紅茶を淹れる準備をしておいてちょうだい。私を落ち着かせるのも、あなたの重要な仕事よ。私のリソースを無駄に消費させないでちょうだい」
セレーナの言葉は、まるで静かな指揮棒のようだった。彼女がベッドから一歩も動くことなく、シャドウズを遠隔操作し、デジタルと現実の両面で「面倒事」を排除するための準備が整っていく。シエルは、シャドウズの完璧な動きが、セレーナの脳内で瞬時に演算され、最適化されている「技術」であることに、確信を深める。そして、その技術の根源に、畏敬の念と、そして自身の「完璧」の定義を超えた、新たな探求心が生まれていた。
窓の外では、今日もまた、大都市の喧騒が遠く響いている。排気ガスの匂いや、クラクションの不規則な音が、セレーナの城塞には届かない。電光掲示板には、市民生活における「義務労働率は6.9%のまま、変化なし」というニュースが、何事もなかったかのように表示され続けていた。セレーナの城塞の外の世界では、彼女の「怠惰」とは対極にある、別の種類の「効率」が日々追求されていることを暗示するかのように。しかし、その「効率」は今、セレーナの「怠惰のための介入」によって、静かに、そして容赦なく揺らぎ始めていたのだ。
シエルは、お嬢様の平穏な「怠惰」を守るため、そして自身の内に生じたこの「疑問」の答えを探るため、音もなく次の準備を進めていくのだった。彼の完璧な執事としてのシステムは、すでに次の「無駄の排除」へと、静かに、そして容赦なく動き始めていた。
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